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セコンド

Rock Hudson

Second
1966年アメリカ
ジョン・フランケンハイマー監督

ロック・ハドソン主演


主人公は銀行家アーサー・ハミルトンから画家トニー・ウィルソン(ロック・ハドソン)に変身する。
すでに手術を受け第二の人生(文字通り)を送っている、死んだ親友からの得体の知れない誘いがきっかけであった。
アーサーは、頭取への昇格も決まった客観的に見れば何不自由ない恵まれた生活を送っている初老の男である。
死者からの電話にたじろぐが拒絶する気にもなれず、いざ指定された場所に行けば、問答無用で変身させられることになっていたのだ。
彼も今の人生に惰性と意欲の喪失は感じており、妙な尋問でその変身を漠然と承諾してしまう。
生まれ変わることを決意させられるのだ。(奇妙な決心だ)。
そして新たな人生に適合できなければ、次の顧客のための屍体として処理されることになるのだが、これについては、契約では知らされていない。
まるでカフカの小説みたいな話だ。
雰囲気もそっくりなのだ。

出だしからの話の運び、段取りのディテールがよい。
番地の書かれた紙片を電車に乗り込む時に受け取り、死んだ親友からの勧誘が電話であり、、、
出向いてみると、そこはクリーニング屋で、次に指定された場所が肉屋で、大いに戸惑いながらトラックの荷台に入れられて何処かのビルに運ばれる。
エレベーターに乗って部屋に通されるが、堪らず外に出ようと思っても、エレベータのスイッチがない。
どうしたら外に出られるのですかと人を捕まえ尋ねると、契約の部屋に通される。
そこからは、すべて会社のペースに乗せられてゆく。
この辺のヒタヒタ畳み込む心理的な描写は稠密であった。

契約にあたっての面接のやりとりも、奇妙で巧みなものであり、死因の選択や新しい職業も無意識を探って選び出してくれるというサービスぶり。
妙にディテールに凝った時代感のある手術の光景も異様な質感が際立った。
その後の回復までのリハビリも丁寧でリアルな描き方である。
見事に完備された新しい環境とぴったり寄り添う世話人の存在。
偶然浜辺で出会い、恋人になったかと思った女性が会社から派遣された監視役の社員であったり、、、。(このパタンには既視感がある)。
近隣の人でパーティーを催したら皆が生き返りメンバーであり、前世のことを口外する彼は不適応の烙印を押されることに。
(彼を批判的に睨みつける出席者たちの自閉的で閉塞した表情が凄い。これが逆に新たな生が幸せかどうかを自ずと照らしている)。
中盤、サンタバーバラの収穫祭で自分の若返ったことを実感として悟り、一気に高揚して新しい自分と環境を肯定し馴染んでゆくかに見えたのだが、パーティで酒が入ったところで、今の自分への違和と前の生への拘りが思わず噴出してしまうのだ。

しかしひととはそういうものだと思う。
若返って独身に戻り、なんとなく憧れを抱いていた画家という立場を得たといえ、それで満足感や充足感が得られるものではない。空虚は増幅されるはずだ。アイデンティティは、姿形の変化に直結するはずないし、精神がそのあり方・立場を受容できなければ安定するとは思えない。しかもそれが自ら得たものではなく与えられたものであれば当然であろう。更に彼の場合、前の人生にそれほど不満や喪失感をもっていたとも想像できない。
誰でも本質的に実存としての不安と、日常的にあの時やり直せればという悔恨は持っている。
人間自体をやめない限り、やり直せばそれがなくなるというレヴェルのものではない。
また、なくす必要がないであろう。ただ、多様な生をそのまま生きれば良いのだから、、、。
(それを言ってしまえばそれまでか、、、)。

終盤、新しい人生がとてもやりきれなく、死んだ自分の友人という立場で妻の元を訪れるが、自分の居場所などきれいに消されており妻は清々としていた。生前の自分のことも「よく分からない人。現状に満足はしていなかった人」くらいの認識しか持ってはいないのだ。
このかなり気落ちした究極的な寄る辺なさは、彼に再度の新たな人生の選択を決心させる。
彼は藁をもすがる気持ちで、会社に掛け合おうとする。

しかし会社の方針は決定していた。
彼はすでに「次の段階」に進むことになっていたのだ。
彼は調度よい、新しい顧客の屍体役であった。
その処理は粛々と行われる。

終始、妙に身体的な生々しさが引っかかった。
この質感が特異な感じを残す。
カメラワークも身体性に絡む異様なものであった。
そう、やはりカフカの「変身」や「審判」に近いものを覚える。



随分、昨日観た映画と異なるものであった。
何が違うかと言えば、肌触りというのか、、、。
情感、情念の差であろうか。

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