インディ・ジョーンズ 最後の聖戦

”Indiana Jones and the Last Crusade”
1989年
アメリカ
スティーヴン・スピルバーグ監督
ジョージ・ルーカス製作総指揮
ジョン・ウィリアムズ音楽
ハリソン・フォード
ショーン・コネリー、、、インディ・ジョーンズの父ヘンリー・ジョーンズ
リバー・フェニックス、、、若い頃のインディ
アリソン・ドゥーディ、、、女性考古学者エルザ・シュナイダー(ナチスと手を組んでいる)
インディ・ジョーンズは、イエス・キリストの聖杯を探しにヴェネツィアに向かう。
父がその探索隊の隊長であったが、姿を消してしまい、父の消息を探る旅でもあった。
最初は、軽くインディ・ジョーンズが何故今のようになったかをあのハンサムなリバー・フェニックスが若かりしインディージョーンズとして再現してくれる。短い尺に鮮やかにまとめられていた。
それを見れば、一応なるほどと、納得できることになる。
ムチを使っているのは、こんな理由だったのだ、、、。帽子も何とも言えない。
(動物が次から次へと出てくる、出てくる。シリーズ中最多ではないか?)
ここからやるとは思わなかったが、父子物語でもあり、ルーツから行こうというものだろう。
毎回、ボンドガール調の女性が出てくるが、この作品シリーズは、スピルバーグ版007というものか。
今回は、知的でドライな女性博士であり、聖杯を奪うためなら手段を選ばない。
ジョーンズ父子も手玉に取られ、ナチスとも手を組んでいる。
しかし学者であるためか「焚書運動」には生な感情を見せる。
ここでもからくり部屋はお約束で出てくるが、入れば必ず夥しい何かがウジャウジャしている、、、。
出来ればスキップしたいところでもある。
本作は、ねずみの大群がもう気持ち悪い。これまでで一番キツイかも。
どうしてもこの手のものを見せなければならないのか、、、。冒険だからなのか。
われわれがねずみを気持ち悪がるのは、当然だ。
地上の湿地帯を争った動物の最大のライバルだったからだ。
集合無意識にも当然暗いトラウマとして刻まれている。
父子関係はハリウッドのお家芸テーマでもあるが、ここでは結構ニンマリさせてくれる。
特に父に何か言いたいなら聞くから言ってみろ、とあらたまって言われ息子が詰まって何もないよ、と返すところは、リアルで共感持てた。
そんなものだろう、、、。わたしも父親と話なんてまともにした覚えがない。
この父子のユーモラスな珍道中で特に面白かった小ネタ?は、自分たちの乗っている飛行機の尾翼を撃ち壊したり、椅子に縛り付けられているのにライターを火が付いたまま絨毯に落としてしまったり、成り行きでヒトラーからサインをもらってちょっと感激してしまったり、こうもり傘で鳥を追い払うことで敵の戦闘機を撃墜したり、、、そしてミスをした時の相手へ(父から子へ)の伝え方がまたよかった。(邦画ではこの間ー余裕があまりない)。
しかし、よくここまでタフなラフファイトを繰り広げられるものだと、感心する。
今回は前回にもなかったボートチェイス、バイクチェイス、戦車での大格闘、飛行船からの飛行機での空中戦、、、
こりゃ、少なくとも考古学者ではない。冒険家でもない。格闘家でもない。
インディー・ジョーンズとしか言えまい。
最後の聖杯にアクセスする時の三つの謎解きには、ワクワクした。
しかもお父さんまで撃たれどうなってしまうかと、ちょっとハラハラした。
最後に、父親のライフワークで探り続けてきた聖杯を目の前に、父自ら息子を助けるためにもういいよということで、収める。
流石にギリギリまで楽しませてくれる究極のエンターテイメント映画であった。
脚本、演出、音響、カメラワーク・撮影全てが熟れていた。
滅多に見れないリバー・フェニックスを見ることができたのもお得感がある。
しかし惜しい人であった。
ショーン・コネリーがかつて自分の出た映画の中でもっとも気に入った役だと言っていたそうだが、かなりのお間抜けで深刻な危険を幾度も呼び込むドジを連発するそれまでにない役柄であったはずだが。
彼は実はこういうのに憧れていたのか?
コントというか、パパ!パパ!と息子がパパの仕業に仰天して叫ぶたびにバカボンのパパを連想するところであった。

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