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罪と罰

Marian Marsh

Crime and Punishment
1935年
アメリカ
ジョセフ・V・スタンバーグ 監督
フョードル・ドストエフスキー原作

ピーター・ローレ、、、ラスコーリニコフ
マリアン・マーシュ、、、ソーニヤ
エドワード・アーノルド、、、ポルフィーリー警部

「罪と罰」、ピーター・ローレファンとしては観なければと思ってはいたのだが、、、
ドストエフスキーである。
観るのを躊躇っていた。
読んだのは、遠い昔で手元に本すら無い。


どんなものかな、、、と思って観たが、少しアメリカの所謂、犯罪映画のタッチになっていたかな、という気がする。
原作とはだいぶ違う。
マルメラードフ(ソーニャの父)は出てこなかった。この人物が原作ではポイントとなるはず。
かなり早いうちに、強欲な金貸しを殺害することを決めるが、マルメラードフとの出逢いがかなりの決め手となっていたはず。
ここではその娘、ソーニヤの存在と自分の家族を金で買収しようとする男の出現、その他金関係からくる鬱屈・憤慨などが直接的原因として窺えるか。
ラスコーリニコフの強欲金貸し老婆を殺害する際、義理の妹も居合わせ殺してしまっているはずだが、ここでは金貸しだけである。斧ではなく火消し棒を使っている。
この点で、ラスコーリニコフの苛まれてゆく罪の意識の根拠が少し弱まる感じはする。
ソーニャの悲惨な境遇の描き方も弱さを感じる。(ここでは父が酒飲みであることは明かされるが、娼婦であるかどうかは分からない)。
またその極貧の生活を強いられているソーニャがそれ程貧しくも感じられず、余りに美しすぎるのも御伽噺じみていた。
ラスコーリニコフの姉がここでもモテ役であるが、ソーニャの方が遥かに美しい(この女優が異様に綺麗であった)。

もう少しラスコーリニコフとポルフィーリーとの間の論戦に存在学的な深まりが欲しい。
かなりの心理戦を戦い、双方共に消耗してゆく様はスリリングでさえあったが。(もともとこういう感じであったか?)
原作も3回だったか、、、もっと白熱していったようにも思うが。
優秀なラスコーリニコフが終始劣勢であったのも気になる。彼ばかりが切れて威嚇しいきり立っていた。
ナポレオン的なプライドだけのような、、、。
ポルフィーリー警部のコロンボばりの推理・分析はここでも冴えていた。
たいへんねちっこく、後半に行くに従い凄みと深みを増し、相当な人物に見えるようになっている。
ラスコーリニコフの去った後の、笑い方も近いのでは。
エドワード・アーノルドの芸達者が際立っていた。

ソーニャの信仰心をもち、ひたむきに生きる姿がラスコーリニコフの歪な特権主義的な考えを揺るがす力となっていたことは同様か。結局はその彼女の存在によって、彼は自首することを決める。この筋は、変わらない。


しかし今この件に深入りする用意がない。せめて本を少し読み返したい。ほとんど何も覚えていないのだ(笑。
肝心なところを忘れている気もする。(最近、何でもそうだ)。
また、小説と映画の形式上の違いを前に、印象の異なるところを挙げてみても意味はない。

登場人物の範囲や関係をかなり縮小・簡略化して、的を存在学ー実存主義からクライムものにかなりズラして撮っていることはよくわかる。
それはともかく、、、この映画はこれとして目の離せぬ緊迫したものであった。

ピーター・ローレの汗ビッショリの熱演はやはり光る。
この映画は何と言っても、ピーター・ローレVSエドワード・アーノルドに尽きる。

エドワード・アーノルドの横綱相撲であったが(体型も)、ピーター・ローレの追い詰められてゆく様に同調できる。
しかし、類まれな能力に恵まれ、犯罪学を専門とする割には、容易くやられてしまったな、という感は否めない。
刑事コロンボの「溶ける糸」などの犯人の方がずっと手強い。

但し、この作品は、「罪と罰」に関してギリギリまで突き詰めようとする思想劇である部分は捨ててはいない。
単なる捕物ではない。
その意味でのトリックや巧妙さなど微塵もない。
ペンキ屋が狂気に陥り自白してしまい、冤罪という踏み絵を突き出される。
それは決して展開に役立つのではなく、ラスコーリニコフとソーニヤの実存に投げつけられるものだ。
ラスコーリニコフの罪の意識に決定的に重みを加えたのは、ソーニヤの初めての素直(素朴)な信仰からの逸脱の意思表示である。

敢えて凡人同様の罪を償う素直な気持ちが彼のうちに沸く。
彼は、恐らくこのように、かまってもらいたかったのだ、、、。






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