荒鷲の要塞

Where Eagles Dare
1968年
アメリカ・イギリス
アリステア・マクリーン原作・脚本
ブライアン・G・ハットン監督
リチャード・バートン 、、、スミス少佐
クリント・イーストウッド 、、、シェイファー中尉
クリント・イーストウッドがちょっと若いシュワルツネガーみたいだった。
(実際にダブって見えてしまうところもあった)。
戦地で二丁拳銃撃つひとも珍しいのでは、、、。
西部劇の渋い早撃ちヒーローそのものにも思えた。
第二次世界大戦真っ只中の話である。
極秘作戦ということで、欧州侵攻作戦において要となるアメリカ軍カーナビー将軍がドイツ軍に捕らえられたため、彼を救出する任務で精鋭部隊6人が編成され、荒鷲しか入れないとされる険しい雪山にあるドイツ軍の難攻不落の要塞に送り込まれる。
一面の深い雪山に迷彩飛行機が飛んできて、そこからパラシュートで精鋭部隊が降りてゆく。
彼らは無事任務を遂行できるのか?
という戦争アクションかと思いきや、最初の極秘命令自体、裏があり、異なる目的の潜入計画であることが分かってくる。
それを知るのは、どうやら一人だけのようであった。
物語が始まり、早々潜入した仲間の2人が殺される。
情報は確実に漏れているのだ、、、。
この映画は、スパイの情報戦であり、結局自国の中枢にどれだけのスパイが潜入しているのかを、この作戦行動を通して炙りだそうという、ある意味人質奪回よりも遥かにリスキーな超極秘作戦によるものだ。
仲間に敵がいるのだから、ほとんどの行動が筒抜けであり、必然的に主人公も不透明で寡黙な行動を強いられる。
そこに、いまひとつよく分からない女スパイも絡んでくる。
話は、幾度も急展開を迎える。
それについて行くシェイファー中尉の心境も穏やかではない。
兎も角、常に命は狙われているのだから、やることをただやるしかない。
主演のふたりが本当に寡黙で、肝心なことは高倉健のように何も語らない。
スミス少佐は少なくとも全て知った上で指揮、行動を執っているはずだが、シェイファー中尉にも、見ているこちらにも皆目解らないまま話は進行する。
特にシェイファー中尉は、本当のところ何故自分だけがアメリカレンジャー部隊の隊員でありながら、このイギリス軍の作戦に参加しているのか解らない。
自分が何やってるのかわからないでやっているため、余計にぶっきらぼうで吹っ切れない感じである。
しかし、若くて精悍である。流石に腕はよく、銃を撃ち放題撃ちまくる。
女スパイといい、ゲシュタポの存在といい、こちらも疑心暗鬼になりながらハラハラ観てゆく。
ドイツ兵が無個性で、余りに弱いのは気になるが、、、。
そして、どれだけ爆薬を持ってきたのかと呆れるほど、爆薬を至るところに仕掛け、次々にタイミングよく爆破させる。
銃撃や爆破も激しいが、アクションとしては、やはりロープウェイ上での格闘シーンであろう。
城の出入りは、ロープウェイ以外にないのだ。
ここは、この映画ならではのスリリングな場面である。
他にも、様々なところでドイツ兵が押し寄せる一歩手前で、切り抜ける(爆弾をセットし終わる)ような場面が多々有り、緊張の途切れる事は全くない。
結局、極秘任務を遂行する精鋭部隊の内、3人がドイツ軍スパイ!であり、その上官であるターナー大佐が元締めであったことが割り出された。
この辺は007も真っ青なピンチを逆手に取る、頭脳戦の成果であった。
一流の軍人は、どんな事態にも動じず、それをチャンスに変える機転の効く人間なのだということが解る。
彼が信用していたのは、唯一外部から呼び寄せたシェイファー中尉だけであった。
最後に、そのクリント・イーストウッドのホッとした表情が印象的であった。
やはり、事態がなんであるのか、その事実を知ることが、一番の平静と安堵を生むものなのだ。
(女スパイは、最後まで彼らの味方であった。そこは、疑うところではなかった)。
何であっても、真実を暴き、知らなければならない。
これは、何事においても、真である。
CGはなく、スタントで全てを撮った映画と言われるが、それでもこれだけのものが出来ることは、しっかり確認すべきことに思われた。
(ロープウェイにも実際に乗って演技をしているというというが、その手のことが好きな人はニュースを見ても確かにいる)。
CGに頼りすぎない新しい映画を観たい。
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