雨音が響き鐸(さなぎ)となる

The Cureの"Wish"を最近よく聴く。1992年のものでわたしの聴くもののなかでは新しい方だ。
CDをコンスタントに買わなくなって、もう久しい。
しきりに購入していたのはLPレコードであり、CDの頃にはもう幾分覚めていた。
iTunes Storeで買うのに慣れてきたところで、一曲単位の販売がなくなったので、それももうやめている。
ということでここ数ヶ月で買った音楽はCDで、ももクロの「セーラームーン」(娘に頼まれ)と電気グルーヴくらいか、、、。
”Wish”は、わたしのZERO状態に何ともよく馴染む。
零度と言うべきか。
ついさきほど、一度ヘッドフォンを外し、席を立つとき耳に入った雨音に妙に共振する音であることに気づいた。
過度の湿り気と漆黒に震える旋律。
あまりに自然にその場所絵と誘う律動。
雨音に似て。
”From The Edge Of The Deep Green Sea”からただひたすら入り込む。
深みへ。
幻想に烟る深みへ。
歪んだオルガンとギターのつくる音色以外に光のない闇に沈む。
”Doing The Unstuck”などは三味線と琴で演奏しても恐らくアレンジが更に深まることが分かる。
その流れによりそいつつ補正しながら進んでゆける音である。
何というか、外からの音ではなくなってゆく。
キング・クリムゾンにそんな余地は残されない。
”Trust”からさらに黒い霧に包まれ下ってゆく。
そう、われわれは下に下に沈むのだ。
あるべき住処に戻る。
いろいろな謂われ方をしてきた場所である。
それが虚空に解かれるもうひとつの路であることを、知らず想い出している。
”To Wish Impossible Things”に至る頃には、漆黒の雨音が楽曲の要素となっている。
いや、組み込まれていたのだ。
この夜のために生成されたのだ。
考えてみれば、同じ音など聴いた事がない。
同じ作曲家の同じ演奏家の同じクレジットのレコードであろうが、同じ音が流れたことなど一度もなかったことに、今更ながら驚く。
シドバレットのピンクフロイドを聴いた時の煌きがここにも感じられる。
その音は、プログレッシブであったことなどない。
このかたまりは、全ての表象を取り込み。
飽くことなくわれわれを個の外へ心の底へと、引き戻す。
夜の雨音に耳を澄ましいつしか鐸となる。

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