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チャイルド44  森に消えた子供たち

child44.jpg

Child 44
2015年アメリカ映画
ダニエル・エスピノーサ監督
リドリー・スコット製作

スターリン体制下のソ連1950年代
秘密警察捜査官レオ・デミドフ、、、トム・ハーディ
その妻小学校教師ライーサ、、、ノオミ・ラパス

ネステロフ将軍、、、ゲーリー・オールドマン もう少し燻し銀演技を観たい。随分枯れてきて魅力は倍増だ。
クズミン少佐、、、ヴァンサン・カッセル シャープで重厚な強面存在感が相変わらず凄い。
ジョエル・キナマン、、、ワシリー  極限的な憎たらしさを演じきった。権力の傀儡としての虚しさも充分に感じさせた。


”There is no murder in paradise."

鉄道付近で孤児たちの猟奇殺人による遺体発見が相続く。
瞳が充血しており、体が外科的な切開を受け、胃が摘出された遺体である。
犯人はおそらく一人のはず。

この白昼における漆黒感は何だ。
不透明な分厚い空気に息が詰まる。
余りに虚ろなシュール・レアリスティカルな光景。
ポールデルボーの悪夢だ。(そう、秘密警察捜査官レオはそこの住人に似ていた。わたしはアンドレ・ブルトンに密告する)。
もはや滑稽に見える密告と自白の強制、粛清、、、。
主人公の公安局高官レオも謂わば、体制への忠誠の確認の意味で妻の告発を強いられる。
そして絶えず命を狙われる過酷極まりない状況で野に下ってゆくのだった。
その時、同時に子供の猟奇殺人が特定の鉄道沿線地区に巻き起こる。

誰もがこの猟奇殺人-名付けようのない事態に戸惑う。
この連続猟奇殺人は果たして体制内側からの腐敗の一つの表れなのか?
東西体制(思想)レベルの問題に収まるのか?
犯人の語る口からも、ヒトを納得-安心させる言葉は何も出ない。
確かにヒトラーは強力なトリガーではあったようだ。
しかし精確に誠実に語ろうとすればする程に、その行為の何であるのかは分からなくなる。
この対面時にレオが恐らくはっきり認識したことは、まず殺人を阻止する何らかの手立てを行うことの必要性であった。
(殺人が現実的に認められなければ、「捜査」も秘密裏に遂行する以外になく、それが発覚すれば当然反逆罪である)。
実際、殺人の無い(全て事故として処理する)この理想社会は、日常茶飯的な殺人によって維持されている。
密告制で政治犯の処刑が見せしめと教育の意味で日々行われてきた。
子供の目の前で、思想犯の両親が普通に(反逆者として)射殺される。
スターリン政策により、射殺を免れても多くの人民が餓えで死に(一日に25000人が餓死)、孤児つまり今回の猟奇犯の対象にされる子供は増える一方であった。
彼ら孤児は、森に消えて逝く。(そして全裸で鉄道付近に転がっている)。

レオは、公安局の高い地位にあって、その状況に苦しんできた経緯がある。
やっと追い詰めた犯人は、ソ連旧体制下で形振り構わず権力を握り地位を掴もうとする男ワシリーに口封じで殺される。
この理想のスターリン体制下に、このような殺人事件はあってはならないというだけではなく。
理由の明確ではない殺人など、2重の意味で以ての外であり、公表されてはならない。
これまでの44人の子供たちは、全て「鉄道事故」か川も湖も無い場所での「溺死」で片付けられた。
ホモセクシャルの男性をリストアップして狩り、片っ端から罪を被せて処理する。
「生の否定」の限界の形である。
「多様な生」が即座に、全て根こそぎ根絶される。
これで維持されるシステムとは何か?
そうだ、それこそが” paradise”であろう!
(実は、今日も「パラダイス」講話が開かれます、という某○○教パンフを持った訪問者が来たところだ)。
生を否定しひとつの価値に凍結する世界こそがまさしく” paradise”である。

物語の最後に体制側で返り咲くレオにとっても、事件についての真相など何も分からないし、そもそも考えを率直に述べることなど出来ようはずもない。
何も分からないという正直で真っ当な見解を述べる。
ただ、彼はこのような殺人を阻止する部署の設立を要求する。
体制を受け容れて、その省の長として中央突破を図ることにする。
自分が今後出来ること、すべきことの決意表明だ。
大変有能な捜査官として、ネステロフ将軍を招き入れる。(事の真相を悟り、レオに協力し秘密捜査に加担した)。
何より殺人(表向きは事故)で日常を維持することを終わりにしなければならない。
あの猟奇犯は、そのあからさまな殺人そのものといった「印象的な殺人」によって苦しみ身悶えしながら、その日常を解体しようとしていたことは確かだ。(それ以外の方法が見い出せなかったことが、病いであるところだろう。いや方法という距離がこの犯人には無い。その生きる身体性そのものがこの行為に直結していたのだから、、、これを彼の口から整然と説明できるわけがない)。

レオは以前公安局で働いていた当時、眼前で両親を見せしめ銃殺された2人の孤児を引き取る。
(その時の射殺犯(殺人狂)である部下ワシリーが地位を高め最後までレオを追い詰め苦しめつづけた)。
その行為で、これまでの人生の清算がなされる訳ではない。
しかし、親の敵である自分がその子供を大切に活かすことでしか未来への希望は生まれない。
そうレオ夫妻が決心した選択によるものであろう。


わたしは、原作本を読んではいないが、気にはならない。
元々、本ー文字と映像とでは形式が全く異なる。
ストーリーなども比べる気にもならない。
この映画作品、理由や動機もはっきりしないままに、物事が次々に起こってゆく。
そこには、ただひたすら生を求める多様なせめぎあいが存在する。
この点におけるリアルさがとてもしっくりくる。

殺人を認めない権力が殺人により自身を正当化している。
そこに政治的な反逆とも事故にも還元しようのない(取り込まれない)目的・意味不明な殺人としか言えない「殺人」によって風穴が開く。(当局は処置に窮し、事もあろうに同性愛者に罪を擦り付ける。反逆罪の一種として)。ここに体制を少しでも変える余地を見た主人公レオが身を投じたのは、自然の成り行きである。その時点で彼自身それが何を意味するかなど考えてはいなかったとしても、、、。


わたしの好きなタイプの映画である。
充分に息苦しいが。




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