20080807~20130807

娘たち5歳の誕生日です。
大きな記念日の翌日なんですね。
ちなみに、今日は「バナナの日」だそうです(笑)。
これは、どうにも使えない(苦)。
上の娘は、低体重で生まれたので、NICUに入っていて、暫くの間は私しか彼女には面会できませんでした。母親はまったく会えない。私は何か得意になっていました、特権階級のような。
生まれた日に私が抱くと、見えているのかどうか判りませんが私を正面から見て、こんな小さな手でよくこんなに強い力で握れるなと思うほどの力で私の袖を握ってきました。そして後で腕を見ると、緑色のうんちが付いているのに気づきました。これが私と長女の初日の出来事、今でも鮮明な思い出です。それから毎日、入り口で白衣と帽子、マスクを着け、手をよく洗っての面会が続きます。長女はNICUに入っている子の中で泣き声の大きさは1番だったそうです。おかげでミルクにはしっかりありついていたようで。保育器の中では、泣いたりひたすら手足をばたつかせていました。右足首に点滴の針が刺されていて、鼻にはカテーテルが入っており、何とも切ない気持ちでガラス(プラスチック?)越しに見守っていましたが、本人もそれがうっとおしかったのでしょう、あるとき暫く愚図っているうち、なんと鼻から管をぐいっと引き抜いてしまったのです。長いカテーテルを!これには驚き、直ぐに看護婦さんを呼びましたら「とっても元気がいいんですよお」とにこにこして手際よく対処してくれました。多分、度々やっていたんでしょう。
長女は、次女より1ヶ月遅れで退院し、家にやって来ましたがその後も随所でびっくりするくらいの腕力を見せてくれています。
次女は、母親と並んでベッドに寝ていました。彼女は家族全員、親戚も含めがやがやと入れ替わり立ち替わり人々に取り巻かれていました。話題は誰に似ているとか、他愛のないものばかりです。それを尻目に彼女は一際小さいながらも、かわいいとか言うにはかなり異質な威厳といってもよい雰囲気を漂わせているのです。周りが落ち着かなくても不思議に彼女のいる空間だけは静謐さを保っていました。次女の表情は、まさに老賢者そのもの、この世のすべてを悟った仏像のように受け取れました。特に時折薄目(半眼)を開けてはゆっくり閉じる瞬きには途方もない時間の重みすら感じられました。
ヒトはあらかじめすべてを知っているが、受肉して知っていたことすべてをこの世で新たに学びなおす、ということを何かで読んだことがあります。彼女は後数日間ですべてを一旦リセットして、無邪気なタブラ・ラサの状態で赤ちゃんの役割を引き受けてこの世でのスタートを切るのでしょう。私たちの子供として。このヒトとどんな契約をしていただろう、、、今この時間はもしかしたらかなり大切なときなのではないか、そう思いましたが、あわただしさの中にそう思ったこともすぐに忘れてしまいました。
彼女は5日目くらいに一度、看護婦が体を洗うときに誤って水槽に落としてしまい、危うく溺れそうになりました。それがかなりのショックとして残ったのか(多少なりとも外傷経験となったのか)、3歳位まで頭を洗うのにもとても神経質で水が少しでも顔に付くのをひどく嫌いました。それこそ泣き叫んでいました。上の娘はなんでもないのですが。でも最近、普通に洗えるようになって安心しました。
家に帰った頃にはまったくの赤ちゃんとして収まり、彼女等を文字通り中心にした生活が始まりました。
相変わらず2人ともわけのわからぬところで泣き喚きますが、低体重で生まれた割りに大きくなりました。お喋りで、絵もたくさん描き、ピアノも好きなようで、字が結構遅れているようにも思えますが、これからは勉強に徐々にシフトしていくのかなと思います。姉妹喧嘩だけは何とかならないかと思いますが、そこは大人に成ってもらうしかないです。
何とか曲がりなりにも最初の節目を迎えました。

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