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娘ふたりと女子美へ☆彡

jyosibi.jpg

学校から帰ったと同時に、娘ふたりを連れて女子美のアートミュージアムへ。
月曜日にわたしがたまたま入ったところである。(であるからわたしにとって二回目となる)。
そして娘たちにも見て欲しくなったのだ。

面白い虫作品の話をしたら2人とも興味を示し乗ってきたので、ピアノ塾の次の日である今日行く約束をしていた。
2人ともモノを作るのが大好きであること。
とくに長女は虫を平気で手でつまめ、カブトムシに馴染んでいること。
この辺が決め手でもあった。

しかし、その長女が今日のことをすっかり忘れていた。
友達と遊んで道草食って少し遅れて帰ってきたのだ。
(如何にも長女らしいところだが)。
彼女が門に入ってくるなり、すぐさま車に乗せアートミュージアムに向かった。
5時に閉まるところもう4時を越えている。

しかし、道も混まず心配することもなく女子美には早めに着き、ゆっくりと見て回ることができた。
娘たちがそんなに長く鑑賞できる訳が無く、時間的にもちょうど良い。
彼女らはきまって少し広い空間に入ると、以前であれば、走り回ったり順路の白い線上を遊びに使って監視係に注意を受けたりしたものだ。
だがさすがに作品を見に来たという意識はもっていた。
もう小2なのである。
当然といえば当然であろう。
ただ、わたしの方で面白そうな作品コーナーに誘導しようとしても、彼女らは自分の見たいものを見に行く。

「あたらしい朝がきた」のところで、色々なモノやモニターが立体配置されていることに興味を惹かれたようだ。
よく知っているモノが何でこのように定位されているのだろう。
明らかに日常文脈から宙吊りされたモノたちであり、あっけにとられている。
それから文字が書かれた紙が燃やされていること、、、これには不思議がっていた。
よく見てみると、小さい人がいること、、、しゃがみこんでじっくり見ていた。
顔がないね、と次女が言う。
全体として見回しても、部分―細部に目を凝らしても、色々見方、発見があったようだ。
いや、どう見たらよいのか分からぬ体験をしたようなのだ。
またその作品の中に自ずと入ってしまうことが大きい。
同時に身体的に様々な体勢で動くことを促される。
極めて身体的な鑑賞なのだ。(体験と呼ぶべきか)。

考えてみれば、これは彼女らが居間で毎日、自分たちの身の回りを取り囲む形で作っている工作空間に相似している。
我が家ではそれを、散らかっている、と呼んでいるが、彼女らにしてみれば有意義なコンフィギュレーションを身体的に生成していることが想像できる。
祖母がうっかり構成物をズラしたりすると怒ったりする。
それを今度は他者の作った形体―場所の中に身体を置いて何かを感じ取っているのだ。
言語以前又は言語以上の意味を彼女らなりに拾っている。
しかし、何というか臓器移植ではないが、他者の身体性に対する違和は当然あるものだ。
わたしはそれをこれまでの何に対しても感じてきた。
だから他者と呼ぶのであるが、、、。
難しいものである。身体性における共鳴。
しかし言語であるなら、抵抗はないが全く無力で不確かだったりする。
やはり、その場所に入ってみるしかないのだ。

わたしは、最初そこに拘っていることが意外であったが、納得できた。
こんな風な場所が毎日少しずつ形を変えて、今もうちにあるのだ。
彼女らが自然にそこに行くのは、解る。
そして早く女子美に入って広い空間でアートを思いっきりやって欲しい。(まだ気の遠くなるほど先だが)。
うちの日常空間においてはどうしてもそこは邪魔なのだ(苦笑。

これは、インスタレーションにも展開しかねない芽を秘めている場所である。
日常環境に重なり異化する装置にも成り得る。
日常の方が変わればそれはそれでよいのだ。


わたしは、今回も虫をじっくり眺めてしまった。
そこにある虫が作家蔵であるとすると、部屋にどのように並べられているのだろうと、想像してしまった。

娘たちは大きな鉄の像にも興味をもったらしい。
確かに普段見ることは出来ない形だ。
だがわたしが高校生くらいまで、街のちょっとした隅にこのようなオブジェが残されていた感はある。
あまりに面白いので写真に収めて回ったこともあった。
既視感より郷愁を覚える作品が多かったと感じる。
今は、ホントに鉄の塊を見なくなった。


娘たちが生まれて初めて作品の感想を書くという経験をした。
今日は、フロアにも公園にも人がいなくて贅沢に場所を独占できた。



次の作品展にまた来たい。





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