オデッセイ

”The Martian”
2015年
アメリカ
リドリー・スコット監督
あの「プロメテウス」のスタッフが集まって作ったという。
「ブレードランナー」とは趣の異なる希望に満ちた内容である。
これも原作があるらしい、、、が特に読む気はない。
マット・デイモン、、、マーク・ワトニー(「アレス3ミッション」の植物博士の宇宙飛行士)
ジェシカ・チャステイン、、、メリッサ・ルイス(「アレス3ミッション」の指揮官兼地質学者)
マイケル・ペーニャ、、、リック・マルティネス(「アレス3ミッション」の操縦士)
ケイト・マーラ、、、ベス・ヨハンセン(「アレス3ミッション」のシステムオペレーター兼原子炉技術者)
セバスチャン・スタン、、、クリス・ベック(「アレス3ミッション」の航空宇宙医師兼生物学者)
マッケンジー・デイヴィス、、、ミンディ・パーク(NASA衛星制御エンジニア)
クリステン・ウィグ、、、アニー・モントローズ(NASA広報統括責任者)
ジェフ・ダニエルズ、、、テディ・サンダース(NASA長官)
ショーン・ビーン、、、ミッチ・ヘンダーソン(NASA「アレス3ミッション」フライトディレクター)
キウェテル・イジョフォー、、、ビンセント・カプーア(NASA火星探査統括責任者)
火星の大砂嵐が襲いくる映画はいくつもある。
これもそれが発端だが、圧倒的に重厚で繊細な展開だ。
火星という過酷というより壮絶な環境に、独り投げ出された男。
予め問題も答えも無い未知の状況で、生き残るための問いを立て答えを探る緊迫感に満ちた物語である。
この作品、映画(SF映画)史上燦然と輝く金字塔となること間違いない。
最近の映画では、「インターステラー」と双璧をなす。
地球の40%の重力の問題も、特に違和感なくクリアしていたと思う。
絶望的状況において、あらゆる知識と技術を参集して生き延びる姿をマット・デイモンが見事に体現している。
彼の会心の演技が光る。
地球上でも人はいつも孤独だ。しかし、火星に独りというのは、実際どれほどの孤独か?
その物理状況からしてまさに死とピッタリ隣り合わせなのである。
想像を絶する恐怖と絶望。
観ている間の緊張感は並大抵のものではない。
しかしマーク・ワトニーは、ユーモアを忘れず、絶対にへこたれない。
(確かに船長のディスコミュージックの趣味は最悪かも、、、音楽はこんな時こそ無くてはならないだろう)
こちらとしても、彼が根本にもつ楽天的なムードがなければとても観ていられなかった。
また、ビデオカメラはこういった時に、やはりこころを支えるものとなるようだ。
自分の中の他者と語る最適のツールであろう。
しかし、彼にとって神は全く必要ないものであった。(アメリカ映画としては珍しく思えたのだが)。
他のクルーが残した十字架を、水生成の素材として削っているところが、興味深かった。
空気、食料、水が計算上とても足りない極限的条件下での人の取りうる行動とあり方が問われ描かれてゆく。
マーク・ワトニーがもてる全てをぶつけてその運命を切り開く。
それは知識や判断、技術や突飛な発想にユーモアも含むが、それら総じて「生きる力」によるものである。
知識や計算が十全ではないかも知れない(例えば水を採取する方法、、、等。
しかし、それでもよいのだ。問も答えも一つではない。自分で考えて行動を起こすことこそ肝心なのだ。(わたしの言葉とは思えぬ)
これは、NASAのエンジニアやチーフ(政治的な責任者)や彼を置いてきぼりにしたAress3のクルーにとっても同じである。
デビッド・ボウイの「スターマン」の流れる頃には、わたしもかなりハイな状況であった。
そのあたり、中盤からはハラハラより、ワクワクが強くなり、そして何故か泣ける。
3層構造のドラマが絡み合いつつ極まってゆく。
火星に独り、絶望を再三味わいながらもサバイバルを試みる果敢なマーク・ワトニーの世界。
NASAのコントロールルームの面々の様々な思惑と苦悩と挑戦。(そこに中国企業も絡む)。
Aress3のクルーたちの爽やかな英断。
緊張感たっぷりの3つの場所の葛藤と決断がどれも説得力充分であり、その融合がついに不可能を可能にする。
リドリー・スコットの監督映画で、これほど力強く希望を感じさせるものが他にあっただろうか、、、。
画面が明るい訳ではないのに、明るい映画を観た気分だ。
一人の宇宙飛行士の無事を世界中の人々が見守るのだ。
こういうものがあってよい、とつくづく思う。
彼ならではの圧倒的なVFXと、科学的考証。絵の美しさ。
生きる力を高らかに謳った文句なしの大傑作であった。

