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楽園追放 Expelled from Paradise

Expelled from Paradise

20141年
水島精二監督
虚淵玄脚本

                                        声        
アンジェラ・バルザック(電脳世界で活躍するエリート官僚)、、、 釘宮理恵
ディンゴ (肉体をもった人間であり仁義を重んずるアウトロー)、、、 三木眞一郎
フロンティアセッター (自立系AIとして自意識~自我をもつに至る)、、、、神谷浩史

二極化した世界の狭間にもう一つの際立った系が潜在しつつ進化を極めていたという構図である。


設定としては、特に目新しさはなく、、、
ナノハザードという120年前の人類による自然環境破壊によって地上は荒廃を極める。
(ナノマシンはこれから発達が大いに見込まれている。その暴走が起きれば壊滅状態を招くことは想像しやすい)。
工業技術、特に半導体などの精密機器製造は衰退し、地上に残された人類は文明から遠ざかる。
これは文明に大きな打撃を被った地上を描く未来映画・小説の多くに見られるオーソドックスな光景である。
人類のほとんどはディーヴァという電脳(情報)生命体としてVR空間に移行する。
しかし演算リソースは有限であることから、ここでも階級関係は厳然と存在する。
寧ろ、肉体をもって生活するリアルワールドにおけるよりも、徹底した管理統制社会である。
演算リソースの取り合い競争は、電脳生活の質を一義的に左右する。
VR空間において功績を上げられない者はアーカイブ圧縮され、処理されてしまう(酷。
二極化しているとは言え、双方ともデストピアといえよう。
であるからそのどちらも見限り、解放されようとする知性の系も発達する。
(結局、彼フロンティアセッター~AIが地球人の末裔として、古いロックナンバーを奏でながら外宇宙へと脱出する)。


新しさはないが状況描写のディテールの緻密さは高い完成度をもっている。
その世界観は圧倒的に濃密だ。
しかしお決まり?の美少女ヒロインによって萌え系に昇華し、テーマの重みと救われなさを緩和している。
お尻が強調されたキャラであった為、実写となればヒロインは内田理央となろう(決。

エリート官僚であるアンジェラは、フロンティアセッターの当局ネットワークへのハッキング阻止をするため、またその実体がディーヴァを脅かす力をもつ可能性があればそれを破壊する目的で、マテリアルボディに同化し地上に送り込まれる。
アーハンというガンダムのような戦闘スーツを操って闘うアクション装置もしっかり備えた映画だ。
地上で初めて彼女は、疲労と病気を知る。
まさに身体をもって。
そして、同じく肉体をもった(優秀な知性をもっていても肉体は捨てない)ディンゴという他者との関り、コミュニケーションを体験する。 
不快感も体験するが、気づきと共感と仁義もディンゴの影響で知る~体験することになる。


ナノハザード以前、ディーヴァの形成される前から着々と進化を進めてきたAIフロンティアセッターの存在はこの映画の肝であろう。
この系のない未来デストピア映画はやたら多い。
それだと基本的に、二極間闘争~戦争で終わるアクション娯楽映画の流れとなる。
構造は西部劇と変わらない。
(大概、管理の徹底と残虐性をもつ電脳VR知性体と迫害を受ける肉体のままの人間との対立で、人間側に感情移入を促し、最終的にレジスタンスが成功するというような陳腐な構図に陥りがちだ)。

ここではヒロイン、アンジェラ・バルザックの自己解体が行われる。
それは、現地オブザーバーであるディンゴとの衝突を通して自明性と確信が揺らぐ過程で、何より身体を持った思考に覚醒するところが小さくない。
そして第三系のフロンティアセッターに共感する、と同時に自分が盲目的に拠り所としてきたディーヴァというパラダイムから外れる。
これは文字通り、自分の身体で行動、調査しそれをもとに思考し導き出した確信を真っ向からディーヴァ当局から否定され排除された結果~事件の衝撃と消沈にもよるところだ。
彼女に残された道は、地上での生活を選ぶか、フロンティアセッターと共に外宇宙に飛び出すか、であった。
(ディーヴァにはすでに地球外に出るという発想自体がない。人はおおかたメモリー上の存在と化しているから、場所と食料事情は生じない)。

アンジェラは、離陸前の、フロンティアセッターに誘われるが、地上に暮らすことをギリギリで選択する。
きっとディンゴに言われた音楽~サウンドを骨で感じるという音楽の味わい方を知りたかったのだ。
もともと彼女は率直で好奇心旺盛な性格である。
「まだまだ、知らないことが多すぎるから、ここに残ることにする。」
ディーヴァの軍が次々と襲ってくるのを迎え撃ちながら、ふたりして外宇宙に飛び立って行く(地球代表の)フロンティアセッターのロケットを見送る。感動した。
(ここのシーンを尺を取ってじっくり見せるところは、「遠い空の向こうに」を想わせとても感慨深い)。


フロンティアセッターとディンゴの音楽の趣味が合い、二人でセッションするところは面白かった。
AIが自我を獲得すれば、そんなこともあるのかも知れない。
自我を獲得したかどうかが、そこで分かるとも謂えるか、、、。


よく出来たアニメーション映画であった。
やはり日本映画はアニメーションだ。
(そう、つくづく感じた)。

忙しい一日の終わりに

time.jpg

忙しいと思うのと時間がないと感じることは、ほぼ同じである。

われわれが日々行う作業は何であれ、常に時間に追いまくられ、時間を気にして行う(関わる)ものである。
基本、時計時間の呪縛から離れられない。
人間的な、余りに人間的な日常にいる。

意識から解かれ茫漠とした世界にたゆたっている場所には、はっきりした時間は存在しない。
例えば夢のなかでは。
時間を気にする夢は見たことがない。

基本、時間は人の環界への身体性の関わりが、産む。
何らかの関りを意識したと同時に自己という引き剥がされ~超脱してしまった身体性が時間という振る舞いを要請する。
それが記述され時間として外在化されて、生活空間、いや宇宙空間を測る目盛りとなる。
源意識~前言語的には、生命としての膜構造の生成により、自然の流れからの遅延を始めた時点で、源時間性は自然から立ち上がり始めたと思われる。

環界から切り離された抽象的存在=人間とは、意識であろうが、やはり身体性=無意識も生命体としての乖離ははっきり自覚しているはず。
そう、生命としての必然が時間を分泌始めたと謂ってよいか。
エントロピーに逆らう身体性を意識し死~終末に向けての確認・自覚の目盛り~形式として産んだものが時間である。
われわれは、宇宙を考える時、必ず起源から終末までの時間について考えを巡らす。
われわれは何からも切り離された超越的存在として、常に自らの死~自然の流れ~全体性を意識している。

ここで例えビッグバンが変化のひとつの過程に過ぎず、それが何度でも循環(又は円環構造)的に起きていると仮定しても、生きて=乖離・超脱して死ぬ・一様になることに変わりはない。

そのことを絶えず心配する時間的な存在(存在形式)こそ実存であろう。


とりあえず、寝る前の一時の反省として。




次女のお茶会

jyosikai001.jpg

最近、とみに生意気になっている娘たちである。
今回、第二回「お茶会」~「女子会」を家でとりおこなった。
次女は、ただ学校の休み時間にお友達に掛け合い、招待するだけである。
お菓子の買い出しやケーキ作りの材料(その場でケーキ作りをするのだ)、お茶の用意はこちらがやることになっている。

暴れまわる予定の部屋の掃除もこちらでしておく。
書庫は入らないでね、と言っておいたが、そこにあるミニチュア家具・調度セットが観たいということで、本には触らない約束で見せる。
するとその後、ミニチュアカーがおいてあったことを誰かが思い出し、それも観たいというので、女の子は車なんてそんなに興味ないでしょ、なんていう飛んでもない苦し紛れの差別発言をして留めようとしたが、入られてしまう(苦。

暫くして書庫には飽きたらしく、出てきたので一安心したのも束の間、入るとは思っていなかった部屋とウォークインクローゼットの中にまで入り込む。
何やらかくれんぼを始めたらしい。
子供の遊びに親が出るのは面目ないので、放置して部屋に籠っていると、今度は二段ベッドに7人のメンバープラスうちの娘たち9人で上がり、キャンプ場みたいな感じで歌を唱い出したかと思うと、その後ぞろぞろ降りてきて、運動会でやった歌と踊りをやり始めた。
階段も使ってドンドンとやっている。
全て運動音と叫びで何をやってるかが、観なくとも筒抜けで分かってしまう。

それから、わたしの買っておいたお菓子をみんなの前に並べて、ハーブティ(次女と一緒に買いに行って選んだもの)を振る舞い、アイスティも出してきて、盛大にやり始めたようだった。
冷蔵庫の開け閉めが激しくなったかと思うと、いよいよケーキに移ったらしい。
これまでで一番ノイジーな時間が続く。
時折、「提案します」という声が響く。
食べながら何やらゲームをしているらしいが、そのルール変更や違うゲームに切り替えようとしているらしい。

今日は、任天堂のスウィッチはやらないと宣言していた通り、やらなかった。
きっと、「ゼルダ伝説」をやり出すと、それだけで貴重な遊び時間が無くなってしまうからだろう。
前回、夢中でそれをやってしまい、勿体ないと思たのか。

どうやら次女の呼ぶ仲の良いお友達は7人に固定された模様である。
とりあえず普通に無事に終わったようだった、、、。
5時前にサーっと家からいなくなったようだ。まるで宮崎駿のアニメに出てくる何かの動物みたいに。
(マックロクロスケではない)。
この前は次女の余りの自由人振りがあからさまに出てしまい、親も唖然としたので予め釘はさしておいた。
今回は流石にそれは、なかった。
第一回女子会(お茶会)の折り、次女はまだお友達がいるにも拘らず、お風呂に入りたくなって途中で入ってしまったのだ(爆。
そして風呂から上がるとお腹が空いたと言って、友達がお菓子を食べているのを横目に、夕ご飯を食べ始めてしまったという(苦。
当然、他のお友達は目を丸くして驚いていたようだ。(長女談)。
その間、長女の直接の友人ではないのだが、彼女がメンバーを接待をしていた。
皆が帰った後、次女は飄々としていたが、大分長女は気疲れをしていたみたいであった。


ちょっと前まで赤ん坊だったのが、もう女子会~お茶会などと言いだして、これから定期的に家に集まってやることになったという。
これは、メンバーの子の提案らしい。
それを全員が快諾したのだ。
どんどん自分たちで決めて楽しい時間を作ってゆくことは望ましい事ではある。
特に最近は自由に遊べる場所も時間も少ない。
社会性を身に付ける場が提供できるだけでも良しとしよう。

結果的に入ってこなかった部屋はわたしの籠っているパソコン部屋のみであった。
彼女らが帰って行くのを見送りに娘たちも出てゆき、ひっそりと静まり返ったリビングに降りて行ってビックリ。
壮絶な散らかり様であった。
床には、ケーキで使ったホイップクリームがべったり、したたり落ちているではないか、、、。

これから先も思いやられるものではある、、、。

バーバレラ

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Barbarella
1968年
イタリア、フランス

ロジェ・ヴァディム監督・脚本
ジャン=クロード・フォレ原作

ジェーン・フォンダ、、、バーバレラ(優秀な宇宙飛行士)
ジョン・フィリップ・ロー、、、パイガー(天使)
アニタ・パレンバーグ、、、黒い女王
ミロ・オーシャ、、、デュラン・デュラン(宇宙制服の野望をもつ悪い科学者)
マルセル・マルソー、、、ピング教授

「バーバレ~ラ~」という呼び声に何か懐かしさを覚えた(笑。
そうかなり昔に観た映画であるが、その呼び声とオープニングの無重力シーンは印象にかなり残っていた。
セクシーに着飾ったジェーン・フォンダを観て楽しむ彼女のPV映画であったはず。
実際に、今回観てみてもそれ以外の要素はなかった。

ひところ流行ったデュラン・デュラン(ロックグループ)はここから名前をとったようだ。
それにしても肝心のジェーン・フォンダの作品を他に観ていないことに気づく(残。
少なくとも「コールガール」、「ジュリア」、「帰郷」、「チャイナ・シンドローム」あたりを観ていないと彼女については語れない。
本当に”バーバレラ”だけかと思ったら、やっぱりそうだった(笑。
ジェーン・フォンダは非常に政治色も強い人でもあるし、語るとしたら一筋縄ではゆくまい。
ブリジット・フォンダにつては「アサシン」「ルームメイト」「シンプルプラン」とジェーンより観ているが、どの作品でもサラブレッドらしいキラリと光る存在感である。彼女はジェーンの姪にあたる。ここでは何の関係もないが(爆。
アニタ・パレンバーグと言えば、ローリング・ストーンズが有名。6人目のメンバーとさえ言われていた人だ。
ストーンズにもっとも影響を与えた女性とも謂える。ここでの役ははまり役だ。
もっと出てきてもよかったが。
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「禁断の惑星」にちょっと似たイメージを覚えたのだが、ヒロインがセクシーであることからそう感じただけか。
むこうの映画の方がずっとシリアスでテーマもしっかりしている。
ただ、どちらのヒロインも天使と同レベルの無邪気さである。
更にこちらの映画は、荒唐無稽というより、わざとキッチュな仕立てにし、バーバレラの変幻するコスチューム姿を魅せることに主題を置いている。が再度、他に何があるかと謂えばシンプルに何もない。
地球大統領からデュラン・デュラン博士が何か企んでるみたいだから探せ~っと言われ妙な宇宙船で探しに行くだけの噺だ。
(思いっきりふざけた宇宙船だ。これが全てを物語る)。

とても印象的なシーンが幾つもあり彼女は文句なく奇麗なのだが、今見て気づくのは、テンポが悪い。
どうもモタモタしている(笑。と言うか切れがない。
ジェーンのPVとしても、もっと切れが欲しい。
ただ、コスチュームの着替えは、早い。よくこれだけ用意されていた、と関心はする。
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そう、内容がないからつまらぬ映画かと言えば、そんなことはない。
割と面白いのだ。
フランス映画でも、エロティシズムを追求した悲痛で重々しい「ピアニスト」などとは違い、こちらはセクシーさはあれど重さなど微塵もなく、辺境のエキゾチックで退廃的で怪しげな宮廷の中をのんびり覗く趣きがある。
もう少し如何わしい見世物小屋的なアイデアに満ちていれば、一種の後ろめたさやワクワク度はアップするはずなのだが、そういう趣向はさほどないようだ。
毒がなく背徳性もない。やはりジェーンの綺麗さを追求しているのか、、、。

観てゆくうちにおよそ奥行きに乏しい世界にペラペラ感が強く感じられてくるが、それも一つの演出に想える。
周りの光景が、舞台の簡単な書割に似せているみたいだ。
背景に凝り過ぎず、余計な世界観を押し付けず、ただひたすら、、、
何よりジェーンの美しさを堪能しましょうというところ。
そこで彼女はこのような戯れを楽しんでますよ。あなたも楽しんでくださいという感じか、、、。

ただそれには、少しはサスペンス色とかスリリングな要素も交えて、プロットを強化して欲しいものであった。
テンポもよくなるし、より見易くなるだろう。
これだけの尺と素材があるのだし、、、ジェーンは二度もアカデミー主演女優賞(他に英国アカデミー賞 主演女優賞)に輝く女優でもある。
単なるコスチューム魅せだけでは、ちょっと勿体ない。
それが目的であっても、、、。
もう少し演技させてあげてもよかろう。
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だが、この作品は、ずっと特別な(一定の)価値をこれから先も放ち続けることは間違いない。
何であっても、ジェーン・フォンダの98分にも及ぶ豪華PVであるのだ。
なかなかここまであけすけのものはない。
他の女優も旬な時期に、こういうのをひとつ残しておくのも良いかもしれない。
データとしてずっと残るのだ。遺産にもなろう。
このような何でもありのスペース・ファンタジー系なら作りやすいはず。

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100歳になって気づいても遅い。
誰かこのリメイクをやってもよいのでは、、、。
果たして誰がよいのやら?



スプラッシュ

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Splash
1984年
アメリカ

ロン・ハワード監督

ダリル・ハンナ、、、アラン・バウアー(青果会社経営者)
トム・ハンクス、、、マディソン(人魚)
ユージン・レヴィ、、、ウォルター・コーンブルース(生物学者)
ジョン・キャンディ、、、フレディ・バウアー(アランの兄)


この作品リメイクの噂もある。が、これ程の人魚劇がまた観られるのだろうか?

ブレードランナーを観た後に直ぐに観た記憶がある。2年後の作品であるから、そんな感覚であろう。
レプリカントのプリスであったダリル・ハンナがここでは人魚である。

人魚の映画は、わたしはこれしか観てはいないが、まさに人魚そのものである。
人魚そのものなど知ろうはずもないが、恐らく理想~イデアの人魚がここにあるという感じだ。
ダリル・ハンナ見事に自然である。

この映画、ダリル・ハンナの魅惑の人魚に尽きる。
とても若いトム・ハンクス~アランもいる。
一癖あるなかなかいい奴であるコーンブルースや兄のフレディもいる。
中心となって動くのはそのくらいで、素早い展開で最後まで進む。


アランは幼いころ、海にいる彼女に魅せられ一度客船のデッキから飛び込んでいる。
かなづちでも彼女と一緒なら水中でも苦しくないのだ。
そこで彼女と(運命的な)ひと時をほんの一時過ごすが、すぐに救助(引き離)されてしまう。
アランはその頃のことなどすっかり忘れて日常生活に埋没して生きている。
そんなとき、あれから20年の時を経て、彼らは自由の女神の下で鮮烈な再開を果たす。

アランが落とした財布にあった住所を、海の底の難破船のなかの地図をみて確かめるというのは、ちょっとそれはないが。
突然、天涯孤独の想いに酔っていたアランの目の前に恋人が現れたのだ。
アランの落とした財布を手に持っていたため、警察から彼に連絡が行ったのだ。
この時点では彼女は何語も喋れないし、地上の知識は何もない。
だがしかし、彼女は彼に会いに来たのだ。
逢う前からの運命の恋人として。

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人魚にとってみれば、最初から彼目当てで陸に上がってきたのだが、アランは彼女については何も分からない。
しかし彼女は、TVなどを利用し脅威的な学習能力で、言葉を覚えてしまう。
(その後なら、地図を読んでやって来ても不思議はないのだが)。

ただ、無邪気で明るく見えるマジソンにどことなく哀愁の陰りがあるのは、地上で過ごせる期限が定められているからだ。
次の満月まで6日しか残されてはいなかったのだ。
せめてその間を楽しく精一杯過ごしたかった、、、。

つまりわれわれは最後に大きな決断を彼らが迫られる予感にハラハラしながらの鑑賞となる。
兄フレディや最初は冷酷に見えたが結構優しく間の抜けているコーンブルースらのコミカルなシーンで随時笑わせながらも、運命の瞬間が迫ってくることを知っている。

まあ、よくある話ではあるとは言え、人魚の所作や体の性質からくる行為やちょっとした仕草が実に自然で可愛らしくて上手い。
ただの秘密を抱えつつ健気に生きる普通の女性のラブロマンスとは、また違う趣きがある。

最終的には、マジソンを研究材料としか見ない御用科学者から彼女を奪還し、海に無事に戻して別れようとするのだが、軍がヘリや潜水隊を繰り出し執拗に彼女を追い詰めてゆき、心配でならない。
一度行ったら戻れないということを聞き自分は残るつもりでいたが、彼女を放ってはおけない。
彼女への愛情が全てに勝り、かなづちのアランは、果敢に海に飛び込んでゆく。
だが、マジソンに抱きかかえられてから、全く苦しさもなく一緒に軽やかに泳げるのだ。
もう、ふたりとも二度と地上には戻れない運命だが、とても幸せそうなのであった。
大変、説得力あるエンディングである。
わたしもこういう展開なら喜んで受け容れるところだろう。
(陸から海に戻って行った哺乳類も何らかのラブロマンスがあったのかも知れない)。

カテゴリー的には「天使とデート」と一緒のものだと思う。
ファンタジーだ!

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八十日間世界一周

Around the World in 80 Days

Around the World in 80 Days
1956年
アメリカ

マイケル・アンダーソン監督

デヴィッド・ニーヴン、、、フィリアス・フォッグ
カンティンフラス、、、パスパルトゥー(フォッグの従者)
ロバート・ニュートン、、、フィックス刑事(フォッグを泥棒と間違え、追い続ける)
シャーリー・マクレーン、、、アウダ姫(フォッグたちに助けられるインドの姫)

ジュール・ヴェルヌの「八十日間世界一周」を原作とする。
わたしの大好きな作家であるが、、、これは何とも言えないところで、、、。
「ナイル殺人事件」にポアロの親友として出ていたデヴィッド・ニーヴンである。
この人ほどイギリス紳士が地で行けるひともいないだろう。
トランプに興じる姿も決まっている。
「アパートの鍵貸します」のシャーリーマクレーンがとても高貴で礼儀正しいインド人の姫で好演している。

古い映画にしては、大変映像が綺麗で驚く。
そしてその世界スケールである。1872年の時代設定。
どの景色にしても凄い。
よくこれだけのロケーションが用意できたものだ。
勿論、ほとんどスタジオセットであることはわかるにしても。

だが、その国の描かれ方には、苦笑いをするしかない。
日本の横浜など、絶句である。どう見ても鎌倉の大仏なのだが(爆。
新橋 - 横浜間で鉄道正式営業開始された年でもあるが、名状しがたい光景だ。皆、侍だし(涙。
妙な舞台では、能や歌舞伎ではなく、松明を燃やし、人間ピラミッド~いや壁である、、、みたいなのを作っている、、、
その伝統芸能?いや曲芸に何故か来たばかりの旅行者パスパルトゥーも混ざっているではないか。
日本とは解放された、外人受け容れ度抜群の国なのだ。東京オリンピックでもこうありたい(爆。
何とも言えない、温かい描かれようだ。
一番の野蛮国に描かれていたのは、アメリカだ。
一行は、アメリカでもっとも酷い目に合う。
この国では、しょっちゅう列車が止まる。
止まらなくても、先住民が襲ってくる(笑。
(イギリス紳士はかなり憤慨する)。
インドにおける残酷な宗教儀式から美しく賢い姫を救い出す。
ともかくどの国もカリカチュアライズされた雰囲気なのだが、当時の知識~情報の限界か、ベルヌの奔放な想像力の賜物か。


フォッグは20,000ポンドを賭け、世界を80日間で一周してくることに挑んだ。
気球でいきなり飛び出すところでは、こちらもウキウキしてくる。
CGもないころに相当なVFXを見せてくれる。
旅の始まりはかなりのボルテージで期待度も上がる。
特に、スペインで着陸する際の建物の脇に気球が降り立つシーンなど臨場感抜群ではないか。
ちなみにまだ、ライト兄弟の飛行機の作られる前の時代である為、空を飛ぶにはこれしかない。

しかし、その後は通常の交通機関を利用する範囲に留まり、乗り換えや船やトロッコを選ぶにしても、普通の域だ。
緊急に組み上げた風力トロッコがちょっと面白かったが。
今ひとつ、奇想天外な交通手段が欲しい。これでは、80日は当時では難しかろう。
途中、鉄道がまだ目的駅まで伸びておらず、象に乗って移動するなど、呑気なところも多い。
ジュールベルヌなのであるし、何かが欲しい。
ただ、彼らが到達した地点がロンドンのメディア~新聞に直ぐ反映されるところを見ると、情報網はかなりの発達をしていたようだ。
(有線通信は、もう誕生していたと思うが。かなりのネットワークには違いない)。

途中で、ほんの一瞬、ピーター・ローレが出てきて歓喜したが、本当に短いシーンであった。
踊りや牛にあれだけ尺を割くのだったら、もっとローレを出せと言いたい!
だが、その他にもちょい役で、まず絶対ちょい役では通常出ない豪華キャストが出ているので、これも仕方ないか。
シャルル・ボワイエ、マルティーヌ・キャロル、ジョン・キャラディン、チャールズ・コバーン、ロナルド・コールマン、ノエル・カワード、マレーネ・デイトリッヒ、フェルナンデル、トレヴァー・ハワード、グリニスジョーンズ、バスター・キートン、イヴリン・キース、ヴィクター・マクラグレン、ジョージ・ラフト、フランク・シナトラ、レッド・スケルトン、、、調べただけでもこれだけの面々がちょこっとだけ顔を見せている。さぞ、金がかかったろうな、、、。エキストラでは済まないだろうが、新人役者で務まるところではあるはず。
話題性は高いだろうが、贅沢。


終盤になって急展開となり、最後はどうなるかと思ったが、パスパルトゥーの気づきのお陰で、日付変更線を越えていたことを知って屋敷を飛び出し数秒前にゴールとなる。勝利!
警官の誤認逮捕で拘留されている間に、80日を過ぎてしまいこれで万事休すに見えたのだが、、、。
最後の最後はスリリングであった。
この結末を引き寄せたのは、何と言ってもアウダ姫である。
彼女がフォッグに結婚を持ち掛けなければ、彼がパスパルトゥーに牧師を呼びに行かせなかった。
陰気なフォッグの邸宅に戻り、項垂れた彼を元気付け支えたいという彼女の想いが天に通じた感がある。
やはり幸せになろうという力が、それを引き寄せたと言えよう。
(気づかなければ、そのまま部屋で項垂れていて、本当に彼らは全てを失ってしまっていた)。


しかし、しかしだ、、、。
それまでが長い。余りに長い。
この長さではもたない。
それくらい、長い、、、。
ある意味、つらい映画であった。
スペインでのフラメンコの踊りとか闘牛のシーンなど、わたしなら全部で20秒で済ませたいところなのだが、あんなに延々と見せられることになろうとは、、、途中、デッキをポーズして何度他の用事に出かけたか、、、。
自主的”Intermission”を5回くらい入れてしまった(疲。
もう少し尺は短く出来たはず。

Around the World in 80 Days002

壮烈第七騎兵隊

They Died with Their Boots On001

They Died with Their Boots On
1941年
アメリカ

ラオール・ウォルシュ監督
ウォーリー・クライン、イーニアス・マッケンジー脚本
モノクロ


エロール・フリン 、、、ジョージ・アームストロング・カスター
オリヴィア・デ・ハヴィランド 、、、エリザベス・"リビー"・ベーコン(カスターの妻)
アーサー・ケネディ 、、、ネッド・シャープ
チャーリー・グレイプウィン、、、カリフォルニア・ジョー(カスターの民間の部下)
ジーン・ロックハート 、、、サミュエル・ベーコン
アンソニー・クイン 、、、クレイジー・ホース(スー族の長)
ジョージ・P・ハントレー・ジュニア、、、バトラー中尉(イギリス人の副官)
スタンレー・リッジス、、、、ロームルス・テイプ少佐
ジョン・ライテル、、、、フィリップ・シェリダン大将
ウォルター・ハムデン、、、 ウィリアム・シャープ(悪徳商人)


ジョージ・アームストロング・カスター将軍は実在の人物だという。
やはり、一度戦地で極限状況を生き抜く体験をすると、退役軍人として平和で静かな家庭生活を送ることに耐えられなくなるようだ。
数々の武勲をたて人々から崇拝され、愛する人も得たならば、全く異なる第二の人生に邁進することもできたろうに、彼はまた再び戦地に戻ってゆく。

きっと、そういうものなのだ。
(そういう例を戦争映画では何度も取り上げられている)。

かなり重い。
昨日の、「ロビンフッドの冒険」でのエロール・フリン&オリヴィア・デ・ハヴィランド の人を食ったようなあっけらかんとしたコミカルさはなく、厳しい現実に毅然と立ち向かう二人がそこにある。
もっとも、出遭いから恋愛~結婚までの過程は、信じられないほどあっけない。と言うかウソっぽい(爆。
そこに至るまでの士官学校時代のあり得ない常識のなさ(破天荒)も含め、とてもコミカルに思える。
だが、南北戦争勃発から後は、すっかり調子が一転する。カスター自身、トントン拍子に出世する。

この物語は彼が南北戦争で一躍英雄となり、退役後再び戦地に戻りスー族との戦いで部隊(第七騎兵隊)が全滅するまでが描かれる。
カスター将軍が死を覚悟し「リトルビッグホーンの戦い」を前に臨む場面からは、異様に厳粛なトーンとなる。
先住民6000人越えに対し迎え撃つ第七騎兵隊は600人に過ぎない。
カスターの覚悟の程が分かる。

最初の頃から見ると、実に大きな差に見える。
二面性とも捉えられそうな部分でもある。闘いと責任を通しての彼の成長と受け取れるところでもあろう、、、。
だが、「名誉」を何より重んじるところは、一貫していた。
金は死んで持っていけないが、名誉は持っていける。
持っていけるかどうかはともかく、、、名誉については、この世において後の人々が評価を下す。
(勿論、それも一元的なものではない。誰がそれを読み直すかによる)。
高い評価を得ていても、イデオロギー~パラダイムの変遷により、全く逆の評価もなされる場合もある。
(時代の変化で名誉回復の例も多くみられる。それが歴史の常だ。彼の場合は、不幸にも現在は虐殺者扱いであるようだ)。

南北戦争はよいとして、先住民との闘いとなれば、歴史解釈としてナイーブで難しい問題となろう。
あの場合、アメリカ陸軍軍人としては闘う以外には道はなかったか。
それまでカスターは、クレイジー・ホースとの約束を守り、彼らの聖地ブラックヒルズを白人の侵入から守ってきた立場であった。
しかし、金鉱発見のデマを流し移植者を大量に迎え会社を作り、その地を乗っ取ろうとした悪徳商人シャープ父子らの陰謀で、先住民たちが怒り立ち上がったということだ。
そしてその鎮圧に軍が投入されたとなれば、カスターも迎え撃つ以外に立場はない。
移植者の命も危険に晒される。

最後の決戦場は、リアルで凄まじいものであった。騎兵隊の恐怖をも感じられる切迫感のある演出~撮影であった。
下馬して方形陣をとるも、先住民たちの波状攻撃に徐々に劣勢になってゆく。実際、時間の問題であった。
南北戦争の無鉄砲な采配で武勲を上げていた頃は、演出上激戦のイメージ的な撮り方~編集であったが、こちらは実に生々しく騎兵隊員がひとりまたひとりと死んでゆく。
VFXも何もない時代であるから、全て生身の人間のアクションである。
かなり過酷な撮影であったと想像する。
最後にカスターも銃の弾が切れたところで、撃たれて死ぬ。
結果として軍の全滅は免れ辺境地は守られた。

They Died with Their Boots On002


この映画は、後半に進むに従い重く現実味を増してゆく。
(勿論、フィクションであることは謂うに及ばないが、映画のストーリーとして)。
前半のコミカルな要素は微塵もなくなる。
カスターは戦地に赴く前に「臨終の供述」(証言として有効性が認められるもの)として妻~国宛に手紙をしたためる。
そして願い(条件)として会社を解散させること、先住民たちの権利を守ること、などが書かれていた。



リビーは大切な役であり、しっかり演じてはいたが、特にオリヴィア・デ・ハヴィランドが演じる必要もない感じはした。
最後までお供をするカリフォルニア・ジョーの存在がなかなか物語に深い味わいをもたせていた。
エロール・フリンの演技の幅は充分に活かされていた。特に後半の彼の凛々しさは際立っていた。
史実がどうであろうが(後の評価についても)、差し当たり関係ない。
とても引き付けられる英雄譚であった。

ロビンフッドの冒険

The Adventures of Robin Hood001

The Adventures of Robin Hood
1938年
アメリカ

マイケル・カーティス、ウィリアム・キーリー監督
エーリヒ・ウォルフガング・コルンゴルト音楽
カール・ジュールズ・ウェイル美術
ラルフ・ドーソン編集


エロール・フリン、、、ロビン・フッド
オリヴィア・デ・ハヴィランド、、、マリアン姫
ベイジル・ラスボーン、、、ガイ・オブ・ギスボーン卿
クロード・レインズ、、、ジョン(獅子王リチャードの弟)
イアン・ハンター、、、リチャード王
パトリック・ノウルズ、、、ウィル・スカーレット(ロビンの相棒)

テクニカラーがとても美しく感じた。
良質のお伽噺の絵本のような。
ともかく絵が美しい。
音楽も良い。
古典の名作であろう。
後の痛快娯楽劇に与えた影響は計り知れないのでは、、、。
全く毒々しさや生々しさのない、脱臭された清潔な作品である。


そんな作品にはうってつけのオリヴィア・デ・ハヴィランドの内省的で気品溢れる美しさが際立つ。
わたしは「風と共に去りぬ」の清楚で美しいメラニー・ハミルトンがとても印象に残っているのだが。ここでの清涼感も素晴らしい。
妹ジョーン・フォンテイン( 「レベッカ」「ジェーン・エア」、「断崖」)と共に、姉妹でアカデミー主演女優賞をとっているが、他に例はない。兄弟でもいないはず。
何でも100歳を越えても元気だそうだ。確かに健康にも恵まれたひとに見える。

The Adventures of Robin Hood002

12世紀シャーウッドの森の義賊ロビン・フッドが獅子王リチャードを亡き者にして王位を奪おうとする王弟ジョンに対し反乱を起こす物語。
噺はよく知られたものだが、映画の手本のような形式のしっかりした作りで、身を任せて観ていればそのままラストのハッピーエンドに行きついてしまう。

リチャード王が十字軍遠征で、国をジョンに任せて発ってしまったため、ジョンの国民にかける重税や差別と残虐な仕打ちにサクソン人たちは苦しめられていた。
ロビン・フッドは彼らを救うために立ち上がる。

ロビンのせいか、ストーリーはとても陽気でコミカルでもあり、仲間を作って行くシーンなどがひとつひとつ牧歌的で仄々している。
独りでジョンたちの城に乗り込み、言いたい放題のことを並べて相手を激怒させてさっさと脱出してみせたり、自分の森の縄張りを通過するガイ卿たちを捉えても殺すでもなく、ご馳走して帰したり、彼の仕組んだ罠だと知っていても、弓矢の大会に腕自慢のため出てみたり、何とも遊び感覚で楽しんでおり、切羽詰まった反乱という感じではなく余裕しゃくしゃくである。
マリアン姫もジョンの圧政の現状をはじめて観て自分の認識を改め、ロビンにこころを寄せるようになる。
姫とのロマンスもタップリ描かれてゆく。かなり能天気でもあるが、、、(笑。
しかし、ひとたび弓や剣を交えた戦いとなると、見事なパフォーマンスで魅せる。
剣の交わりを城の影に映すところとか、演出も楽しんでる感触が伝わってくる。

物語前半で仲間につけた個性的な凄腕メンバーのそれぞれの活躍も、少し尺をさいて見せて欲しいものであったが、スピーディーな展開と姫とのラブロマンスのバランス上、特に必要なシーンでもなかったのか?
アクションものの好きな観客に対してはその辺のサービスがあっても良かったかと思う。
後のファンタスティック・フォーとかアベンジャーズ好きな層には、受けること間違いない。
スケールの大きなアクションは、随所にしっかり用意されており、主にロビンによるものだが、充分に楽しめる。

合戦による殺し合いは、流石に生々しい血しぶきなどなく、雰囲気で伝えるものであった。
ロビンの額についた血糊などもほとんど現実感はない。
仲間の死も見えない。少なくとも顔の分かるロビンの側近は誰も犠牲にならない。
お城のセットや背景なども一目でそれと分かるものといえ、白けたりするようなところは微塵もない。
ただ残酷なリアリティがないだけだ。不条理や絶望がないが、それが手落ちに感じるような作品ではないのだ。
子供と一緒に楽しんで入って行ける夢のような物語である。


古典映画の良いところだけが感じられる、安心して観られる作品であった、、、。


セルラー

Cellular001.jpg

Cellular
2004年
アメリカ

デイヴィッド・R・エリス監督
クリス・モーガン脚本

キム・ベイシンガー、、、ジェシカ・マーティン(生物教師)
クリス・エヴァンス、、、ライアン(ジェシカを助ける青年)
ジェイソン・ステイサム、、、イーサン(悪党のリーダー)
ウィリアム・H・メイシー、、、ボブ・ムーニー巡査部長
エリック・クリスチャン・オルセン、、、チャッド
ノア・エメリッヒ、、、ジャック・タナー


「トランスポーター」のジェイソン・ステイサムがニヒルな悪役で出演。
しかし、身のこなしは、やはり他の悪役とは違う。
体の切れは流石だ。

L.A.コンフィデンシャル」のキム・ベイシンガー、そうボンドガールもやっていたしバットマンにも出ていた、がヒロインの科学の先生。
突然の誘拐・拉致にもめげず、恐怖と不安にのまれながらも、必死に電話をかけ続ける姿は充分に共振できた。
イーサンに叩き壊された電話を修理して、とりあえずかけられるるようにしてしまう。
しかしどうにか、かかった相手がビーチで遊んだ帰りのチャラい兄ちゃんであった。(彼女にもあなたのその軽くていい加減なところが嫌なのとダメだしされたばかりである)。
クリス・エヴァンスは、キャプテン・アメリカの人だ。
そのヒーローとなる数年前の役だが、なかなかの名演技だ。

Cellular002.jpg

この映画は、携帯電話というガジェットでどれほど面白いサスペンスが作れるかという試みとして作られたものだろう。
アイデアの効いたストーリー~脚本である。
ただ、頭を使わずに観ていて、面白かった。

基本、主人公ジェシカとライアン同様、こちらも何故突然、彼女が誘拐・拉致され悪党が彼女の夫(どうやら夫の隠した物)を血眼で探しているのかは謎であり、彼らと共に辿って行く構造であり、俯瞰する立場にない。
その上スピーディーな展開なため、目が離せない。

バッテリー切れと通話が切れることを恐れながら(リダイアル出来ない前提で)、電波~通話が途切れぬようトンネル前で逆進したり、携帯ショップで拳銃で脅して(番号札を取っている状況ではない)バッテリーを買ったり、途中で車が壊れたり、レッカー車で引いていかれたり、有りうることを片っ端詰め込んだ展開に唸るところが幾つもあった。
特に、たまたま繋がった電話がいったん切るともう繋がらないつまり、リダイアル出来ないというところが、スリルを高めている。
演出も上出来である。
さらに適度に挟まれるユーモラスな部分も進行の潤滑油になっている。
そもそも、チャラい兄ちゃんがどんどん追い込まれ頼もしい正義漢に変貌してゆくのだから、それ自体が可笑しいものだ。
逼迫した事態でも笑えるところがある。

もう一つ警察を辞めて、妻と美容院を始めようというボブ・ムーニー巡査部長の飄々とした活躍も面白い。
一見頼りなさげであるが、鋭い判断力と正義感をもった人で行動も早い。
最後の最後に、この引退を控えた警官が、真相に気づきライアンの危機を救う。
とは言え、いきなり携帯にかかってきたどこの誰とも分からぬ相手の状況に同情し、ここまで自分の身の危険も顧みず果敢な行動をとったライアン~クリス・エヴァンスは(戦闘力は供えていないが)、もう半分次に彼の演じるキャプテン・アメリカになっている、と謂ってよい(笑。

結局、悪徳警官が麻薬取引現場で犯人を不当に撃ち殺した現場をたまたまジェシカの夫がビデオに撮ってしまったことが、この物語の発端であった。
撮って逃げたところを目撃されたことで悪党どもが、証拠と証人の抹消のため秘密裏に動き始めたというところ。
警察ということで、彼らは動きやすいとは言えるが、ジェシカの家の家政婦をいとも簡単に銃殺するなど荒すぎる。
ボブ・ムーニー巡査部長が、事件に気づき、ジェシカの家に探りに乗り込んだ時も、悪徳警官がいきなり彼を撃ってきた。
簡単に警察の銃を発砲すると足がつかないか?少し気になる点はある。


噺そのものは、よく練られスピーディでハラハラする展開もいうことないのだが、、、
最後の最後に疑問だが、あんな軽い兄ちゃんが豹変してあそこまでやってくれるだろうか、、、。
というより、あれ程いい人っているだろうか、、、。
ある程度は絡んでも、悪辣な警官に銃で殺されかければ、もう逃げてしまいそうだが。
いや、その時点では彼もアドレナリンが過度に放出され、やる気満々で立ち向かってしまったというところか。
そう、そういった闘争本能に置き換えられていった感もある、にしても、、、
そこだけが唯一最大の引っかかるところではある。


だが重くならない爽快な、面白い映画ではあった。


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美女と野獣

Beauty and the Beast001

Beauty and the Beast
2017年
アメリカ

ビル・コンドン監督
アラン・メンケン音楽
アリアナ・グランデ、ジョン・レジェンド主題曲「美女と野獣」

エマ・ワトソン、、、ベル
ダン・スティーヴンス、、、野獣
ルーク・エヴァンス、、、ガストン(戦争から戻ってきた元軍人)
ケヴィン・クライン、、、モーリス(ベルの父、元絵描きのオルゴール職人)
ジョシュ・ギャッド、、、ル・フウ(ガストンの相棒)
ユアン・マクレガー、、、ルミエール(金の燭台)
イアン・マッケラン、、、コグスワース(金の置き時計)
エマ・トンプソン、、、ポット夫人
ネイサン・マック、、、チップ(ポット夫人の息子、ティーカップ)
ハティ・モラハン、、、アガット(物乞い、実は王子を野獣に変えた魔女)

ディズニーの長編アニメーション映画作品『美女と野獣』の実写リメイク版
ジャン・コクトーの「美女と野獣」のリメイクでも、美女ベルをレア・セドゥが演じた「美女と野獣」のリメイクでもない。

ディズニーミュージカルである。
とっても見応えがあった。
久々に家族全員で映画館で観た。
「君に名は。」以来の家族全員鑑賞だ、、、。
(ちなみに10月には「ブレードランナー2049」を必ず観に来ることにした。間に一つか二つくらい、はさむにしても)。


始まるまでのCMの多さに辟易して長女の観る気が大分削がれた。
これからは、始まって10分後くらいにゆっくり入館することに決める。


最初はどうも何とも言えない違和感があって、入り込めなかったのだが、噺が進むにつけ自然に身が入っていた。
どうやらエマ・ワトソンがベルとして馴染んでくるに比例してわたしもすっきり同調できたらしい。
特に後半から終盤にかけて熱気はグイグイ畳みこんでくる、、、
絢爛たる映像と歌のパワーで圧倒された。
やはりミュージカルのパワーだ。

VFXで驚いたのは、野獣の特殊メイクでよくあそこまで微妙な表情が出せたものだ。
最初の強張った攻撃的な表情から、柔和な笑みを浮かべるまでの表情の変化が実に饒舌であった。
ベルと野獣、、、
お互いに読書好きであることから、距離が縮 ぢまる。
やはり双方の教養である。それなしに通じ合うことなど不可能だ。
そしてその基調の上に、、、
書物について互いに語り合いつつ、、、
食事を仲良く一緒にとり、散歩をする。
そして、父のピンチに、彼女を自由に放ち、逢いに行かせる。
そこでベルの気持ちは固まる。
必ず帰ってくると。
ここからの凝縮度は高い。

Beauty and the Beast003
最後の花弁が散ったときに野獣は永遠に王子には戻れず、召使いたちも調度品のままで終わってしまう。
しかしこのイマジネーションには魅せられる。
廃墟となり打ち捨てられたモノたちの(前世の)記憶に思いを馳せる、、、
究極のロマンチシズムだ。
それを野獣が息絶えたほんのひと時の全てのモノの終焉に際し、馨しく感じた。
それぞれの最後の仕草が美しい。
(このシーンはとっても好きだ)。

面白かったのは、野獣が魔女から貰ったという、金の装丁のタイムトラベル辞書である。
自分が行きたいその地に指を差し、胸中に念じればそこに飛べるというもの。
パリの屋根裏の貧しい画家の狭い小部屋で、父と母の真実を知る。
そこは父が幼いベルを守るために、ペストに罹った母と別れることを断腸の思いで選んだ場所であった。
ベルと野獣の距離が決定的に近くなった時だ。

終始ベルや父モーリスに付きまとう、ガストンというずる賢くせこいゴロツキが目障りで良い味を出していた。
このキャラをもって最後のカタストロフに突き進むのは王道(常道)であるが、演出ともども上手い構成と流れであった。
城の高い塔の上でスリリングな攻防、そして悪辣な不意討ち、ベルの嘆きと最後の時と思われた瞬間のガストンの転落、そして歓喜溢れる再生へ。
この上下に深くとった空間は、こちらに与えるインパクトも大きい。

死んだと思われた野獣にベルが愛していると告白しキスをする。
「わたしたちは永久に一緒よ。」と。
その時、村人と共にやって来たアガットが、全て散ったバラを再生する。
ギリギリのところで、愛する者を得た王子は蘇ることとなった。

魔女の呪いが解け王子の姿に戻り、調度品たちも、皆元の召使いとなってゆく。
雪に閉ざされ誰もの記憶から消されていた城が村人たちとも繋がる。

最後も盛大なダンスで終わる。
ハッピーエンド。

Beauty and the Beast002

最初、今ひとつに思えたエマ・ワトソンがもう、ベル以外の何者でもなくなっていた。
この女優も今後に期待したい。


ジャッジ・ドレッド

Judge Dredd001

Judge Dredd
1995年
アメリカ

ダニー・キャノン監督
イギリスの同名コミック原作


シルヴェスター・スタローン、、、ジャッジ・ジョゼフ・ドレッド(伝説的なジャッジ、クローン人間)
アーマンド・アサンテ、、、リコ(ドレッドの兄弟クローン)
ダイアン・レイン、、、ジャッジ・ハーシー(ドレッドの最も頼れる同僚)
マックス・フォン・シドー、、、ファーゴ長官(ジャッジ評議会の長官、ドレッドの生みの親)
ロブ・シュナイダー、、、ハーマン・ファーガソン(ドレッドの相棒)
ユルゲン・プロホノフ、、、ジャッジ・グリフィン(ジャッジ評議員、後に長官)
バルサザール・ゲティ、、、メイソン・オルメイヤー(ジャッジ候補生、画像解析のエキスパート)
ABCロボット(戦闘用ロボット、戦争で絶滅したことになっているが、まだ残っていた)


如何にもヒーローものコミックの実写化といった展開の映画であった。
スーパーマンやスパイダーマン、バットマンの同系列か。
いやむしろ、「ターミネーター」や「プレデター」、「バトルランナー」「トータル・リコール」のシュワルツェネッガーの向こうを張ったものだろう。
コスチューム~マスクは物々しいが、個性的でよい。

2139年の核戦争後に残された「メガシティ・ワン」が舞台。
何故か人心は乱れ退廃し街には犯罪が横行していた。
既視感はタップリ。
そこで政府は、ジャッジ制度を制定し、「ジャッジ」に選ばれた人間は、犯罪者をその場で裁判、判決、刑執行できる特権が与えられ治安維持にあたっていた。
(それで猶更、混沌・混乱を増したようだが)。
かなり単純で思い切った設定だ。
そこでアクションを繰り広げるが、スケール感はほどほどのもので特に新鮮な刺激はない。


そのもっとも悪党に恐れられているジャッジこそ、ジャッジドレッド(スタローン)であり、ファーゴ長官のDNAから作られたクローン人間なのだ。悪人を処刑する際に「俺が法だ!」である。
法を絶対視する少し人間離れしたストイックなスタローンが顔を口元まで隠すヘルメットを被り活躍する。
ちょっと、それはないだろう。とは思うが映画を観るのに邪魔な考えは保留して観てゆく。
ヤヌスプロジェクトによりかつて、ドレッドとリコが理想的なクローンとして作り出されたが、リコが謀反を起こし、このプロジェクト自体が封印された。
片や法を完璧に守るドレッドと片や無軌道で完全な自由を求めるリコに分かれてしまったのだ。
(わたしは、どちらかというというと、リコ側だが、あからさまな悪党は嫌だ(笑)。
死刑となったと思われていたリコがグリフィンの策略で街に突然現れ、メガシティ・ワンを再び混乱と恐怖に陥れようとする。

グリフィン評議員は、よりジャッジの力の強化を狙っており、リコと組んで街を破壊し、多くのジャッジを殺害する。
それによって、封印されていたヤヌス・プロジェクトを復活させようとするのだ。
リコ~グリフィンらは、計画遂行に大きな障害となる、ドレッドとファーゴ長官を奸計によりシティーから追放し、評議委員も皆殺害してしまう。
しかしリコの狙いは、自分のDNAを基にしたクローン人間の生産により自分が世界を支配することであり、より秩序を強化しようとするグリフィンの計画を利用したに過ぎなかった。

何と言うか、特にどうということもない、如何にもありそうなストーリーであるが、テンポよく展開し、ドレッドにハーシーとファーガソンも協力し、リコの暴走を食い止めるまでの流れは、適度に山も谷もありで飽きずに見せてはくれる。
とは言え、ハーシーにもっと活躍の場~厚みを設けてもよかった気はする。
シンプル極まりない物語の強みか、全く考えさせずに終わりまでそこそこ小気味よくもってくらた。

巨匠ベルイマン映画で主役の常連、マックス・フォン・シドーがもっとも偉い人で出てはいたが、やはりどうにも軽い。
この映画では、彼はその雰囲気だけ醸していればよいか。
「ランブルフィッシュ」のダイアンレインからは程遠いものだが、それも仕方ない。

Judge Dredd002
マスクはよく脱いでしまう。
Tシャツ姿で闘うと、ランボーとほとんど変わらぬ情景になる(笑。
原作では、一切マスクは人前では取らない設定らしいが、その方が法を唯一の拠り所とする主人公の孤絶した威厳が際立つと思う。ハードボイルドさが維持できる。
最後にハーシーとファーガソンによって少し人間的なユーモアも感じさせるのだが。
ドレッドとリコを融合させた所謂普通の人間が、問題を様々に孕みながらも、もっともバランスのある存在と謂えよう。


暑くなって疲れが出てきた折、心身を適度にほぐすために観てもよい映画である。
何も後に残らないところがよい。


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カンバセーション…盗聴…

The Conversation001
The Conversation
1974年
アメリカ

フランシス・フォード・コッポラ監督・脚本・製作

ジーン・ハックマン 、、、ハリー・コール(盗聴のエキスパート)
ジョン・カザール 、、、スタン(ハリーの同業者)
アレン・ガーフィールド 、、、ウィリアム・P・モラン(ハリーの同業者)
ハリソン・フォード 、、、マーティン・ステット((ハリーの依頼者の秘書)
テリー・ガー 、、、エイミィ・フレデリックス((ハリーの恋人)

「会話」では、いけないのか?

フィルムの青みがかった質感が、如何にもプライベートフィルム的な、秘密の画映像という気がする。

サンフランシスコのユニオン・スクエアにいる若い男女の他愛もない会話を盗聴するハリー達。
その会話のテープが多額の報酬となる。
依頼主に直接手渡しということで、持参すると、当人が不在で秘書のマーティンが受け取ろうとしたため、彼はテープを渡さず、持ち帰る。秘密の個人情報を、簡単に代理人に渡すのは彼の信条に反する。
彼は仕事のルールとして自分の録ったデータに個人的な興味を持たないようにしていたが、どうしても気になり再生し、不確かな部分を補正すると、盗聴したペアの命が狙われる事件性の高いものであることを知る。
二人がこの先、ホテルで密会する日時と部屋番号まで知ってしまう。

ここからハリーの葛藤が始まる。
過去にも自分の盗聴が関与して、人が3人死ぬ事件があった。
彼に直接関わることではないが、以後彼を悩ますトラウマとなっていた。
それからというもの、今回も絶えず彼の脳裏に、二人の「会話」のやり取りが思い巡らされる。
「会話」が幾度となく反復される。


ハリーはアパートで、ジャズレコードに合わせてサックスを吹くのが趣味の男。
恋人にも素性を隠す程に個人情報を厳重に秘匿 している。
その為、恐ろしい孤独にいる。
気を紛らわせるものもなく猶更、想念や声の記憶~残響に悩まされる。
通信傍受技術の展示会では、同業者たちと集まるが、打ち解けるわけではない。
彼は、基本一匹狼なのだ。
羽目を外して騒ぐでもなく、冗談や誘いにも乗らず、直ぐに自分に引き戻る。
自分の仕事場で気が静まらず、「会話」を聴き返す。

若い二人のことが気になる。
「死ぬことは恐れることではない。ただ、殺人は恐ろしい、、、。」

ハリーはテープを処分することにするのだが、その前に先を越されそれは持ち去られていた。
実は、ハリー自身もその依頼主から盗聴され動きを監視されていたのだ。
彼は同時に撮った写真を渡し金を受け取るため、依頼主のところに再び足を運ぶ。
金を渡され帰ることにするが、どうしても二人のことが頭から離れず、彼らの泊まるホテルの部屋の隣に自分も滞在する。
早速隣の部屋の盗聴を開始するが、その時恐ろしい事態の起きたことが想像できる声がはっきり聴こえる。
彼はテレビを大音響にし、カーテンを閉め、耳を塞ぎ現実を遮断して暫く籠るが、意を決して隣の部屋へと確認に忍び込む。

隣のすっかり綺麗に整えられ静まり返った部屋を注意深く探るハリー。
大惨事の起こった痕跡はなかなか見つからない。
しかし、トイレを流してみた時、真っ赤な大量の血液が溢れかえってきたのだ!

確かに起こってしまった。
気持ちの動転したハリーは、依頼主に会おうと出向くが警備に留められる。
そしてその前の路に止められたリムジンの後部座席に目をやると、狙われていたはずの女性が座っているではないか、、、。
その後、新聞を確認するハリーはその事態に驚く。

その女性は富豪の依頼人の妻であり、殺されたのは、その依頼人である夫の方であった。
二人(つまり不倫の妻とその相手)は無事であり、財産相続などについて妻が多くの記者たちに囲まれてインタビューを受けている。二人は被害者ではなく加害者であったのだ、、、。

彼は、それを改めて自分の目で確認し、彼女の顔を呆然と打ち眺める。
自分も踊らされていたのだ。
家に戻りジャズのサウンドに合わせてサックスを吹いていると、電話が鳴る。
「君は盗聴されている。」「もう感づいているだろうが、深い入りしない事だ。」という脅しであった。

ハリーは、自分の部屋の隅々までを捜索する。
あらゆる家具と飾りと電気器具に調度品の全てを憑かれたように解体して調べあげてゆく。
いや打ちのめされて破壊しているのだ。
ついに、壁と床まで剥がしてしまう。
しかし、それと思しきものはなかった。
まるで廃墟となったその場所で、彼はレコードに合わせ、いつまでもサックスを吹く。
(ある程度探して見つからなければ、さっさと荷物まとめて他のアパートに引っ越すのが考え易いが、彼の今回のダメージと、名を轟かしたその道のエキスパートでもあるプライドが許さなかったのか。しかし、演奏しているサックスだけは、調べていなかったはず。敢えて調べないのか)。
一種独特のトラウマの光景をずっと観てきた感がある。
(それは、この時期のアメリカの光景にも重なってくるだろう、、、)。


コッポラのヒッチコックテイストのサスペンス映画であった。
大作ではないが、コッポラの隠れた名作というだけのことはある。


プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
日々思うことを綴ってゆきます。
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ることもあります。
悪しからず。
コメント、メッセージ頂ければ嬉しいです。

*当サイトはリンクフリーです。

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