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マーズ・オデッセイ

mars.jpg

”MARTIAN LAND”
2015年アメリカ映画
スコット・D・ホイーラー監督
何で、邦題を「マーズ・オデッセイ」などと紛らわしいものにしたのか?
リドリー・スコットの「オデッセイ」と間違えて買うオッチョコチョイがいたらどうする、、、と言うよりそれ狙いか、、、?

NASAの火星探査機に”マーズ・オデッセイ”がある。

火星表層における水の痕跡と貯蔵状況、鉱物の検査と分布、放射能測定などを地味におこなっていた。
どうやら、南極と北極の下には大量の水が潜んでいるらしい。地球の自然状態にはないCO2の氷の下である。

そんな繋がりから、ちょっと期待してしまったところがあった。
しかし初っ端から稚拙で紋切り型な環境論をブチ上げ、地球がダメになったから人類は火星に脱出した、、、と画面分割でせせこましく煽ってきた。
随分な話だ。火星にしても迷惑至極。
初めから全く期待せずに取り敢えず見ることとなったものだ。(この線で、見るのを止めた映画も少なくない)。


基本コンセプトは砂嵐を如何に回避するかのパニックストーリーの生成であろう。
映画としては砂嵐を消すための科学的脚色・演出に、人間ドラマを織り交ぜ、細かく作り込まれてはいる。
次々に登場人物を犠牲にしてゆくことで、緊張を継続させる手法はやたらと目立つが、そこはパニックものである。
SFとしてのコンセプトには目新しさはなく、パニック要素ばかりが強い。
巨大砂嵐「ゼウス」に捨て身で立ち向かう科学者とその周辺の献身的な人たちの物語となる。
ただし、人物像の描き方が薄っぺらい。何故か登場人物たちのさっぱりした自己犠牲の精神が目立つ。
平板なのだ。生命が感じられない。生命の危機を扱っていながら生命の多様さが見えない。

最近このような、大自然災害パニックものが目につくようになってきた。
荒唐無稽なエイリアンよりも内容的にリアルで緊張感が保てるからか。
技術-形式面でもパソコンのスペックが上がりソフト性能も向上しCG技術が底上げされた為、リアルな臨場感が可能となったことで、何かと活用しようと思うのは当然であろう。それは煙・霧・水・砂嵐の表現(パーティクル)の劇的な向上と安定に如実に表れる。
従って画像も動きもDVDで観たのだが、大変綺麗であった。
添えられる人間ドラマも多くは、この映画のように全人類のために家庭を犠牲にして研究に勤しみ、その結果生じる父(母)と娘(息子)との間の齟齬、、、。そして和解の物語といった科学者とその家族問題はペアになり易い。
使い古されたエピソードである。(アメリカは父と息子の和解ものが好みのようだが、これは父と娘であり似たようなもんである)。

しかし、それはよい。
別に定形を使用したからといって、それでつまらないとは言えまい。
紋切り型がダメだというなら寅さんシリーズや黄門シリーズは誰も見ないのか、、、そんなことはない。
火星にアメリカの都市と同じような外観のコロニー(マーズ・ニューヨーク等、全てがアメリカ都市名)をドームに入れて作ったのは、それはそれでよいとして、アメリカ映画だから、もう人類はアメリカ人しかいないのか、、なども不問に付したい。
そんなのは、細かいことである。


引っかかるのは、最後に火星でも同じ過ちを繰り返さず、自然環境を大切にしてくれと遺言を残すフォスター博士。
アルゴアの講演に、上映したい映画であるその点においてだ。
大規模自然災害に食物連鎖の崩壊 電力の供給不足に至り、、、科学者がもっと早く行動していたなら等々。
この安直で極端な設定、知的怠慢がおよそSFにそぐわない。
兎も角、火星の砂嵐をテーマにパニック映画を作りたいという製作陣の意思は分かる。
が、その火星を舞台とする理由が、単なる人類の地球環境の破壊による、ときた。
地球が生きており、その地球が人類に牙をむいたというような、、、地球-ガイアの意思による人類の排除という流行りの信仰である。
この強引な単純化が猛烈に気に障る。
登場人物が皆、馬鹿に見えてしまうところだ。

今現在、何が起きているというのか?
いや、何が起きているのかをもっと精確に見渡さなければならない。
何らかの信仰に裏打ちされたアジテーションと恫喝が入り乱れる中で。
道徳や民主主義に足を取られてはならない。
それら無知と洞察の欠如に支えられた確信につけこまれてはならない。
この映画でも使われているのは、その道徳である。
初っ端から、ニーチェが最も憎んだ、生の否定から出発している。
多様な生の否定である。

わたしは、環境破壊で人類が滅ぶとは思わない。
寧ろ太陽が赤色巨星になって呑み込まれる事態を前に、太陽系外の星に飛び出すか、星間コロニーを建造するかであると考える。(まだ、人類とやらが存在していればの噺)。
環境信者や御用学者が何と言おうと、たったひとつやふたつの偏位データのせいで生物が死滅することなどありはしない。
相変わらず、地上では健全に、病気で人が死に、ある生物種が絶え、災害が起きているだけの事である。
もし、病のない世界、気候変動のない世界、全ての生物が殺されない世界、汚染や欠乏のない美しく豊かな世界、、、などのユートピアこそがあるべき世界だというなら、それこそ人類後の世界であろう。
人類も自然界も普通に活きている。多様な生を現実には今も生きており、この先も活きる。
生命を生命として活かさないのは、道徳であり信仰であり、、、盲目である。

この点において、この映画の出だし(前提)は、どうにも見逃せない。


Mars Od
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