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アンナ・カレニナ

Anna Karenina002

Anna Karenina
1948年
イギリス
ジュリアン・デュヴィヴィエ監督・脚本

トルストイ原作

ヴィヴィアン・リー、、、アンナ・カレニナ
ラルフ・リチャードソン、、、カレーニン(アンナの夫で官僚)
キーロン・ムーア、、、ヴロンスキー(アンナ不倫相手の貴公子)

この時点で3回目の映画化であった。

スカーレット・オハラもヴィヴィアン・リーであった。
イギリス人なのに、アメリカ人やロシア人が異様にしっくりする。
かつて淀川さんが「ヴィヴィアン・リー主演のこの作品は、みなさんをアンナ・カレニナの世界に引きずり込むでしょう。」と語っていたが、まさにぴったりのキャストだと思う。
そして言っている意味が深い!

わたしは昨日の「ジェーン・エア」をとても優れた女性に思った。
しかし、「アンナ・カレニナ」をそう思うことは全く出来ない。
ヴィヴィアン・リーが演じているため、薄幸の悲劇のヒロインのように錯覚してしまいそうだが、、、。
恋に溺れた身勝手な女ではある。自分でも「身勝手ばかりでごめんなさい」とは言っており、自覚はある。


そもそもアンナは兄の不倫の仲裁に呼ばれ、それを嗜める役であったのだが、その時に出逢ったヴロンスキーと破滅にまっしぐらの恋に落ちてしまうという皮肉な成り行きである。
しかも、2人が初めて出逢った駅で、後に彼女は列車に飛び込む。
「あなたのことは、何ひとつ忘れません。」と囁かれ胸の中に響き渡り、呆然とした場所であった。
(最初に遭った時も、人身事故があった、、、あれは運命を示唆する伏線なのか)。

この「アンナ・カレニナ」は恋の恐ろしさを完膚なきまでに描ききっている。
確かに当初は、貴公子ヴロンスキーが一方的にアンナに猛アタックをしてくる。
しかも既婚者で子供も持っていると知ってのことだ。(不届きな!)
独身だと勘違いして恋に落ちてしまったのなら、同情に値するが、、、。(相手はヴィヴィアンである、無理もない)。
しかし、アンナもそれに応じてしまう。
そこに、全く母親としての意識ー愛情が発動しないことに、大いに違和を感じる。

俗物ではあるがしっかり国の仕事もこなしている夫と可愛い息子がいながら、彼女は貴公子との恋にのめり込んでゆく。
何の不足もないのに、ただひたすら過剰を求めてしまうところに、人間的な悲劇が起きる。
人の本質はこの過剰を求めるところにある。
といったところを最近とみに話題にもなっている蓮實重彦氏がかつて論じていたが、とても腑に落ちる。
確かそれを、喪失・欠如性に求めた吉本隆明氏を痛切に批判していた際の言説だ。
その過剰さは、ここでは「幸せ」とでも呼べる感情の高揚として実感されたりする。
劇中では、悲劇に至らずルール内で恋と現実(ハレとケ)を上手くコントロールしているご婦人の例も紹介されているが、コントロール出来ているという時点で、それは現実側にいるということであろう。
行って(逝って)しまえば、それまでである、、、。
人は、蓮實氏に従えば原理的にどこまでも行ってしまうものなのだ。


何でも噂のうちは、人々は話のタネとして愉しむレベルだが、公然のものとなると即、排除の対象となってしまう。
それまでとても恵まれた個人的資質と環境を享受してきた人生から、それが仇となり大転落してゆくこととなる。
「あなたのことは、何ひとつ忘れません。」はもはや悪魔の囁きとなっていたが、今更気づいても時既に遅し。

恋の恐ろしさなのか、、、アンナという恵まれた個人にたまたま起きた災難であったのか、わたしにはいまひとつ一般化して考える材料もないため、取り敢えず後者のものとしておく。
しかし、ひとは、この為(この幻想の為)なら何を投げ出し、犠牲にしても構わない、と思ってしまう何と言うか「熱」をもつことがある。
自爆テロだってそのひとつだ。

「愛を盾にすれば全て許されるとは思うな。」われらがカレーニン閣下の言うように、大義を振りかざせば何でも許されると思ったら大間違いだ。
(まさに「コンドル」でもそうであったが)。
わたしは、カレーニン閣下に中盤からしきりに同情してしまった。
結婚生活における愛の更新と反復とは何かを考えさせるものでもあった。
恋愛は、その関係者にとって、昨日の「ジェーン・エア」のように生きる力を芽生えさせるものになったり、このようなテロ行為ともなる。

離婚が承諾されないと不倫関係という不安定で拒絶・差別甘んじて受ける立場が続く。
不倫状態が世間(社交界)に対し極端な閉塞状況を作り出してしまうため、当人同士が濃密な依存状態になる。
しまいに「わたしの人生はあなた次第なのよ。」である。
こうなると相手の一挙一動に懐疑的になってゆく。
不安と抵抗が止めどなく膨張し、身体的にも解体の危機に瀕する。
依存関係は不可避的に死をもたらす。これは、真理である。
(生物学的に言っても、この地球上に死が導入されたのは、細胞が依存して生きる多細胞化を選択したためである。これは全く飛躍ではない)。
恐らくここの次元から、喪失・欠如又は幻想(妄想)が殊更、問題化してくるのだ。


そして何からも逃げきれなくなる。






折しも、トルコはクーデター未遂に終はしたが、危機的状況が続いている。
アンナを失ったヴロンスキーも義勇兵を率いてトルコとの戦いに赴く。

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