夜の静寂に

「メランコリア」(映画)の最後に、「地球以外にわたしたちのような生命は存在しないの」と地球滅亡を直前にひかえて姉に主人公が静かに断定して答える姿が強く印象に残っている。
こんなに静かな夜はしみじみそれに説得力を感じる。
昨日観た映画では、地球を支配するためのトライボットを地中深く、われわれがまだ地上に現れる前に埋め込んでいた異星人がそれを操り、地球人の虐殺を繰り広げる。
われわれの誕生前に地中深く潜んでいる存在というのも、妙に抵抗を感じない。
何故なら頻繁にメキシコなどで観測される火山火口を出入りするUFOの映像をあれ程見せられては、違和感を覚える方が難しい。
まず宇宙空間よりも地下や海底にこそ何かが潜んでいる気がする。
もうすでに人間とも仲の良い(と言うより取り敢えず友好関係を作っている)イルカは我々と同等の敢えて地上に出なかった高度な知的生命体だ。
地球内をもっと探った方が良いかも知れない。
反面、太陽系、その外も含め知的存在の片鱗すら見つかっていない。
理論上は五万といるはずなのに(もっとか)。
別に(昨日の映画みたいなのも)いても良いと思うが、全くその影すらないのは何故か。
ひとつに、われわれの認識の限界が、大きい。
次元の違いによるところが考えられよう。
充分に安定した環境で長い時間を生命の成長に当てられた惑星がどれだけあるか。
この観点からお隣さんを探しているが、、、。
言語や電磁波や重力に縛られない存在がいたなら、われわれはそれを知ることが出来るか、、、?
以前、バシャールとのチャネリングを通し、そのような存在の示唆があった。
それが本当かどうか、という問題ではなく思考実験上充分意味ある仮説にもなる。
最近、NHKの宇宙物の情報番組をいくつか見たが、番組内容は兎も角、つくづく思ったのは「地球」の色形である。
このような「絵」の惑星の写真は少なくとも他に一度も見たことはない。
(パラレル宇宙の理論はさておき)。
お隣さん探しは殊の他難しいと思える。
ただ、思えるだけなのだが。
やはり「メランコリア」のあの澄み切った確信に満ちた主人公の言葉が重みを持つ。
もしその通り、地球が宇宙の藻屑となり、もはや何者も宇宙自体の内省をするものがいなくなったら、、、
宇宙とは一体まだ何者かであるだろうか。
全くわれわれを超えた次元に(認識の果てに)いる存在にとっては、われわれの指す宇宙とはどのようなモノなのか、、、。
それは言うまでもなく、われわれがそれにならなければ、分かりようもないことだけは解る。
NHKで「宇宙絶景」というのを何度かやっていたのだが、どうもピンとこなかった。
よくある絵葉書の絶景に地続きなのだ。
同じ感性で「まあ綺麗」と溜息をつく類の綺麗さ。
(そもそも、綺麗さでよいのか?)
やはり芸術から出てこなければならない。
そう感じた。
寧ろゾンネンシュターンみたいな画家から、、、
わたしも風邪をひいたついでに描いてみようか、と思う(笑。