アッジェのパリ

「アッジェのパリ」写真集を観て。
昭和54年に朝日新聞社から出たものです。
1932年に日本でも紹介され始めた写真家です。
日本の写真家では特にあのライカを使いこなし自然な街頭スナップ写真では神のような存在である木村伊兵衛が高く評価し自分の先駆者と考えていたそうです。木村もパリをよく撮っていましたね。昨年でしたかNHKの日曜美術館で実際に木村伊兵衛が撮った場所で、文化人緒川たまきさんが写真を撮って楽しんでいました。贅沢というか、、、。兎も角、木村になんであんなに良い写真が撮れるのか、不思議だと言わしめる写真家です。
ウジェーヌ・アッジェのパリの街頭の黄ばんだ写真を観たのは大学生の時がはじめてでした。
わたしは記録写真家だ、と言うのにやたらとアンテナ感度の良いアンドレ・ブルトンに、こともあろうに芸術家を通り越してシュルレアリストにされそうになったとかいう噂は聞いていました。彼自身は「資料」を残している、と言う意識だったようです。
確かに当時は題材が人物でも風景であっても絵画的形式に準じて撮影されていました。それから観ると彼はパリに住む庶民が普通に記憶に留める光景ばかりを選んで撮っていることが分かります。それは彼が留めなければ永久に失われてしまうはずの光景ばかりです。
当時、写真館はあってもまだ持ち運べる写真機はあまりなかったようで、アッジェは六つ切の組立暗箱と乾板にごつい三脚とで、手回しオルガンを奏でる老人や、娼婦、屑屋の家族や路地裏の建物、曲がりくねった舗道の敷石、ショーウインドウ、街角の物売り等、を撮り続けました。
しかし彼の「資料」は高値では取引されていなかったようです。文字どうり資料として買い上げられたり、画家の絵の資料に使われたり。
アッジェはいつも毎朝夜明けに起き、路地や建物に光がよおく回りこんだところを撮っていたそうです。1927年8月彼は70歳で亡くなりますが、死ぬまでの20年間、パンとミルクと少しの砂糖だけで食事をしていました。

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