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欲望のあいまいな対象

Luis Buñuel Portolés

Cet obscur objet du désir
1977年フランス、スペイン
ルイス・ブニュエル監督

フェルナンド・レイ、、、フェルナンド(男の主人公)
アンヘラ・モリーナ、キャロル・ブーケ、、、コンチータ(男を翻弄する女:2人一役)

あの「ブランカニエベス」が忘れられないアンヘラ・モリーナとソルボンヌ大の哲学科に15歳で入学したキャロル・ブーケの2人が一人の女性コンチータを演じる。
単純に女性の二面性を描き出すための演出手法とも思えない。
女優なら一人でいくらでも多重人格を演じられるものだ。
二面性などと書いてしまったが、それくらい誰でももっており、それがなければ、寧ろ病気を疑ったほうがよい。
しかもコンチータは特別な女でもない、常に我儘で思わせぶりな普通の女である。
今流に言えば、ツンデレのうんとアクの強いやつか?!
はっきりメリハリをつけて二面・多面又は多重を分担し表現し分けているとも言えず、二人に一人を演じさせたのは単なる気紛れか。

しかし面白い試みである。観ていてどっちが現れるか、だけでも楽しい。どちらも個性的で優れた女優であるため尚更。

セビリアの街では、日常的に爆破や銃撃テロが起きていた。主人公の間近でも。
先ごろのパリやイスタンブールでの惨事を思い浮かべる。
勿論、TVのニュースで知る情報だが、映画における彼らも不快感はあっても危機感は然程なく、人事のような雰囲気で過ごしているようだった。


物語は、まさに物語られる形で進められる。
いきなり一等車に乗り込んだ初老の男が、追ってきた若い美女にバケツの水をぶっかけるところから始まる。
同席した紳士・淑女は当然びっくりして、そこに至った彼の話を長旅の退屈を紛らわすにも聴きたくなるものだ。
その期待に促され(本人も話したいのもあり)語り始めるという形式である。
それで完全に踏ん切れるとでも思ったか、、、。
(列車に乗ったときは、少なくともその覚悟であったことは確かである)。


内容はただもう、男が如何に耐え、尽くしに尽くしても裏切られ、怒って突き放そうとすると女の方が縋ってくるというお噺である。

初老のフェルナンドの関心は、末若き美女コンチータのことだけだ。
コンチータで心が一杯になっている。
金だけは捨てるほど持ってはいるが、ほとんど役には立たない。
思春期の恋と変わらぬ悶々とした状況から抜け出せない。
思いは深みにはまる一方でコンチータの美とエロティシズムの虜となり、他の情報など入ってくる余地もない。
一途で元気で羨ましい面はあるが、とてもキツイ事はよく判る。
誰もが実感でき、同時に呆れはてる、ある意味凄い噺である。

かなりディテールに分け入り紆余曲折が語り尽くされ、しかも関係は一向に進展しないで結局破綻の模様。
こんな話をされたら、そりゃ面白いに決まっている。相客たちの興味津々なこと。
時折、子連れのご婦人は、こどもを客室の外に遊びに出す。
それはそうだ。内容による。


絵的な演出は大変的確で、説得力があった。
2人の女優が恐らく素晴らしかったせいもあろう。
違和感なく、映像に吸い込まれた。
この面白さの質は何か?
内容的な話について書いたが、この監督もヒッチコックやアラン・レネ同様、少なくとも凡ゆるイデオロギーを寄せ付けない。
プロットやテーマもなく、如何なる超越性にも関与しない姿勢が貫かれている。
各シーン、各要素が技術的な追求によって出来ている。
2人の女優の起用もその要請のうちのひとつだと思えてくる。

こういった作品特有の、シュールなリアリティを強く感じた。


結局、最後は列車を降りて、また彼女に付きまとっているではないか、、、。
背後で爆破テロがあろうが、そんな現実彼らにとっては関係ない。





フェルナンド・レイには、ホントにご苦労様と言いたくなる。

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