宇宙戦争

War of the Worlds
2005年
アメリカ
スティーヴン・スピルバーグ監督
H・G・ウェルズ原作
1953年製作作品のリメイクである。
トム・クルーズ、、、、父
ダコタ・ファニング、、、娘
その他
「ザ・ミスト」にも比較しうる傑作だ。
以前、観ていても緊張感は変わらない。
これだけ密度の濃い、張り詰めた作品は他にない。
最初に観たときの衝撃はかなりのものであったが、わたしの周囲のヒトたちから今一つとか、トムがダメ親父だったとか、いう声が聞こえ(かなりの注目映画ではあったようだ)、こちらの見方が甘かったのだろうか、という気持ちになっていたのだが、今回見直してみてやはりこれは凄いと思い直した。
まず、これだけのスケールのリアルなパニック演出が出来るか、、、。
2005年としては極限的VFXであるはずだ。
次々に破壊される街の様子。ヒトが光線で破壊され灰となって吹き飛ぶシーンは強烈な印象を残す。
逃げ惑う人々を捉える、カメラの長回しも効いている。
特にあの住宅の前に墜落した飛行機の無残さには鬼気迫る執念を感じた。(911の記憶もまだ新しい)。
豪華客船の転覆も非常に精緻に描写されていた。
地下室も二箇所逃げ込んでいるが、それぞれ光と闇で演出された空間ディテール表現が秀逸であった。
特に後の方の廃屋のエッシャー的空間内でのカメラと人の動きはまことにスリリングである。
宇宙人の造形と細やかな(意外な)動きも独創的で、魅入ってしまう。
パニックに陥った人々の心情も一様でなく、様々に丁寧に描き分けられていた。
後半は人々は捉えられ血を抜き散られて捨てられる、この展開も凄い。(ただ虐殺されるだけではない)。
何というか、宇宙人側にも人の方にも描き方に充分な奥行きがある。
トムはダメ親父なのか、、、。
実の娘や息子と上手くいっていないことは分かるが、そのふたりの子供に対してあれだけ身を呈して守り抜こうとする父親のどこがどうダメなのか、解らない。少なくとも十分に勇敢で責任感と愛情ある父親であることには違いない。又子供との軋轢を修復したいという気持ちも充分に窺えるものであった。
港湾労働者で素朴で不器用な男をトムは饒舌に的確に演じていた。
再婚した元妻は、彼より経済の豊かな文化人夫婦となっており、親子の確執を生んでいる原因のひとつと思えるが、最後は息子も娘も彼にこころを開いていた。とは言え、彼はそれ程嬉しいわけではない。また元の日常に戻ってゆくのだから。極めて悲惨な事件ではあったが、彼にとっては束の間の別れた子供との距離を縮める非日常的ハレの時間でもあったと言える。(坂口安吾の言う意味での戦争の側面でもある)。
しかし、脅威を感じたのはダコタ・ファニングである。
驚くべき演技力であり、彼女と呼吸が同調するとこちらも息苦しさ(動悸)を感じる。
この映画の引き込みの迫力の多くの部分は彼女の力によることは確かだ。
鬼気迫る身体感覚を揺さぶる巫女のような演技なのだ。
恐るべき子役である。
芦田愛菜(パシフック・リム出演)にもぜひ頑張ってもらいたいと思う。
オチは余りに有名であるが、歴史的にもインカ帝国の滅亡が家畜が運んだ病原菌がおおきな原因であったことなど、このような異文化?異界の者同士の接触には十分考えられる危険要素である。
オチは十分に考えられる状況であり説得力はある。
途中、ボットから無防備に降りて家屋に潜入し、いろいろ触りまくる宇宙人の様子が伏線でしっかり敷かれていた。
最後、鳥がボットに接触しているのを目敏く察知したトムが、もうバリアをはる能力の無い敵に気づき、それを伝えられた軍が攻撃して撃破する。こうした細部の身体感覚に即した描写が惹きつける要因だと思われる。
非常にきっちりと描かれた映画であり、わたしは何の文句もない。
ただダコタが凄すぎて、トラウマになる人も出かねないと思うところはあった。

明日は娘の学校の引き取り訓練である。
わたしの場合、何かあったらワガママで訳のわからぬふたりの娘を同時に連れて避難しなければならない。
今日の映画を見たら気が遠くなるのを感じた。
昨日のプールの後から、風邪気味でもある。
休もうと思っても一日に必ず何かひとつはあるものだ。
それが日常ではあるが、、、。
- 関連記事