バルチュス ~Balthasar Michel Klossowski de Rola~

わたしの好きな画家です。他にフリードリヒやウンベルト・ボッチョーニがいますが、多分これらが気になる画家ベスト3です。その後、ブラウエライターのフランツ・マルク。
体質に合うのです。わたしは基本的にマックス・エルンストやポール・デルボー他、ルネ・マグリット、レオノール・フィニ、トワイエン、クロビス・トルイユ等の所謂シュル・レアリストとよばれる(よばれてしまっている)画家たちも気になり、そこそこ好きではありますが、(エルンストは好きです!)一般に(党派的な)シュル・レアリストたちにはあまり興味ありません。
このバルチュスもかのアンドレ・ブルトンにシュル・レアリストだと認定され、誘いをしきりに受けたとかどうとか。当のバルチュスはシュル・レアリズムなど全く興味はなく、相手にしなかったそうですが。
幻想を狙って制作したような作品と、完成した作品が否応なしに幻想を醸すのでは、全く異なる物のはずです。
勿論、上に挙げた画家たちには何の文句もありません。
アンドレ・ブルトン氏にしても、確かに頭の良い人だとつくづく思いますが、何よりアンテナの鋭さでしょうね。この辺は、坂本龍一氏を彷彿させます。
バルチュスがもっとも関心を払い影響を受け、熱心に勉強したのは、ピエロ・デッラ・フランチェスカをはじめとする宗教画家とギュスターヴ・クールベ(ちょっと意外)だったようです。
ピエロ・デッラ・フランチェスカと言われると本当になるほどと、分かります。
技法を徹底的に研究したようですね。表面的な題材は「宗教」を扱ってはおらず、日常的なものに向けられています。
わたしは東京ステーションギャラリーで実際の作品をつぶさに鑑賞しましたが、画集では到底分からない、テクスチュアに圧倒された記憶が鮮明に残っています。特に「横顔のコレット」だったはずですが、透明色で幾重にも部厚く塗り込められたその画面は、その厚みの内に光が乱反射して閉じ込められ、宝石のごとくそれ自体で輝いていました。ライティングもバルチュス自らが来日して行ったそうです。確かにあの絵画は、光の当り方に対し大変ナイーブなはずです。自身のアトリエでも絵画の完成を確かめるときは、必ず陽のある時間帯に庭に出して外光の下で確かめるようです。
その展示会では、風景画が多かった記憶があります。人物画、静物画ともに同じ描き方・マチュエールです。というのも変ですが、よく人物画と風景画が異なる技法・タッチで描かれる場合がありますが、それはなく本当に統一した作風でした。やはり、ピエロ・デッラ・フランチェスカ等の技法を徹底的に学んで自分のものにしているからだと感じられます。「白い部屋着の少女」も印象深かったですね。端正で静謐な古典的な佇まいで。それが確か「樹木のある大きな風景」とも同様なものでした。まさに同じ画家の同じ光景として。対象は異なりますが、世界は同じ。いえ、同じ視力で描かれたものとして。まさにそうです。ギュスターヴ・クールベに傾倒したのもただ徹底して対象をレアリスティカルに描ききろうというところにあったのでしょう。他の意図が感じられない「絵画」でした。
あまり興味はないですが、バルチュスについてよく言われる中で、フロイトをもちだした快楽原則―少年期への性的固着や病理学的なアプローチ、過剰に「運動の欠如」にこだわったもの、兄のピエール・クロソウスキーが宗教学者・作家であることからくるのか反宗教的な異端的思想を内容的にうかがうものなどが多いように思われます。しかし実際に観ると、これらは宗教画がまさにそうであるような宗教的な絵の佇まいに感じられます。その厳かさが何よりわたしを引きつけてやまないところです。
彼は古典的な精神をもった画家だと思います。
そしてその視力も。

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ギュスターブ・モローも大好きです。書き忘れました。そのうちとりあげます。
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