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GOMA28

Author:GOMA28
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複製された男

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Enemy
2013年
カナダ、スペイン

ドゥニ・ヴィルヌーヴ 監督
ハビエル・グヨン 脚本
ジョゼ・サラマーゴ『複製された男』原作

ジェイク・ギレンホール、、、アダム(大学の歴史講師)/アンソニー (役者)
メラニー・ロラン、、、メアリー (アダムの恋人)
サラ・ガドン、、、ヘレン (アンソニーの身重の妻)
イザベラ・ロッセリーニ、、、キャロライン (アダムの母)


ブレードランナー2049」、「 メッセージ」、「プリズナーズ」、「静かなる叫び」、「ボーダーライン」と、ドゥニ・ヴィルヌーヴの傑作映画を観て来たが、これは何だ?明らかに異質であることは分かる。
最初、邦題からクローン技術で生れた自分にそっくりの人間にでも出逢ってしまい、それが事件に繋がるような映画を連想してしまったが、原題は敵である。
しかし原作小説はこの邦題と一緒らしい。何とも言えない、、、。

謎当てクイズか、、、そんなものに突き合わされた感じ。
確かにこの二人の主人公の客観的な存在を確認する場面はない(第三者による目撃はない)。
一人の男が妻と暮らし時々愛人と過ごすことは物理的な不具合はない。
終盤のアンソニーとメアリー の余りのエキセントリックな事故は、ラジオのニュースで語られそうになったところでチャンネルを絶妙なタイミングで変えられる。あれは決別の儀式的なイメージであろう。恐らくそこでアンソニー人格が昇華されたのだ。
実際、アダムがアンソニーを生み出し、弁証法的に(アンソニーとの対立から)新たなアダムになったと捉えればよい。
「一度目は悲劇として。二度目は喜劇として」とマルクスを引いていたように。

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原作がどのような小説なのか、、、
周到に計算された緻密な(トリッキーな)心理劇であることは分かるが、クイズみたいな映画とも謂える。
表象は奇妙に歪みこじれてもいるが、当の世界の真相とは、何のことは無い浮気心の葛藤といったところか。
(「独裁者と支配の仕方」、更に蜘蛛について何度も触れられるところから、母性~女性の支配に対する葛藤という次元もあろうか)。
確かに普遍性はあるにせよ、その心理を確認したところでどうなの、、、である。
どうということもない題材でこれの表わす意味は分かるかね、解読してみなと聞かれているみたいで居心地は悪い。
「カオスは未解読の秩序」とわざわざ前振りしている。解読できれば正解が手に入るということか。
映画でどれだけ小説のレトリックを巧みに表すことが出来るかの腕試しみたいなものにも想える。
蜘蛛の表現などヴィルヌーヴらしく確かに上手い。蜘蛛には縛り付ける母の象徴的意味がありインパクトはある。
絵的に面白くもあるが、やけに暗い画面が多く苛立つところも少なくなかった。
”Blade Runner 2049”、”Arrival”、”PRISONERS”、”Polytechnique”、”Sicario”の思想性からみると、別にそれが分かったところで、衝撃を受けたり感動~共感が込み上げる分けでもない、、、。

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わたしも充分抑圧された人間であるが、それで何かが明かされた分けでもなく確認したところで何なのか。
実はキャストなどをいつものように調べているうちに監督のインタビューの抜粋を見てしまったことで、一気にやる気を失くした。
他の評論家の言なら別に気にせず自分の感じたことを書いていたが、作者~権威の言葉はやはり重い。またそれを知らずに書いて後で知るのもシャクである。まあ、納得は出来るものだが、監督の明かすことではないと思った。作品は独り歩きさせないと。

そもそも自宅でレンタルした映画をたまたま観たら、自分にそっくりの俳優が出ていた、くらいで普通こんなにパニックになって動き回るようなことは無い。「へ~こいつ、おれにそっくりじゃん」で終わりだ。それがトリガーになるところからして心理的(深層心理的)に絡んでくるメンドクサイ映画だなとは嫌でも察するが、それに付き合うかどうかはその内容~物語次第だ。

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いくら緻密に描かれていても脳内画像=イメージがこんなに明瞭に実体化した姿で文脈に錯綜して入り込むと~回想と現実ではない~一種の病的心象にもなり違和感が大きくなるだけ。
但しこれを解離性同一性障害ととると、通常ある人格が発動しているときは、他人格は眠っているものだ。
このようにはっきりと人格同士が恐れ対峙し合う場面は極めて特殊と謂える。
完全に脳内イメージ~白昼夢だとすると無理を感じる描写だ。
そこが見辛いところだったか。暗い画面と相まって。

それにしても巧みだと感心したところは、ヘレンがアダム(これもまた象徴的な名だ)に逢いに行き、お腹の子のことで二言三言話して、そのまま彼は講義の時間だと言って去ってゆく。その後ろ姿を見てアンソニーに電話をするが、彼が建物に消えかかるその絶妙なタイミングで繋がる。
この辺で彼らは二人存在する余地も持たせる。
ミスリードを誘うというか幾つかの解釈の余地を残したいところか。
ドッペルゲンガーで押し切ることも可能ではないか。
いやわたしが最初に勝手に連想したクローンでも行こうとしたら行ける。

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まあよく出来た作品なのだろうが、ヴィルヌーヴの他の映画のような満足感はなかった。
メタファーがあっても良いがそれが主体では、楽しみ方が違って来る。
それより「デューン」が待ち遠しい。




AmazonPrimeにて
恐らく3月いっぱいで配信終わり。










籠の中の乙女

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Dogtooth
2012年
ギリシャ


ヨルゴス・ランティモス 監督
ヨルゴス・ランティモス 、エフティミス・フィリップ 脚本


クリストス・ステルギオグル、、、父
ミシェル・ヴァレイ、、、母
アンゲリキ・パプーリァ、、、長女
マリー・ツォニ、、、次女
クリストス・パサリス、、、長男
アナ・カレジドゥ、、、クリスティナ


聖なる鹿殺し」の監督による処女作品。ブラックコメディと言うべきか、、、
同様の不条理で残酷な日常世界が描かれるが、より粗削りで生々しい。
その分グロテスクな狂気が際立つ。
まず面白いのは、子供たち(長男、長女、次女)に名前がない。
名前があると不可避的に自我の形成を呼ぶからか、、、これには虚を突かれた(笑。
確か犬には名があったはず。かれらは犬程にも人権がない(爆。
外から運ばれてくるクリスティナだけ名前のある人である。つまり普通の人。

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家~家庭とは、悪い意味での「カルト」であることが少なくない。アメリカで謂われる「破壊的カルト」に当たる。
わたしの育った「うち」もまさにそのカルトに他ならなかった。
さてこの映画での家もまさにそのカルトだ。
その異様な独善的で排他的な閉塞空間。父は大きな工場を経営していながら異常に外~社会を嫌悪している。
外に子供たちを出すと汚れてしまうという極端な過保護と潔癖主義、、、いや常軌を逸した思い込み~病気であるか。
時間を締め出し子供を箱庭の中で消費し尽くそうとする。子供たちは驚くほど従順だ(今流行りの反抗期の無い子供以上に)。

同時に外を如何に消し去るか。
(国単位では北朝鮮が行っている)。
ことばの意味も全て変え、子供たちの思考が外の文脈に接続しないようにする。
完全な文盲状態であり外~社会と繋がろうにもどうにもならない状況に置く。
それで異様な遊びが内で創発される。
ホントに異様な気味の悪い遊びを思いつく。(熱闘に指を突っ込む我慢競争とか、ホルマリンを嗅いで早く起きた方が勝ちとか、人形をハサミで刻んだり、猫を殺したり、兄の腕をナイフで切ったり)。

父は長男の性的欲求の処理の為に自分の経営する会社から女子従業員を目隠しをして車に乗せてきて、相手をさせる。
だが、彼女が妹に外部の文化~映画ビデオを貸す。それによって映画の中の「物語」を本来のことば共々吸収し始めた。
まるで家(箱庭)の中の物語とは異質であることを知る。つまりこれまでの自分の世界を相対化する思考が芽生える。
これに気づいた父は戸惑い激怒する。
娘をビデオで叩きまくり、貸した女の頭をビデデッキで叩く。大丈夫か。
こうした専制主義者が逆上すると暴力に訴える~虐待するのは常である。

そして虐待の極みは、外からの女の供給は危険を伴うことから、姉妹に兄の相手をさせることにする(選ばせる)。
兄の自我がまるで育っていないことが、これにすんなり従うところからも分かる。ピアノとギターは上手いのに、、、。
生理的に不快を感じずにそれを受け容れる身体性が出来ているのだ。
近親相姦の薦めを父親がするという究極の規範意識の解体、いや希薄さか、これでは一般社会で生きられまい。
また重要なのは、母が全面的に父に依存しており従順に従っていることだ。これは大きいとしか言えない。
夫婦共に完全にイってしまっており完結している。閉じた構造が出来ている。

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両親の結婚記念パーティーで長男の弾くギターで二人の姉妹がダンスを披露する。
或る意味、ここが一番の見どころか。
所謂、ダンスというものを観たことがない二人である。シンクロしていることから相談して作っていることは分かるが、、、
役者が素晴らしいことを認識するシーンでもあるが、初めて見る前衛創作ダンス、それも思い切り稚拙で奇妙で面白いもの。
この子供たちの状況を象徴的に表すダンスであった。これはホント見ものだ。まず他では見れない。

外は悪である、とは言え子供たちも外があると謂うことは元々(漠然と)知っているのだ。
物理的に門の外は外界であるから。
そして父は抜けることがない犬歯が抜ければ外に出られるという掟~法を定める。
成人すれば抜けると子供たちは勘違いしているが、歯も抜けなければ成人への道も閉ざされていることから、二重の意味で外に出るのが不可能な完全に理不尽な法なのだ。
永遠に幽閉されて朽ちるしかない運命にあるが、血を流せば出ることも不可能ではない。
法を破れば外に出られる、クーデターで自立できるのだ。
外には悪い猫がおりそれが襲ってきたら犬となって吠えるという荒唐無稽な訓練をずっと母も交えてやってきたが、、、。
(その物語に絡めとられている妹は兄が暴漢~例の女に襲われた時も猫が素早く入ってきて襲って行ったと真面目に語っていた)。
今や長女には外に出る~自分の枠(パラダイム)を破り巣立ち解放されたいという意思が芽生えているのだ。
映画で学習したことで動機があり、彼女自身の意志で掟を破り動いた。

犬歯を無理やり叩き割って血だらけになり、そのまま部屋を抜け出し父の車のトランクに入り込む。
家族は、彼女が自分をこう呼べといって知らせていた「ブルース」という名を大声で呼ぶ。
笑うに笑えないシチュエーションではあるが、みんなでブルースと呼びかけ探し回る。
娘は自らに名を付けることから自立を目論んだのだ。

結局、翌朝父はその車で工場に出かけた。車を工場の横に付けたところで物語は突然終わる。
トランクは中からは開けられない。
やがて父親と顔を見合わせることになるであろう彼女はどうなるのか。


何と言うか監督の悪意がよく伝わる映画であった。とても心地よい。


AmazonPrimeにて
後、5日で配信終了。









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雪之丞変化

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1963年

市川崑 監督
和田夏十 脚本
三上於菟吉『雪之丞変化』原作
芥川也寸志、八木正生 音楽

長谷川一夫、、、中村雪之丞、闇太郎
山本富士子、、、お初
若尾文子、、、浪路
市川雷蔵、、、昼太郎
勝新太郎、、、島抜け法師
船越英二、、、門倉平馬
八代目市川中車、、、中村菊之丞
林成年、、、ムク犬
二代目中村鴈治郎、、、土部三斎
柳永二郎、、、広海屋
伊達三郎、、、川口屋
浜村純、、、脇田一松斎


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変身ヒーローものの原型となった作品。
なるほど、、、ここからキューティー・ハニーが生まれたか、、、と思うと感慨深い。
この時代小説を元に、映画やTVドラマ、舞台、歌舞伎、宝塚までたくさんの作品が製作されたことを知った。
その数には驚く。だが確かにスリリングで仇討ちという題材からして日本的情緒も深く、無常観を基調とする馴染みやすい物語になっている。
しかも散文的な作りではなく、映画の中で歌舞伎が演じられるだけでなく映画に歌舞伎が違和感なく浸透している。
本作は、まさに映画という表現形式で出来ることを一杯一杯に詰め込んで見事な芸術作品に昇華していた。
贅沢な映画を観る快感が味わえたものだ。
(映画の苦手なわたしでも宙吊感覚なく心地よい鑑賞が出来た)。

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まずもって役者が強者ばかり。
ここのところ中村鴈治郎ばかり見ているような気がするが、上手いねえ。
ちょい役で出ていた市川雷蔵と勝新太郎のフレッシュで若いこと、、、。
船越英二の幅広さにも改めて感心する。
だが何と言ってもここでは、一人で二人のヒーローを同時に演じ分けている長谷川一夫であろう。
いや~味わい深い。
更に若尾文子の一途で儚げな美はここでは狂気を帯びていた。
もはや存在自体で深く危うい情感を魅せている。
山本富士子の粋でいなせな江戸言葉も大変快感であったが、実に監督の美意識~様式美に従い作り込まれた拘りの映画であった。(ちなみに関西弁なら田宮二郎である)。
このように形式を練って丁寧に作られたものは、心地よい刺激に充ちている。

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歌舞伎や宝塚は観始めると癖になりドップリ嵌ってディープなファンになるとは言われるが、こうした幻想的な舞台のような映画には引き込まれる。
粋なのだ。新鮮に感じた。
そして、これが日常生活に導入できないか、、、とふと思う。

ちょっと、粋な生活をしてみたい。
方法論を考えたい。

まさに変身である。
そっちの方に気持ちが向いてしまう。
こうした形式上の実験作(そういうつもりで作っていないにせよ)を見てしまうと、日常形式も異化してみたくなるもの。
仮面ライダー見てこういう気持ちにはなれなかったが、この映画にはそうした力がある。

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儚げでもいつもは至って強い若尾文子が思いの外、さっと散ってしまってお終いなのが、何とも言えない喪失感である。
仇討ちは如何にも一流役者といった方法でとったが虚しい。しかも何の罪もない浪路まで巻き込み死なせてしまった、、、。
中村雪之丞の心情にこちらも重なりエンディング、、、実に上手い。
邦画でなければ作り出せない世界であった。
(邦画の可能性をここに観た感じ)。



AmazonPrimeにて














女系家族

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1963年

三隅研次 監督
依田義賢 脚本
山崎豊子 原作


若尾文子、、、浜田文乃 (4代目の愛人)
高田美和、、、矢島雛子 (3女)
鳳八千代、、、矢島千寿 (次女)
京マチ子、、、矢島藤代 (長女)
深見泰三、、、矢島嘉蔵
浅尾奥山、、、矢島為之助
中村鴈治郎、、、大野宇市 (大番頭)
田宮二郎、、、梅村芳三郎 (藤代の踊りの師匠)
浪花千栄子、、、芳子 (叔母)
北林谷栄、、、君枝
近江輝子、、、お政
高桐真、、、畑中良吉
遠藤辰雄、、、小森常次


船場の老舗木綿問屋を舞台に遺産相続の骨肉の争いがスリリングに描かれてゆく。
女系(家付き娘が婿養子をとる家)である。女が代々強く、男は小さくなって我慢している感じ、、、。
但し、長女の藤代は一度外に嫁ぎ離婚して戻って来ているところから、抉れる元が出来ている。
遺書もそこを踏まえたものとなっており、直接家を継ぐ形となるのは次女夫婦となっていた。
京マチ子先生がいつになくアドレナリン大放出の闘争心丸出しで激しいこと、、、。
矢島家の誰もが、この船場の格式と女系の伝統に囚われているが、捉え方はそれぞれの思惑によって違う。
それぞれが相手の腹を探り合う対立関係となる。
ただそれが船場言葉で流暢になされるところが心地よくもあるのだ。

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そして矢島家の驚愕の事実がもうひとつの遺書から判明する。
婿として家を発展させ大きな財を成した婿であった温厚な4代目であるが、恐妻に隠れて愛人を作っていたのだ。
矢島家は愛人対策には共闘する構えを取る。
ここでも若尾文子演じる亡くなった4代目当主の愛人が、3姉妹をはじめ遺族から蔑まれながらも最後に自分の権利を勝ち取る。
昨日も勝ったのは若尾文子だけだった。
だが、今回はかなりの虐めに遭いながらも強い意志と策謀で遺産を闘い取る。
4代目の子供を宿していたこともあり、是が非でも成人するまでの経済的支えは必要であった。
一途でブレないところが何よりの強みか。彼女の凄味を感じるところだ。
(だんだんこの女優の器の大きさがわたしにも感じられるようになってきた。と謂うより実力が充分に発揮された作品ではないか)。

また田宮二郎が出てくるところで、噺が面白くなるのだが、ここでもやはり策士のスーパーマンで遺産相続を少しでも有利に持っていきたい京マチ子先生演じる藤代をたぶらかして何やらデカいことをやらかすのかとワクワクしながら観ることが出来た。
しかし彼女の心変わり~諦観で、あっさり頓挫してしまう一寸物足りない感じの収束ではあった。
だが田宮二郎が絡むと一気に噺に緊張感が生じて俄然のめり込んでしまうものだ。
この役者は違うね~。何と言うか完全にその人になってしまう凄味をいつも覚える。
叔母の芳子も見るから如何わしく、世間知らずの3女雛子を抱き込もうとするなど、こちらも同等の策略家であった。

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出産した赤子連れの文乃の登場(二度目の矢島家訪問)によって物語が強引にブーツストラップされる。
大番頭は、かなりのやり手であり余裕を感じさせるこれもまた策士であったが、誰も信じず切り札を隠しもっていた文乃に丸裸にされることに、、、。何と妾にだけ託した遺言があったのだ(ずっと生れて来る子供を守るために隠していた)。
彼はその立場を利用し、秘密裡に財産着服していたことが、文乃の持参した遺書によって白日の下に晒されもはやこれまでとなる。
当主は横流しなどちゃんと知っていたのだ。そして愛人にも全て打ち明けていたのだった。
大番頭宇市 の野心は撃ち砕かれ、放心状態で力を失って項垂れる。
中村鴈治郎の胡散臭さと哀愁は独自の境地に達していた。
彼の裏表の顔の切り替えから次第に苦渋の表情に染まってゆくところなど喋らずとも饒舌な演技であった。


権謀術数を巡らす高次の演技が火花を散らしていた感じである。
構図を配慮した絵も魅せるものであった。
最後に藤代が脱力と共に悟ってしまうところが何とも言えない。とことんやって疲れたのだ。
スマートで切れ者の梅村の御師匠もこれには絶句するしかなかったか、、、。
長女藤代は「一人で生きて行くのが一番強いと、おとうはんが教えてくれた気がします」と家を出ることにする。

若尾文子~文乃の一途なしたたかさが勝ったと謂えるか。

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とても見応えのある重くシビアな映画であった。
この映画にほとんど既視感は感じなかった。





AmazonPrimeにて












しとやかな獣

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1962年


川島雄三 監督
新藤兼人 脚本
池野成 音楽
宗川信夫 撮影

若尾文子、、、三谷幸枝(芸能事務所の会計係、男に金を貢がせ旅館の女将へ)
船越英二、、、神谷栄作(税務署員)
浜田ゆう子、、、前田友子(姉、作家の妾)
高松英郎、、、香取一郎(芸能事務所社長)
川畑愛光、、、前田実(弟、芸能事務所の金を横領)
伊藤雄之助、、、前田時造(父、元海軍中佐)
山岡久乃、、、前田よしの(母)
小沢昭一、、、ピノサク・パブリスタ(偽外人のジャズシンガー)
山茶花究、、、吉沢駿太郎(小説家)
ミヤコ蝶々、、、マダムゆき(銀座のクラブのマダム)


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晴海団地の一部屋を絶えず行き来する癖の強い詐欺師たちの織り成すブラックコメディ。
彼らの欲求はストレートに金と愛欲だ。
その表現において、伝統芸能のような単純・強調されたグロテスクな様式美が光る。
支えるカメラワークが卓越していた。
どのようにしてアパート一室の狭い限定された空間を縦横無尽な角度から撮っているのか、、、。
相当な工夫と熟練の技を感じる。
役者の演技もシュールでクレイジー。セリフの量もかなりのものでスピード感も小気味よい。
説得力があり、しっかり要所で見得を切る(笑。
アパートの階段も心理状況を描写する実に効果的な舞台装置として使用される。
窓から外の風景や気象状況も家族の内面に呼応していた。

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登場人物が全員、見事に人格破綻しており、自己中心の我欲しかないところがスッキリしている。
三谷幸枝が一番したたかな悪みたいに見られているが、誰もが同じ穴のムジナであるには違いない。
皆が自分のことを棚に上げ、相手(幸枝)に騙され裏切られてこうなったなどと嘆くところがその典型。
近づく=利用される。が、これほど完全に成立しているのも怖いと謂えるが。
結局、この部屋を訪れる男は皆(弟も含め)幸枝と関係を持ってきた者ばかりである。
そして恥も外聞もなく「どうしてくれるんだ~」とか騒ぎ立てる。
厚顔無恥な下品さが充満する。

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慇懃無礼な夫婦の品の無さなどは極めつけだ(この夫婦は不思議と可愛らしくも見える)。
その人物たちの奸計や姑息な駆け引きに惹き付けられる。
かなりの見応えだ。
舞台演出と演技が上手くかみ合っている。
面白いのは、どう見てもバレそうなのにバレない訪問者を隠れて覗くシーンである(笑。
狭い部屋に作家や社長や幸枝が怒って乗り込んできて家族の誰かとやり合ったりしているのを、見つからずに覗き見している者が二人くらいいるのが、なんともコントを観ているような気持になるのだ。これも様式美の一つか。
そう、姉弟でTVの音楽で踊り狂う場面があるが、それが能狂言の音に聴こえてくる。
ノリ自体が能狂言なのだ。動きまでそのように見えてくるのが凄い。(音楽との絡みは秀逸だった)。
その中で前田夫婦は全く異次元にいるかのように落ち着いて蕎麦を食べているのだ。
このシーンがわたしは最も印象に残った。

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結局、税務署員の神谷が警察に逮捕される前に彼らのアパート屋上から飛び降り自殺するが、、、
彼らにとっては、どうでもよい他人事になっている。
しかしここから先、彼ら全員にとって危ない局面に入ってゆくのは確かであろう、、、。
それをよしのの表情に暗示させて終わる。

様式美を追求した味わい深い傑作だ。
この監督作品は、他のものも観てみたい。



AmazonPrimeにて










ホワイト・クロウ 伝説のダンサー

THE WHITE CROW001

THE WHITE CROW
2018年
イギリス、ロシア、フランス

レイフ・ファインズ 監督、アレクサンドル・プーシキン役
デヴィッド・ヘア 脚本
マイク・エリー 撮影
アン・シーベル 美術
ヨハン・コボー バレエ・アドバイザー&振付 
マデリーン・フォンテーヌ 衣裳
イラン・エシュケリ 音楽

オレグ・イヴェンコ、、、ルドルフ・ヌレエフ(バレエダンサー)
アデル・エグザルコプロス、、、クララ・サン(富豪の有力者、彼女)
セルゲイ・ポルーニン、、、ユーリ・ソロヴィヨフ(バレエダンサー)
ラファエル・ペルソナ、、、ピエール・ラコット(バレエダンサー)
ルイス・ホフマン、、、テヤ・クレムケ(バレエダンサー)
チュルパン・ハマートヴァ、、、クセニア・プーシキン(先生の奥さん)
カリプソ・ヴァロワ、、、クレール・モットゥ
レイフ・ファインズ、、、アレクサンドル・プーシキン(バレエの先生)


THE WHITE CROW002

「白いカラス」
主人公の綽名である。
内向的でちょっと気難しい。かなり傲慢(笑。
深い孤独が彼の精神的基調を成していることが窺える。
先生は彼の我儘に只管、耐えるのみ。最大の理解者であるが、、、それだけに苦しい。
アデル・エグザルコプロスが寡黙で内省的な雰囲気で出てくる。
落ち着いた淑女のままであった、、、彼に献身的に尽くすが、、、手応えの無い男であった(笑。
幼い頃の回想はブルーセピアトーンで度々挿入される。
狩りに一緒に行った父は失踪してしまったのか。
やはり絵が綺麗であった。特にルーブル!

THE WHITE CROW004

「ステップとは論理的なものだ。論理を見つけて、従いなさい。そうすれば焦らずともステップは続く。」
「流れと意味を考えなさい。」
分かる。芸術とはそういうものだ。
ソ連からフランスに渡り、街に魅了され美術館や演奏会、舞台などを巡り美を吸収して行く。
徹底的に見て学ぶ。
常にお目付け役の監視のもとだが。

ニジンスキー賞までもらい、才能は評価されている。
自他共に認めている。
他の映画ではなかなか見れない、本人自身の舞がしっかり見ることが出来た。
オレグ・イヴェンコのダイナミックなダンスもそうだが、セルゲイ・ポルーニンの超絶的な動きにも圧倒された。
彼のダンスはもう少し見たいものだ。
やはり役者がその道のプロであることは、映画に裂け目を生じさせない。

THE WHITE CROW003

鉄道オタクで、鉄道模型となると気難しくなる。
「シベリア鉄道は無いのか。」「安物ばかり見せるな。」とか言って店主に激怒したりする。
列車の中で産まれたことが大きいか、、、拘りが凄い。

「技術にばかり時間を割きすぎる。要はどんな物語を見せたいのかだ。」
プーシキン先生の思想である、、、「わたしは何を語りたいのか、これを自らに問うこと。」
ルドルフは、こんな先生から食事に呼ばれ噺をじっくりしてもらい、奥さんには健康を気遣ってスープなど作ってもらっている。
おまけに痛めた脚の看護までしてくれる。
結構な御身分であるが、ソ連は窮屈でならない。

THE WHITE CROW005

確かに上層部に報告を入れると脅されながらの監視付きでは生きた心地はすまい。
ロンドン行きを遮られ、一緒に踊るはずの仲間と引き離されたときは、ついに来たかと思ったものだ。
ルドルフ自身は、そのまま連れ戻されたら二度と踊れないことを悟ったが、周りのフランス人ダンサーにはその意味が分からなかった。KGBの言説をすんなり受け入れてまた今度ねと、心配しながらも行ってしまう人がほとんどであった。
但し、ソ連の彼の友人はその危機を正確に認識していた。彼は直ぐに第三者に頼みクララを空港に呼び寄せた。
彼女しか彼を救うことが出来ない。彼女は事態を直ぐに把握して空港警察に連絡し、迅速な行動をとった。

THE WHITE CROW006

亡命のやり取りには、緊張が走る。
実際、こんな風に亡命が実行されるのか、、、感慨深い。
大変リアルな生々しい亡命の瞬間であった。
「亡命を希望します」と自ら訴えるのだ。
事態を深刻に受け取った友人が早急に動いてくれたおかげであろう。
(こういう時に動いてくれる人が本当の友人である)。
フランス空港警察の毅然とした態度も素晴らしい。
こういう展開となったらもう亡命しかない。一択である。ここで懐柔させられ、のこのこ母国に戻れば命の保証はない。

THE WHITE CROW007

メディアに対して、「祖国には戻らないかも知れないけど、ここが気に入るかどうかも分からない。汽車の中で産まれたのだし、、、。」
こう述べるルドルフ・ヌレエフは率直である。まったく、、、忖度なし。
クララ・サンも彼には振り回されっぱなしであった。
世話になっているのに一言もないがこの先、彼女とはどうなっていくのか(なったのか)、ちょっとは気になる(笑。

アデル・エグザルコプロスが大人し過ぎるが、バレエの躍動感やフランスの街並み(ルーブル)、亡命時の緊張はしっかり味わえる。





AmazonPrimeにて











アナーキスト 愛と革命の時代

Les anarchistes001

Les anarchistes
2016年
フランス

エリ・ワジュマン監督・脚本
ガエル・マーセ脚本
グロリア・ヤコブセン音楽

タハール・ラヒム、、、ジャン(警官、潜入捜査官)
アデル・エグザルコプロス、、、ジュディット(アナキスト、教師志望)
スワン・アルロー、、、エリゼ(アナキスト、ジュディットの恋人)
ギヨーム・グイ、、、ウジェーヌ(アナキストグループのリーダー)
セドリック・カーン、、、ガスパール(ジャンの上官)


ハリウッド映画ならスリルとサスペンス仕立てでかなり恋愛描写も入れてドラマチックに展開するところではないかと思うが、、、
とても淡々と起伏も少なく流れてゆく、、、。

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孤児院育ちの警官がアナーキスト組織に潜入し活動を共にするうちに信用を得てゆくが、組織の美女に恋をしてしまう。
彼は自分の任務と彼らとの関係において引き裂かれ苦悩を深めてゆく。
彼女を巡り三角関係になるが、相手の男が後は頼むと言い残し押し入った富豪の邸宅で待ち伏せしていた警察に銃を向けられた際に自殺を図る。
だがその犯行計画を知らせ警察を手引きしたのが自分であることが知れてしまう。
逮捕されたリーダーは、そのことに激怒しながら引き立てられて行った。
見張りに外に立っていたその女性もその事実を見て取り、怒りに身を震わす。
手紙を一通、潜入捜査官に出しその女性はパリから教師になる為アメリカに渡る、、、。
「エリゼがその事実を知らずあなたを信じたまま死んでいったのは救いであるが、あなたは一生苦しむはず」といった内容である。か彼にとり、呪文のように効くはずだ。

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個人思想としてのアナキストではなく政治組織としてのアナキスト集団であるらしい。
資金調達の為、富豪の豪邸に空き巣に入ったり銀行を襲うなどして資金調達していた。
彼らはそれを搾取されたものを取り戻す行為と称している。
経済的な不公平に対し、社会運動~政治運動が改革に対する有効性を持たなければ、クーデターや市民組織による暴動も起きる可能性はあろうが、これはどの程度の動きであったのか、、、。
警察が潜入捜査をして情報収集するのであるから見過ごせない反社会的行動には違いあるまいが、観た限りでは多くの組織間の横の繋がりなどはなく、そのグループ単位で動き、恣意的で腹いせの行動などが目立った。

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無政府主義といっても今更原始に戻ることなど出来ない。
現状に不満を抱えるグループを超える何かを持っているとは思えないものであった。
冒頭のグループの集会で、ジュディットのエモーショナルな演説があったが、それにすべてが象徴される。
ハッキリとした理想像を掲げ明確な政治理念により具体的にこういう手順を踏んで改革を進めて行くなどというマニュフェスト(ロキシーミュージック懐かしい)が見られない。
組織としてまとまって動きその政治理念を広く大衆にも訴え賛同を得て大きな動きにしてゆくことは不可欠だ。
社会を変えると言うのであれば。
どうみてもそのレベルで動いてはいない。
こうなったらあの検事の家にダイナマイト仕掛けてやる、とかいっており、ギャングみたいなものだ。
今でいえばテログループか。

ジャンは、その後アナキストグループでの実際の活動に対して事細かく尋問され、自分が何者であるのか分からなくなる。
彼もまた悲惨な運命を背負わされたと謂えよう。

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ジャンの実存的な問いはともかく、結局こういうアナキストグループもいたのだということしか分からない。
このアナキストに、これといった感慨もなかった。
社会~共同体に対する不満や怒りは、様々なレベルで多くの人間が抱え持つ。
ただそれを集団を巻き込む政治的ムーブメントにする必然性は感じられない。
それよりも生理的、精神的レベルでの人類の急激な変化(進化)が起きているのは、はっきり分かる。

アデル・エグザルコプロスは確かにヒロインとしての華がある。
アデル ブルーは熱い色」は鮮烈であったが。




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メアリーの総て

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Mary Shelley
2017年

アイルランド、ルクセンブルク、アメリカ

ハイファ・アル=マンスール監督
エマ・ジェンセン、ハイファ・アル=マンスール脚本
アメリア・ワーナー音楽

エル・ファニング、、、メアリー・シェリー(フランケンシュタインの作者)
ダグラス・ブース、、、パーシー・ビッシュ・シェリー:(詩人)
トム・スターリッジ、、、ジョージ・ゴードン・バイロン:(詩人)
ベル・パウリー、、、クレア・クレアモント(義妹)
スティーヴン・ディレイン、、、ウィリアム・ゴドウィン:(父、思想家・文学者、現在書店経営)
ベン・ハーディ、、、ジョン・ウィリアム・ポリドーリ(医者、ドラキュラの作者)
メイジー・ウィリアムズ、、、イザベル・バクスター:(父の親友の娘)


18歳で「フランケンシュタイン」を書いたメアリー・シェリーの御話。

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絵の美しい映画であった。
エル・ファニングであれば当然そうなるが。
音楽もよく合っていた。
メアリーの怪奇小説をお墓で読むのは良い趣味だ。
父の影響が大きい。「他人の思想や言葉を振り払え」「自分の声を探せ」と、娘の人格と能力を尊重し自立を後押しする。
継母とは全く相容れないものであったが、、、。
書物に囲まれた生活環境は恵まれていた。義妹もお調子者だが終始味方であった。
父はアナーキズムの先駆者と称され、(実)母はフェミニズムの創始者と崇められ、メアリーはSFの創始者である。
何とも素晴らしい。
特にSFの創始者とはありがたや、、、(拝。

クレアとイザベルが妙に似ていて紛らわしかった。
(メアリーに対する距離感や性格~キャラと顔まで似ているではないか(笑)。
日本でもしリメイクする機会があれば、この役は上白石姉妹にでも頼んでほしい。

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自己主張が強いがメランコリックな性格は小説家向きに思える。
おまけに母親譲りの情熱家でもある。
思い込んだら周囲の思惑など蹴散らして突き進む。
シェリーからの求愛にこたえるメアリーであったが、すでに彼は既婚者であった。
子供すらいたのだ。その上、妻と子供を蔑ろにしていた。
義母は勿論世間体から、アナキストの父もその不実さから、強くその恋愛~結婚に反対したが、メアリーはそれを押し切ってシェリーのもとに飛んで行く。
その頃は、まだシェリーは父の財産の後ろ盾があった。

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メアリーは、自分の思想を持ち、才能ある男には惹かれるが、常に幻滅を味わうことになる。
特に自由恋愛において。
これは、男女がお互いに実行すると、まず対関係は自ずと解体してしまうのではないか、、、。
それでもメアリーは、泥沼の中でこの関係も繋ぎ止める。
彼女の努力も大きいが、元々魅力溢れる女性であったのだろう(映画ではエル・ファニングである。説得力絶大(笑)。
向こうが折れるのだ。

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自分を尊敬して付いて来る義妹が詩人バイロンに自由恋愛のもと遊ばれて軽くあしらわれる。
しかし彼女にはバイロンの子供が既に宿っていた。
メアリーもシェリーとの間に産まれた天使のような娘を失っている。
娘が高熱なのに、ジェリーが差し押さえを喰い、夜中に豪雨の最中、家から連れ出さなければならなかった為だ。
最愛の者を自由な思想~恋愛や放蕩のツケで失って行く。
シェリーは富豪の父から勘当を受けていた。
もう金もなければ希望も失っていた。
これまで味わったことのない喪失感と日々路頭に迷うような生活に追い込まれる。

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元々持っていたこの世の闇への洞察と想像力が実際の自由意思による行動によって過酷な現実と悲痛な運命をも引き寄せた。
彼女は悪夢~幻視を見る体質もあったようだ。
生活苦や夫の自由な行動に引きづられ、自分の制作もままならぬ状況が続くなか、、、
取り立てから逃げバイロン邸に逃げ込んだところで、連日の豪雨で籠る事となる。
(丁度コロナ禍の現在のように)。
この機に、バイロンとジェリーとメアリーと医者のポリドーリがそれぞれ小説をひとつ書くということになる。
メアリーの鋭い目が輝く。
これまでの艱難辛苦を経て彼女の中に時熟したものがあった。
それが堰を切って溢れ出す。

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彼女は当時の科学に惹かれていた。
その中で生体電気を利用し死者を蘇らせる方法などに深い興味を示していた。
これまでに身を引き裂かれ、最愛の者を失ってきたことにそれは深く結びついていただろう。
こうして死者の体を繋ぎ合わせて作られたクリーチャーの物語が完成をみることとなる。
父である博士は心血を注いで作り上げた息子を全く受け入れることが出来なかった。
怪物は絶望と究極の孤独から悲劇を呼ぶこととなる。
フランケンシュタインの草稿を呼んだシェリーは、とてもよく出来た傑作だが、もっと人の為に希望と美に満ちた明るいものに出来ないかと意見する。
この時点でもう終わってるとわたしは強く感じたが、、、

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まさにメアリーは現実を直視し、想像力を駆使し、ありのままの姿を克明に描いたのだ。
それを描く他になかった。これはシュルレアリスムの先駆けでもあろう。
一切の虚飾や欺瞞を排し夢や希望など何処にもない世界の在り様を描いた結果、グロテスクな怪奇小説となった。
多くの出版社が若い女性がこれを書いたと謂うことだけで拒絶する。
結局、出版を受け付けた会社も作者の名を伏せることと序文をシェリーが書くことを条件とした。
当然、それではシェリーが書いたと世間は思ってしまうはず。彼女は悶々として過ごしていた。
父や母が闘った当時と何も変わっていない現実と彼女も闘うこととなる。
しかし「他人の思想や言葉を振り払い、自分の声によって書き上げた」傑作を父はいち早く評価する。
義妹もわたしのようにこの小説に深く共感する人は思いの外多いはずと彼女を励ます。
父もシェリーも著者は彼女であることを声高に告げ、第二版から彼女の名が冠されることとなる。

彼女と共に小説を書いたジョン・ウィリアム・ポリドーリは「吸血鬼ドラキュラ」を書いて出版するが、これもバイロン作であろうと噂され遂に正しい著者の名が作者名として本に記されることは無かったという。
ポリドーリは失意の中、鬱病となり25歳で自殺してしまった。何と言うことか、、、。
初めて知った。驚いた。



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キューポラのある街

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1962年

浦山桐郎 監督
今村昌平、浦山桐郎 脚本
早船ちよ『キューポラのある街』 原作
黛敏郎 音楽

吉永小百合、、、石黒ジュン(長女・中学三年)
市川好郎、、、石黒タカユキ(長男・小学六年)
東野英治郎、、、石黒辰五郎(父、鋳造工)
杉山徳子、、、石黒トミ(妻)
鈴木光子、、、金山ヨシエ(ジュンの友達、サンキチの姉)
森坂秀樹、、、サンキチ(タカユキの友達、朝鮮人の同級生)
浜村純、、、サンキチの父(朝鮮人)
菅井きん、、、美代(サンキチの母、日本人)
浜田光夫、、、塚本克巳(鋳造工、ジュンの親友)
北林谷栄、、、うめ(その母)
殿山泰司、、、松永親方
川勝喜久雄、、、ノッポ(高校一年、不良)
日吉順子、、、中島ノブコ(ジュンの友人、社長の娘)
下元勉、、、東吾(鋳造試験場技師)
加藤武、、、野田先生(ジュンの担任教師)


川口市の鋳物工場の直立炉を指してキューポラと謂うそうだ。
この映画の評判は何か(何処か)で知っていたが、漸く観ることとなった。

吉永小百合の映画を初めて見ることともなった。
流石に表情だけで魅せる。
「お父ちゃんは、無知蒙昧よ!」「いけないことは、親でもいけないわ」と、ズバッとぶった切る(笑。
弟を誑かしたノッポには容赦なく背後の何とか組には、躊躇なくズカズカ入り込み親分に堂々と文句~正論を謂う。
更に「あたい家の犠牲になんてなりたくない!」
そして「自己中心主義!」父ちゃんに言い放つ。
ビンタン貰ってもキリっと睨む。明晰でいつも凛としていて良い(笑。

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父は腕の良い職人であっても、頑迷で大酒呑みで粗暴とくれば始末に悪い。
母の内職ではどうにもならず家は困窮を極める。
ジュンもパチンコ屋でバイトをするが、中学生である。続けられない。
学業優秀なのに家の事情で専念できない。
幸い親友の父と同じ職工で労働組合員の塚本や担任の野田先生が何かと支えてくれる。
ヨシエやノブコも良い友達である。
弟も世話を焼かせるが、良い奴だ。
経済的には大変苦しいが人に恵まれてない訳ではない。
しかし朝鮮人のクラスメイトのヨシエなどとても素敵な親友であったが、引き離されることになる。
(わたしとしてはヨシエの行く末がとても気になってしまった)。

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当時の小中学生は、しっかりしている。
社会情勢、家庭環境がそうさせる部分は大きいが、とても自覚的な生を生きている。
ビビットで逞しい。ジュンは特に。快活で直向きと謂うより、現実に接する(触れる)直接性~純度が高い。
半面、自分の状況に対して逃避~否定的な者は厳しい境遇に嵌り込んでしまうだろう。


この物語、ヒロインのジュンの感情と考えの動きに身を任せていれば充分に堪能できる。
貧しく過酷な生活の中で、物事をしっかり見つめ、何事も諦めずに最善の道を選択して行くところに自然に感動を覚える。
また、やんちゃな弟が良い。ヒロインの弟という立場で、これほど濃密に描かれる人物像を見たことない。
そして朝鮮人の友人とその弟がこれまた実に良い味を出している。
(しかしそのホクセンに渡った人たちは、プロパガンダとはおよそかけ離れた過酷な現実が待っていたようだ)。

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ディテールも映画としての絵もとても精緻に描かれ~撮られている。
列車が幾つものエピソードの中、町の向こうを走ってゆく。橋の下を走り去ってゆく。
ホントに列車がその場面を雄弁に語る。
まさにわたしの友人の絵描きのS君の画布を観る思いだ。
風情のある下町の間を抜けて行く列車の産む光景は特別な郷愁を呼ぶ。
自転車もよく走るが、ジュンはヨシエからお別れに自転車を貰う。
様々な交通がジュンに幅広い考えを齎す。
結局、彼女は就職し定時制高校で学び自立を図ることとする。
生活経験全てが学びとなるという思想である。
多様性を認め幅広い思考に目覚めて行く。こんな女子高生がいたらそれは素敵ではないか。


彼ら北朝鮮帰還事業で帰る人たちは、上野駅から電車で新潟に行き、船で北朝鮮に向かって行った。
横田めぐみさんも 新潟市に転居後、拉致被害に遭った。
皮肉にも新潟である。窓口として開けてしまったか。

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このジュンという少女、若尾文子がやってもとても器用に熟すのは目に見えるが、この爽やかなインテリジェンスはやはり吉永小百合だなあと感じた。
とてもはまり役であった。





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シモーネ・バイルズ ~ 金メダルへの道

THE SIMONE BILES STORY001

THE SIMONE BILES STORY: COURAGE TO SOA
2018年

ヴァネッサ・パリーゼ監督
ケリー・フラートン脚本


ジャンテ・ゴッドロック、、、シモーネ・バイルズ(天才体操選手)
キャスリーン・ローズ・パーキンス、、、エイミー(コーチ)
ジュリアス・テノン、、、ロン(祖父)
ティシャ・キャンベル=マーチン、、、ネリー(義祖母)



世界体操競技選手権最多メダル数25個の世界記録を持つ体操選手である。
超人的と謂うしかないが、2020年に照準を合わせていたが、どうなることやら、、、。
(どの選手にとってもそうであるが)。
モチベーションと体調維持はホントにアスリートたちにとって大きな課題であろう。

THE SIMONE BILES STORY002

シモーネ・バイルズは実母が薬物及びアルコール依存症であることから、子供の保護能力がなく、親元を離れ祖父と義祖母との間に法的に養子縁組し、親子として暮らすことになる。
祖父もそうであるが、血の繋がりのない祖父の妻が大変深い愛情を彼女に注ぐ。
この新たな家庭に落ち着いてから、彼女に体操の並外れた才能が見いだされ、ジムに通い出すが、6歳から今現在までコーチを務めるエイミーと出逢ったことも大きい。まさに二人三脚による努力の歴史である。
差別や虐待にも遭い、ADHD絡みで悩むことも多かったが、確かな叡智を持つ強力な支援者に恵まれたことも確かだ。その意味では恵まれている。
(確かに落ち着きがなく、失敗しては泣きべそばかりかいていた)。
映画でもはっきり謂われていたが、新たな家族が出来たことが大変良い結果を生んだのだ。

ADHDであるにも拘らず、並外れた集中力を発揮できた為の偉業であろう。
運動神経が特別優れていようが、それだけで優勝をさらえるほど競技は容易なものではない。
彼女は決して初めから強靭な意志や資質を備えた人ではなく、人一倍迷い悩んだ末に現在に辿り着いたことは推察できる。
これは医者やコーチ、そして祖父や養母の支援・協力の元、独自の方法を生み出す努力があった為だ。
ひとつに、日記を効果的な利用がある(養母に勧められてから継続している)。
大きな目標を立ててからその実現に向けての細かいプロセスを練ってゆく形だ。

スポーツ以外の社会問題にも積極的にSNSなどを通し発言している。
アスリートである前に人間です、という立ち位置は正しい。
(最近では、大阪選手の活躍が目立った。あの行為に対し、アスリートが政治問題に介入するなみたいな批判があったらしいが、別に介入して何の差し支えがあろう。選挙にだって行くんだし。しかも基本的人権~生存権は、政治以前の問題である)。

THE SIMONE BILES STORY003

彼女が挫折を幾つも経て(やはりADHDは集中を要することに対し多くの困難を伴うものか)成功を掴んでゆく過程には、こちらも嬉しくなる。自然に応援する気持ちが湧くものだ。
今度の東京オリンピック、全く何の興味も無かったが、彼女のような人が活躍できるなら、開催に漕ぎつけて欲しいと初めて感じた。


ジャンテ・ゴッドロックという女優の身体の仕上げが凄いものであった。
やはりアスリート役をやるには、あそこまで筋骨隆々に持っていく必要があるのだ。
プロ意識をヒシヒシと感じた。



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アリス・スウィート・アリス

ALICE SWEET ALICE001

ALICE SWEET ALICE
1976年
2015年レストア
アメリカ

アルフレッド・ソウル監督
アルフレッド・ソウル、ローズマリー・リトヴォ脚本
スティーヴン・ローレンス音楽


リンダ・ミラー 、、、キャサリン・スペイジス(母)
ポーラ・シェパード 、、、アリス・スペイジス(12歳の少女)
ナイルズ・マクマスター 、、、ドミニク(ドム)・スペイジス(父、キャサリンの元夫)
ブルック・シールズ 、、、カレン・スペイジス(妹、9歳)
ジェーン・ロウリー 、、、アニー・デロレンジ(叔母)
ゲイリー・アレン 、、、ジム・デロレンジ(アニーの夫)
キャシー・リッチ 、、、アンジェラ・デロレンジ
ルドルフ・ウィルリック 、、、トム神父
パトリック・ゴーマン 、、、パット神父
ミルドレッド・クリントン 、、、トレドーニ夫人(トム神父の家政婦)
マイケル・ハードスターク 、、、スピナ主任刑事
トム・シニョレッリ 、、、ブレナン刑事
ルイーザ・ホートン 、、、ホイットマン医師


レストアとは言え、年代物感がしっかり残っており、雰囲気の良い映画に仕上がっている。

小学生用の黄色いレインコート
プラスチックの女のお面~このお面が気味が悪い。
これでトリッキーな殺人事件が続いて行く。
キャサリンがいみじくも語るが、「人は物事を自分の見たいように見る」、、、そのとおりだ。
冷静に見れば、体格が同じくらいでも小学生と初老の婦人では明らかに肌の色艶も異なり雰囲気から分かるもの。
そうもうひとつ、白いソックスだ。この辺で嫌でも歳恰好が違うことは察知できるはず。
アリスの平時の行いの悪さが~当てつけが人々の目を彼女に向けさせる。
親に疎外され親の愛を欲する少女。

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そこに根深く横たわるのがキリスト教。
いや神父への愛か
両方の綯交ぜとなった感情か。
やはり宗教~狂信は殺人を正当化する。
自らの信じる教義の為なら悪魔は退治しなければならぬ、と。
悪魔的に不安を煽る人物は配置されてはいるが、殺人犯は別の人物であることは分かる。

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愛情に飢えて常軌を逸する少女と狂信者の婦人の行動が「同じ黄色いレインコートとお面」~記号によって交錯する。
演出によって巧みにミスリードを誘うが、、、。
ただし、トレドーニ夫人にそこまでの凶行を強いる理由が、少なくともキリスト教徒でないわたしには全く分からない。
告白という制度で内面からがんじがらめに抑圧された教徒でないと共感は無理である。
批判ではなく殺害、しかも厄介者の少女に罪をなすり付けるこの凶行を神のもと正当化するこの排他的精神~異端に対する態度は凄いものだ。
(しかし本人もしんどい精神状態であろう。ダダかロックで内的にぶち破るしか出口はないなこれは)。
何と言うか物語~演出的には、アリスの悪ガキ振りがエグイ為、太った大家の猫を殺すし、嘘発見器もぶち壊す飛んでもない奴という悪印象ばかりが積み重なる、、、そもそもあのような不気味な恰好をして悪戯をすること自体やはりアリスも尋常ではないが、この流れではアリスは最低限、病院送りだろうなと思わせる。

ALICE SWEET ALICE002

序盤の聖餐式であっけなく殺されてしまう妹カレンに対する妬みであるが、この物語、妬みが宗教絡みで根底に渦巻いている。
極め付きは、トレドーニ夫人がトム神父の首を刺し殺してしまう最後の場面だ。
そして教会はパニックとなり、皆が現場に駆け寄る中、アリスは逆行し、手にはトレドーニ夫人の紙袋が握られていた。
彼女は無表情で血塗れの包丁を確認し歩いて行く。
彼女がこの先を引き継ぐ雰囲気を漂わせ、、、。


最もホラーだったのは、ヒロインのポーラ・シェパードがこの時、19歳であったという。
体格、表情からして、嘘・信じられな~いの世界であった(笑。




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テルマをまた観た

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Thelma
2017年
ヨアキム・トリアー監督

文句なしの傑作だが、、、。
トリアー監督って、他にもいた気がするが、、、。
気になって自分のブログ内を検索してみたら、何と、、、

メランコリア」のラース・フォン・トリアー監督がいた。
わたしの好きな監督で、大好きな映画だ。そうだった。そうだった(笑。
、、、それは良しとして、、、

何と、、、このヨアキム・トリアー監督の「テルマ」も観て感想書いてるではないの、、、!?
どうなってるんだ(謎。
これは笑い事では済まない。
(2600記事あるともう何書いたか分からなくなってはいるところはあるとは言え)
ついに痴呆症が始まったのか(ガ~ン、、、
である。
暫し唖然。

恐るべきことに割と最近、2019.07.05 に観て書いたことを、全く忘れていて、とても新鮮な気持ちで観ていたのだ。
(普通、題名を失念していて、見始めたところで直ぐにこれ前に観た、と気付くというもの)。
しっかり見終わり、う~ん、これは傑作だ、と思い、この監督の名前見覚えがあるな、、、
ということで、ブログ内検索したところで、驚愕の事実発覚である。
ちょっとやばいではないか、、、。

どうせなら。忘れたまま感想書いて、その当時と現在の感覚~思考の違いを比べてみたら面白かったかも。
しかしそれはもう遅い。
以前書いたと知って、また書く気にはならぬ。
読み返してみると、今より気の利いた整理された文章になっている(苦。
それはもう、KADOKAWAシリーズ観てしまおうとばかりに「東京おにぎり娘」とか立て続けに観ている昨今、何だか訳わからなくなっているところは否定できない(爆。
やはりわたしも自分の観たいものを観ないと。変な抑圧を加えるものではない。
いやそういうことより、自分の感覚~思考が危うくなってきたのかも知れない(恐。

わたしの場合、感想は100%自前の思考のひねり出しである。
であるから、生で揺らいでて自分にとって分かり易い。混乱した動きだな、とかこれはもうへばっているとかもよく察知できる。
やはり基本は変わっておらず、波の揺れ幅といったところだろうか、、、。
(しかしこれを機会に以前の文章を読み返してみたい。これまでほとんどしてこなかったことだ)。
そういえば、少し説明が足りず勢いで書いてしまっているところでは、面倒なこともあった。

以前、コメントで(その前後にやたらと長く、何に対してのコメか分からぬとぼけた変な文が送られて来たこともあったが)わたしの感想の文章から知識として一部引用しているといった人もいた。
これにもぞっとした。
わたしの文の一部をコンテクストから抜き取り、この作家はこうだなんて、他の文章中に固定挿入されたらホント困る。
思考の流れ~過程が何処から掛かっているか分かった上で読み込んで欲しい。
恐らくその部分をあっさり切り取れる人はその流れ~全体は読んでいない。
確かイヨネスコのところだった。
わたしは彼女のことなど(知識として)何も知らないが、その娘の生き方からしてこのような起源が母~娘間に感じ取れるという意味で書いたが、イヨネスコとはこういう人物だったと単純に受け取られるのは困る。


横道に逸れたが、今はまた新しく素敵なコメを寄せて頂くブロ友さんや、TwitterやFacebookに来る友人のコメも貴重で刺激になることも多い(彼らの場合、メールや電話で来ることもある(笑)。

昔書いたものは生物学的にもある意味、他者によるものである。
この機に読み返すのは面白いと思った。



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