雨月物語

上田秋成の読本『雨月物語』から2編、「浅茅が宿」と「蛇性の婬」を脚色し制作されたもの。
1953年
溝口健二監督
宮川一夫撮影
川口松太郎、依田義賢脚本
森雅之
京マチ子
田中絹代
水戸光子
何といっても圧倒的な映像美の世界である。
宮川一夫の撮影―絵には驚嘆する。
幻想の極地である。
ものの本質はこのような「幻想」によってあからさまになる。
その意味で、真のシュールレアリズム作品である。
森雅之の源十郎の眼前に京マチ子の若狭が異様なアウラとして現前した瞬間と最後に田中絹代の宮木が源十郎に幻(霊)となって再開する件は筆舌に尽くせない。
特に、源十郎が迷い尽くした後、荒れ果てた自分の住処に戻った時の光景には、何故か深い既視感をもった。
何故だろうか。
自分の原体験と重なるものを色濃く感じたのだ。
このような本質的力(吉本隆明の言う意味での)をもったものに接する時に感じてしまう何かである。
長旅の末、家に戻った時は真っ暗な人気の無いがらんどうであった。
しかし、再度入りなおすと何やら明かりの中、妻が長く放蕩していた彼を暖かく迎えてくれるではないか。
酒と鍋まですでに用意されている。
息子も無事ですやすや眠っている。彼は息子を抱きしめ心からこれまでの過ちを悟る。
安堵した源十郎が酒を飲んで寝いってしまった後も宮木は彼の着物の繕いを愛おしそうにしているではないか、、、。
この余りに美しくも儚いシーンは、この先何年経っても忘れられないに違いない。
わたしの欠け落ちた郷愁を埋めるものだ。
筋書き―ストーリーはこの際何でもよい。
無論、諸行無常、世の儚さを綴った物語、脚本も秀逸だ。
しかしこの映画の強度は(差異は)この絵にある。
幻想の力が極めて高度に発動した際に、はじめて現れるレアリティである。
やはり新しい物語は、このような幻想から生まれてくるのだ。
わたしもこのような幻想による生の更新を図りたい。
制作以外にないな、、、。
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