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アーロと少年

THE GOOD DINOSAUR

THE GOOD DINOSAUR
2015年
アメリカ
ピーター・ソーン監督

ますます冴え渡るピクサーである。
(スティーブ・ジョブズもさぞお慶びのはず)。

技術がともすれば先行してしまうCG映画であるが、これは物語も素晴らしくよくできていた。
最初は、環境描写に対する主人公の恐竜に面食らったが、直ぐにその愛らしさに馴染んでしまった。
通常、1つの絵に異なる形式の造形要素は、違和感しか生まないものだが、キャラクターの魅力でストーリーの内に溶け込ませてしまった。
恐竜の非現実的な質感以外は、まことに精緻な自然描写である。
特に透明な川の叙情的な流れの表現はここまで来たかという感慨を持つ。
であるから、氾濫する川でのパニックシーンのきめ細やかで荒々しい描写には圧倒された。

何と言っても人間と恐竜が逆転した立場にいるのは秀逸なアイデアと言える。
物語を語るのは、恐竜である。まるでヒトである。
これまでだったら「ぼくがアーロと出逢ったのは、、、」などと少年による進行となったはずだ。
まさか、恐竜が畑を耕したり養鶏や放牧して生活設計して暮らしてるとは。
定住しており、狩りはしていない様子。
言語が無ければ出来ないような繊細な行動と、生活様式をとっている。
特に子育て。父親の、手のかかるアーロに対する愛情の示し方である。
そしてアーロは、父を失った洪水に対するトラウマを抱え、その克服に向け、少年を助けるため自ら洪水に飛び込む。
身体レベルの言語認識の書き換えを狙った行為である。
人間は、吠えるだけで言葉がなく、臭覚が発達していて獲物を追って暮らしているだけのようだ。

家族を丸い線で囲って示し、お互いを理解しあうところ。
翼竜に拐われた少年を助けに行くときに現れたお父さんの幻影。
最後の少年を彼の同胞である人類に渡すときの切ない別れ。
この辺は描写の素晴らしさで、泣けてくる。
非常に情景が細やかに良いリズムで、描かれてゆく。
このタイプのストーリーであると、まさに描写にかかってくるものだ。

VFXというより、演出の妙とも言うべきところが、特に漸くアーロと少年がアーロの家の間近まで戻った時に翼竜が襲ってきたシーンである。
まるで、天地の逆になったジョーズである。
このヒレに見える翼のシーンは恐怖を掻き立てるに充分なものだ。
この緊迫感と不気味さは技術以前のシーンの想像の問題である。
同様に、お父さんがアーロを元気付けるため夜の草原へと連れ立ち、そこで尻尾を振って蛍の群れを立ち上らせるシーンである。
宮沢賢治の童話のように美しい。
物語がよく練れているものは、このようなハッとさせられるシーンが必ずある。

更に、ひ弱なアーロを通し、恐怖にどう立ち向かうかがアーロの成長と絡め、テーマとなる。
ここで、大切な役目を果たすのが、旅の途中で出逢う、ティラノザウルスである。
彼が早く亡くなったお父さんの後を継いで、恐怖に対する心構えに気づかせてくれる。
このティラノザウルスとの出逢いから、アーロはめだって逞しくなってゆく。

それにしても、アメリカ人は、鮫を恐怖の象徴にするのが好きである。
ここでも鮫の幻影がしっかり使われていた。
ついでに言えば、父と息子の物語はハリウッドの伝統芸に思える。
そして子供の成長のための冒険譚である。アメリカ的イニシエーション儀式としての。
この映画は、極めてアメリカ的な物語の元型を窺わせる。
そう、あの「嵐の恵み」の翼を持つ狡猾な悪党にも、その表情に特に既視感を持つ。
基本的に内容的な新しさはほとんど無い。

それを言語を持った文化恐竜と野生人類の子供との絆―友情というパタンで描きかえている。
恐竜とヒトの逆転した関係が、しかし殊の他効果的であるのだ。
アーロが余りに人間的だが、その分少年がまるで人懐っこいペットみたいであった。
彼がアーロに最初から好意をもっていたことはその接近の様子から窺える。
しかし、本能的にも怖さという概念のない無鉄砲な生き物というのも極端である。
この対極にいるもの同士の関係は、やはりペットの効果をアーロに及ぼす。
ふたりのスリリングで幼気な冒険の体験から、単なる自己中心な甘え意識から他者に対する思いやりと責任感を生んでゆく。
冒険とはそういうもののようだ。(少なくともハリウッドの少年冒険譚の定義上)。

最後は余情をもって、帰るべきところに戻る。
戻ってくるからこそ冒険なのだろう。
身体的に同調できる、綺麗な後味の良い映画であった。


しかし、これ以降はもうこのパタンでは映画はできないと思う。
これ以上の抒情性もなかなか出せるものではない。
いよいよピクサーが孤高レベルに達してきた。



THE GOOD DINOSAUR002



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