北半球の渦は右巻き

お祭が賑やかである。途切れなく、家の前を次から次へと町会ごとに張り合うように練り歩く。子供御輿だったり、大人の本格御輿だったり、両方一緒に並んできたり、水色のユニホームに揃えた鼓笛隊が来たり、、、大きな団扇を扇ぐ者も汗だくである。日中は行列が絶えない。時折下を眺めるぶんには、まるで白昼のゾンビの行進である。距離をもてば。その中に入れば、ポゼッション。ひとりでは到底得られない力が誰にも宿るというもの。共鳴して共振する。狂信することも。単に狂信の程度か種類の差か?イデオロギーとは。毎日のテレビにもうんざりする。点けなければよい。でもお祭は脅迫的に不断に押し寄せる。とてつもないお囃子と共に。出発地点の公園ではこのリズムを途切れさせないために一体何が行われているのか?ともかく外部からの音の洪水には、Rockで防波堤を作る。音を相殺する。今日はPeter HammillのPH7で。
月か地下に住みたい。
日野敬三の短編「星の流れが聞こえるとき」の少女が全身に包帯を巻いているのもよく判る。
固有時との対話を通し、ヒトは何度か蛹に戻る必要がある。
そのときを逸すると手遅れとなる!
ヒトは器である。
どのような風がそのとき吹き込むか。
もしかしたらそれだけのことかも知れない。
それだけのことでせかいがうごいている。
顔を洗ってみる。
確かにデフォルトでは、右だ。

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