エクソシスト

THE EXORCIST
1973年アメリカ
ウィリアム・フリードキン監督
マイク・オールドフィールド音楽
リンダ・ブレア、、、リーガン・マクニール(少女)
エレン・バースティン、、、クリス・マクニール(母・女優)
ジェイソン・ミラー、、、デミアン・カラス神父(精神科医でもある)
マックス・フォン・シドー、、、ランカスター・メリン神父(悪魔祓いの専門家)
マイク・オールドフィールド20歳の時、独りで城に籠り、全ての楽器を操り、2000回以上のダビングで完成させた歴史的傑作”チュブラー・ベルズ”の奏でられる映画。
彼は、この後も立て続けに至高の大作を発表していく。マルチプレイヤーとしてもトッド・ラングレンと双璧をなす存在であり続けた。
わたしは彼の計算し尽くされドラマチックに構築された稠密な音の城壁を、荒馬の如くアグレッシブに駆け巡るギターに随分と痺れたものである。他のアーティストのアルバムに参加しても、彼のギターは際立っていた。
コンポーザーとしても、こんな凄まじい音楽を作る人は他にほとんど知らない。
牧歌的で安らぎの広がる音の平原に突如吹き荒れる悪魔的な嵐、、、不安と悪夢の重奏、、、光を求め彷徨う魂、、、冒険の果てに辿り着く安息の地、、、そんな一大叙事詩を思わせる大作派である。
こういったスタイルでレコードを作る追従者は、とうとう出ずじまいであった。
今になって、この映画のエンディングに重なる寂しさをしみじみ感じる。
(ちなみにわたしは80年代中盤あたりから以降の彼の動向を全く知らない)。
イラクでの遺跡発掘調査に何で神父がいるのかいまひとつ掴めずに見始めた。
ここでこのメリン神父は、悪霊の像を見つけ出す。
悪しき予感から、緊張感が走る。
(よく分からなかったが、ここでその悪霊を目覚めさせてしまったということだったのか)。
父はいないが裕福な生活を営んでいた女優の母と娘に、母の介護に通いながら神父という仕事に疑問を抱きつつ引き裂かれて生きる神父。
この両者が極限的な状況で、邂逅することとなる。
どの医者にも見放された怪奇(憑依)現象に苛まれる娘と、苦悩を極めるその母親は、ついに精神科医で神父でもあるダミアンに最後の頼みとして救いを求めるに至る。ダミアン神父もその時、充分な介護や看病ができずに死なせてしまった母の件で大きな心痛を負い、自身のアイデンティティも揺れ動き、不安と失意の中であった。
ダミアン神父は、悪魔祓いの儀式には懐疑的であり、医学で治すべきだと主張するが、母としては八方に手を尽くしても悪化するばかりの娘の症状に、もはや他の手段は考えられない境地に来ていた。
まだ幼い娘の明らかに異様な形相と悪意に満ちた他者としか思えないオドロオドロしいことばとその声、更に彼の母の事まで知っている事態に、ダミアンも意を決める。
それにしてもイラクの悪霊が白人の少女にとり憑くというのも何やら象徴的である。
彼は教会に悪魔祓いの儀式の許しを得に行くと、メリン神父と共にそれを執り行うよう指示される。
そして壮絶なエクソシストの儀式が始まる。
ここで、何とも言えないのは、メリン神父がただの水を聖水だと言ってふりかけると、聖水の時と同様に悪魔が苦しんだり、ダミアン神父の母のことをつつき、彼のこころを乱す割に、母の以前の名を言えないなど、その悪魔があくまでも少女リーガンの身体と知を拠り所としていて、独自の身体的自立性は持っていないことが分かる。
もしかしたら、体外に出てしまうと無力なものなのか、と思う。
いまやただひたすら母も両神父共に、彼女に憑いているものを外へ取り出そうとする。
後半はそれのみの激しい攻防戦となる。
悪魔は、言葉巧みに人の弱みを突き、絶望させようとする。
神(カトリック)を冒涜し卑しめんとする。
このセットで、次第に追い込んでゆく。
物理的に殺傷するのではなく、精神を葬ろうとする。
そして若い方のダミアン神父がかなりのダメージを受け、しばし引き下がっている間に、メリン神父が絶命していた。
これに憤ったダミアン神父がリーガンに掴みかかり殴りつけ、わたしに憑依してみろ!と叫ぶ。
リーガンから堪らず抜け出てダミアンに入り込む悪魔。
その悪魔に危うく操られそうになった瞬間、諸共封じ込めようと窓から身を投げ、死を選ぶダミアン神父。
この終盤は、強烈だ。
リーガンの首が回転していることなど意も介さぬ強度を持つ集中戦であった。
結局ダミアンの犠牲で、リーガンは元の姿に回復し、その記憶はきれいに抜け落ち、日常に戻っている。
ただ、ダミアンの親友が訪ねてきたとき、少女はそのカトリック神父の制服に何をか感じとり強く抱きつく。
(実はわたしが一番印象に残った短いシーンだ)。
最後に母がダミアン神父の形見ですと言って、親友にペンダントを手渡すところで、続編を匂わせて終わる。
確か2と3があったはず。
さすがに2,3は観ようとは思わなかった。
わたしとしては、これで完結である。
そう言えば、チュブラー・ベルズにも2と3があった、、、。そう、2003というのも出ていたはず(思い出した)。
いずれも聴いていない。
注目していたのに、聴かなくなったしまったアーティストであった。
妙に寂しい。
機会があれば、聴いてみようかと思う。