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バニー・レークは行方不明

Bunny Lake Is Missing

Bunny Lake Is Missing
1965年イギリス製作
オットー・プレミンジャー監督

キャロル・リンレー、、、アン
キア・デュリア、、、スティーブン(アンの兄)
ローレンス・オリヴィエ、、、ニューハウス警部

バニー(アンの娘)

ザ・ゾンビーズ(TV画面から)


アメリカからイギリスに(船で)渡ってきたばかりの母娘に突然起こった事件。
新しい土地で、アパートに荷を降ろす間もなく、保育所に預けたばかりの4歳の娘バニーが行方不明となる。
その不在の娘を巡ってのサスペンスドラマとなるが、、、。
母親にとっては、この世における最大の惨事に他ならない。

しかし、娘の捜査が進展するにつけ、娘の存在自体を裏付ける全てのものが消え失せていることが浮上する。
単なる疾走・誘拐事件では片付かない状況となってゆく。
誰よりも追い詰められ、打ちひしがれているのは母親であるアンだ。
しかし、事もあろうにその母親アンの人格(精神状態)に対して周囲から疑いが向けられてゆく。
しかも、見ているわれわれにも、物語を俯瞰する視座は与えられない。
構造的に迷う。

バニーが最初から「いないまま」というのが、この物語の設定上の肝だ。
物語が進むにつれバニーの存在自体が、確かに疑わしくなってゆく。
極めて怪しく鬱陶しい家主を初っ端から出しておくのも物語の基調をざわつかせる。
おざなりで無責任な保育所の管理体制。
次々に明らかになる責任者の不在。
その上の階にいる、妄想過多の老婦人などがストーリーの基盤を揺るがしてゆく。
揺れ幅は大きくなってゆく。

時間の経過により、募る動揺と不安と緊迫感。
兄による妹の少女期における幻想癖の吹聴など。
彼女の幻のお友達の名前が「バニー」であった、、、。
対比的に冷静なニューハウス警部でニュートラルな視座を保持しておくことで揺らぎはまた強調される。


だが、ある時点で、冗長性を保っていた物語に破れと転換が生じる。
兄スティーブンの伝えた渡航日の偽りをニューハウス警部が気づいてしまう。
同時期にアンが人形の一件を思い出す。
彼女は閉店後にも関わらず、修理に出した人形を夜中に店に引取りに行く。

主人公アンの、この悪夢の如き行為により、われわれにこの不在を巡っての物語の真実が一気に開示される。
そしてその真犯人の驚くべき狂気の表情、その目。
さらにその不気味な行為。


終盤は、スリラーの前に「サイコ」が付く。
彼女はある場所に駆けつけ、窓越しに探し続けていた当の存在を認める。
しかし、何故か息を呑み静かに見つめ、タイミングを計るのだ。
われわれは、来るべき時が来たことは、知っている。
ただどう出るのか、だけなのだ。
われわれもそれに対して息を呑む。

だが、その後の気味の悪いことこの上ない、鬼ごっこに隠れんぼに果てはブランコ遊びだ。
この一連の流れで、アンが相手を下手に刺激できない事を充分に認識していることが解る。
相手が「なんであるのか」を元々よく知っている事が判明する。
ならば何故、最初からそれを疑わないのか、ここが非常に疑問となる。
そこを何故疑わないのか?
(ここに来てわれわれの最大の疑問である)。

「たかーい、たかーい」「たかーい、たかーい」
どんどん彼女は背中を押されて、ブランコの揺れ幅は大きくなりついに揺れ幅―高さはリミットとなる。
「おそらにとんでゆく」「おそらにとんでゆく」
「たかーい、たかーい」
反復が限界に達し、張り詰める。



そして最後が最後である。
表情(特に眼差し)がまた極めつけであろう。

職人技のような作りのサスペンスである。
いや、サイコスリラーである。

一点だけ疑問を残して。



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GOMA28

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絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
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