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GOMA28

Author:GOMA28
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女子美の新星展を観た 


入る前に想像していたのは、基本純粋抽象のパタンである。
今の時代(時代考察をここでするつもりはないが)、具象は大変な方法論が不可避となる。

実際に見てみると、身体性をもった抽象と具象に異物の過剰な付加による変奏のパタンも目に付いた。
とても意識的で、洞察された方法が誠実に作動して作品化していた。
まだあくまでも過程であろうが。
5人のもう大学院を出た人たちの作品が展示されていた。


何かを作る必然性をもつ人たちとは何だろう?
どうしても作り続けてしまう無意識的な衝動、生命力から突き上げてくるのであろうが。
時代性におけるものや、個人史的な動機が引き金となっているところは察せられる。
パソコンドットが要素となっている反復画像の電脳版画(シルクスクリーン)もある。
鉄の自らの意思でそうなったような造形もあれば、知ってるようで知らない郷愁を強く纏った虫もいる。
身体がかつて何処かで辿った地図と思しき図象もあった。
何にしても象形的再現に終わる作品など一つもない。
全て、新たな形象を目指すものである事は、確かだ。
見えないものを見えるようにする。
写真文化の熟しきった後の世の作品群である。
少なくとも、ここにルノアールを見に来る人などいない。

どれにもかなりの時間が畳み込まれている。
確かに画家が数年、数十年、一生涯の時間を要して制作する絵は多くの例を見る。
作品を作るだけではない、それに至る準備を図る莫大な時間を費やしてここに来ている。
そんなことも、しみじみ感じる。
恐らく作品化寸前で紋切り型に呑み込まれ、出直す作業もかなりあったはずだ。
所謂、「美」に足を掬われるといったもの。

ここに展示されているということからも、ひとまず方向性は定まったということだろう。
自らのすべき作業をもっていることは、強みだ。
それはまず、作家個人にとっての認識(思考)運動の過程となる。
線上的な時間の流れを踏みとどまり、垂直的な時間を畳み込み結晶化する。

この作業は必然的に、主体として物事を構造化する作用を持つ。
構造的な認識がなければ、世界は単に生きにくさー受苦だけで通り過ぎてしまう。
受苦の奴隷で終わる。

方法はそれぞれの作家の身体性(歴史性)と不可分にあり、その純化が進められてゆくはずだ。

身体性における世界の絶えざる確認作業であったり、物ー鉄との加工を通した自己との接続作業であったり、父親との少女期の思いを巡る結晶化の作業であったり、現実を反映するドットの複製反復作業であったり、、、。


わたしがつくづく思ったのは、身体性を持って物に関わらないと、何も変わらない。
ということだ。
この人たちは、そこを知った(知っている)ことが鋭いというか恵まれている。
それは言うまでもないが、単なるお絵描きグループで、「写真みたい」などと褒め合って絵を描いていることとは、本質的に異なる。
(この次元では何の認識作用も働かない)。


「あたらしい朝がきた」
の作品紹介文には、ストレートに胸にこみ上げるものがあった。
「生きにくさ、、、」における実感が充分に共鳴できる。
全くその通りだと思う。

今後もこの作家さんたちの作品には、注目してゆきたい。


以降、蛇足である、、、。

ただ、一番楽しく愉快で非常に巧みな出来の「虫」シリーズであるが、端からそのパタン(バリエーション)は見えてしまっており、そのままで行けば伝統工芸化しか方向性がなくなる恐れを秘めている。
作家はその辺をどのように考察しているのか。
装飾と様々な部位の組み合わせの仕立て仕事に陥らない、潜在する生成の場から立ち上がってくるモノの創造に期待したい。
(原初的で魔術的な形態に深化する感じもするのだが、、、)
少女期の想いの結晶化とこの外骨格というヒトからあらん限り離れた生命への注視は、そのまま大事にしてもらいたい。

電脳シルクスクリーンの既視感もどうしても付き纏うものであろう。
アンディ・ウォーホル(それ以降のポスト・モダン)の影響は、視覚文化において写真並みにでかい。
シルクスクリーンは、既視感との闘いがかなりきつい場所でもあろう。
しかし、反復は生命におけるキーコンセプトでもある。
健闘を祈りたい。


jyosibi tonari
虫シリーズ作者が授業を抜けて虫を獲りに出かけたという、隣の公園。
うちの娘たちのいつもの遊び場でもある。


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