いつもの公園 いつもの空

公園に来た。
いつもの公園だ。
そよ風とのブレンドで柔らかい陽射し。
幾度目かの雲のない青空。
何故か今日は、太陽の有り難さを感じる。
暖かい。
来週からは、授業参観や家庭訪問が立て込んでくる。ピアノをみるのもだんだんやり甲斐が出てきた。
今日は、ただゆっくり寛ぐ事にする。
テントを張って拠点を作り、そこから子供達が遊びに飛び出しては、暫くして水を飲みに帰ってくる。
わたしは番をするかたちで、シートをテントの前に延長して広げ、寝転がって過ごす。
これが良い。
寝るには、最高だ。
眠るまではいかないのだが。
風呂と同等の気持ちよさである。
(どうやらそれを追求するブログになりそうな気配も感じてきた、、、)。
「子供の飲み物」を彼女らは、「子供のお酒」と呼んで乾杯して呑んでいる。
「うまいっ」とまで言っている。
将来、酒飲みになりそうな気がする、、、。少なくとも雰囲気は好きそうだ。
周囲は外国人が多い。欧米系である。
英語が色々な声で聞こえてくる。
低い声、高い声、ゆっくりな声、速い声、幼い声、年老いた声、、、声に暫し聴きいってしまう。
やがて鳥の鳴き声と同等の音にしか聞こえなくなる。
人で一杯なはずなのに、妙に静かだ。
時折、娘と同年代の女の子の話声がすると、急に意味が立ち現れ、ハッとする。
小さなボールが転がってきていた。
側にわたしのメガネがあった。
公園とは、微妙にフラジャイルな環境である。
危険というよりも、子供のちょっとした擦りむきや打撲、うっかりの踏み潰し、カメラのメディアを落っことすなど、ノンビリ憩う時間を軋ませる要素は付き纏う。
それで眠りこむまでは、いかないのだ。
しかし、一度寝転ぶと、起きる気はしない。
(わかってくれる人は少なくないはずだ)。
少し遠くでは、サッカーと野球をそれぞれ親子でやっている。
風も急に捲き起こる事がある。
一種、何処かの縁にいる気分なのだ。
妙な清々しさも覚えてしまう。
そんななか、やはり眠る間際まで意識は遠退く。
背中に優しい、芝生の適度な柔らかさにシートの弾力。
空をずっと打ち眺めているのだ。
尚更である。
不思議なことに、飛行機が一つも横切らない。
かなりの時間、全く通らない。
ここらへんは、ジェット戦闘機が時折、編隊を組んで爆音を轟かせて飛んでゆくこともあるのだが。
空を遮るものがない、非現実的な青空。
「リターナー」で飛んでた飛行機がこんな時にフワッと浮かんでこないのか?
少しばかり荒唐無稽な事態も望んでしまうものだ、、、。
突然、お昼ご飯となる。
娘たちのお腹が空いたのだ。
時間は彼女らのペースで飛躍して進む。
「おなかすいたーっ」家ではあまり聞かれない言葉。
手をちゃんと洗ったのかどうか、もうお弁当を開けている。
お寿司とお茶が幾らでも入る。
わたしも娘たちも家であったらこんなに食べられない。
雰囲気で食べている気がする。間違いない。
しかし寝て食べているだけのわたしは、かなりマズイ。
「公園太り」と言うのもあるかも知れない。
食後にアイスクリームが食べたいという長女と店に買いにゆく。
次女を待たせているため、足早に3つ買って帰る。
その途中に、目の覚める一面の菜の花。
その弾け渡る黄色の光と香りにも惹かれ、暫くその場に釘付けとなる。
しかし次女とアイスを待たせる分けにもいかない。
テントに小走りに戻るや、2人はすぐにペロッと食べてしまった。
わたしはまた横になり、娘たちはまた遊びに走ってゆく。
スイッチが切れたように周囲が静まる。
遠くでバットの響きが小さく反響する。
全ては遠退く。
ただ暖かい。
柔らかい風に瞼を閉じる。
先ほどの黄色がまだ目に残像する、、、。
