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彼岸花

higanbana.jpg

1958年
小津安二郎監督・脚本
カラー第一作目であるらしい。カラーを意識した絵作りが、随所に感じられた。

佐分利信
田中絹代
有馬稲子
久我美子
佐田啓二
笠智衆
山本富士子

セットに既視感たっぷり。
料亭の女将もセットに込か、、、お馴染みのいつも出てくる「あの女将」である。
毎度お馴染みの小津劇場という感じだ。
バー「ルナ」の雰囲気にハイボールもまたよい。
茶箪笥の上に置かれたラジオも赤い色が効いていた。
そういえばヤカンも赤い。
そしていつものようにフッと挿入される切り取られた風景。
やはり、カラーでも、基本は変わらない。
日中の家の居間には、バイエルの練習曲がバックで平坦にかなり長く鳴っていた。
これはちょっとないBGMである。
懐かしい曲で、何とも郷愁を掻き立てるものだ。

「むずかしいもんだよねえ。こどもをそだてるってことは。」(笠智衆)
この物語まさに、ここに尽きる。
親子の普遍的な関係が描かれる。
これは基本的に今も昔も変わりない。
親の気持ちと子の気持ちのズレの問題である。
これは、本質的に解決に向かうものではない。
「受け容れ」しかない。

小津映画の多くはいつも、基本的に波風立たずに娘を嫁がせる話であるが、今回は父親の知らないところで相手を決めてしまう娘との関係(確執)を描く。
家父長制が強く、娘の相手を父が決めるような戦前の時代でなければ、娘の相手なんて、父親は一番最後に知らされるものだろう。
勿論、適齢期に至るまで、とっても仲良し親子でいれれば別であろうが、生理的に普通は離れてゆくものだと思う。
生理的に離れるが、知的な愛情で再び関係性を構築できる契機はあるはず。
少女期に宿題を見るレベルでなく、いろいろ伝え育む関係は作れると思うし。
わたしは、そう願いたい。

それはともかく、価値観の推移はあっても、あまり結婚に関しては現代と大きい違いはないと思える。
本質的に理解は無理だ。
とは言え、父と娘の和解の上での結婚ができた方が双方にとって気持ち良いはず。
ここでの父親(佐分利信)も妻(田中絹代)に渋々流され、受け容れに近づく。
「何笑ってんだ、何がおかしい?」妻の思惑通りに結局は運ぶ。
山本富士子の第三者(トリックスター的存在)としての役目もかなり効いている。
こうした役割は、現実には難しいところだろうが。
周囲の女性陣の決して表立たないバックアップで、娘が自分の密かに決めた相手と結ばれ、父親もそれを認めてゆくしかなくなってゆく。


佐分利信の語りの、穏やで平坦なリズムが心地よかった。
この語りの調子は、常に淡々としていて例え妻との深刻な議論?においても、重くはならない。
気がどこかで抜けていて、気詰まりにならない。ユーモラスですらある。
彼と笠智衆のふたりが、自分の娘に手を焼いているという語り合いは「間」も含めて絶品だ。
もう少し長く喋って欲しい場面であった。

小津映画において、佐分利信と笠智衆のふたりの役者の重要性を改めて悟った。
小津作品の様式美を支える役者と言えるか。
そして間違いなく、この時期の有馬稲子は旬の女優であったと思う。
田中絹代の賢く我慢強い母親の存在感は大きかった。

tanaka kinuyo



最後に父が新婚の娘夫婦の住む広島に向かう電車の中、電報を頼んだところで終わる。
終盤、話の中心にある新婚夫婦が一度も姿を見せない。
この運びはとても洗練されている。

原節子がいなかったが、特に気にならなかった。
こういう小津映画があっても良いと思う。
(間違いなく小津映画以外の何者でもなかった)。


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