鳥

”The Birds”
1963年アメリカ
アルフレッド・ヒッチコック監督・製作
ダフネ・デュ・モーリア「鳥」原作
ティッピー・ヘドレン 、、、メラニー・ダニエルズ
ロッド・テイラー 、、、ミッチ・ブレナー
スザンヌ・プレシェット 、、、アニー・ヘイワース
ジェシカ・タンディ 、、、リディア・ブレナー
ヴェロニカ・カートライト 、、、キャシー・ブレナー
初めてである。アルフレッド・ヒッチコック監督物について書くのは。
TVの「ヒッチコック物語」はずっと見ていたし、アメリカ時代の映画作品には、結構親しんでいた。
特にサイコ、トーンカーテン、これ、、、それほど見ていないか、、、。
「鳥」はアメリカに拠点を移してから、かなり後期のものである。
彼にとって最後の方の作品に当たり、円熟の極みを見せている。
TVに録画したものを見た。
随分久し振りであった。
特撮に関しては文句なしである。
(最近の高度な特撮よりバックボーンがしっかり在る分、雄弁である)。
特に後半かなりの上空にいる鳥の視座からの街の俯瞰画像が広がる場面は、戦争映画の戦闘機のパイロットの視点等とは次元の異なる恐ろしい程の畏敬を感じさせられるものだ。
これを見ている主体は、一体何者なのか、、、!
主体なき視野であるのか?
これまでに見た映画で、このような絶対的虚無の恐怖が感じ取れるものは他にない。
また、鳥というものは、1羽なら気にもとめないが、それが少しずつ増殖してゆくにつれ、この上なく不吉な感情に煽られれるものだ。
ヒロインの腰を下ろす背後のジャングルジムの光景がまさにそれであり、いよいよのっぴきならない状況になる間奏曲にもとれる。
この映画は、数の魔力を大変効果的に使っていた。
ただひたすら大群で押し寄せる迫力だけではない。
車が出るとき、何の反応もみせずに地面を完全に覆って静観している彼らには、宗教的な威厳を覚えた。
シーニュの群れである。
やはりそこがヒッチコックである。
何故、鳥がヒトを襲うのか?
この作品、背景に人間中心主義的な分かりやすい理由などを一切設定しない。
その種明かし、説明がないところが、この作品を格調高い孤高のものとしている。
つまり、極めてリアルなものにしている。
サスペンスといってもSF設定であれば、やはり科学的根拠を示さなければならないハメになろう。
オカルトホラーなら、何やら(時空間的に)超越的存在の呪術によるものであることを示すことになるか。
だが、それによって、世界はたちまち虚仮威しの薄っぺらなものに落ち込む。
原因や理由など何においても、容易に決められるものではない。
TVなどで、評論家が犯罪者の犯行理由に対し、直様淀みない解説をし始めるのには常に呆れて寒々しくなる。
少なくとも当人は、自分が何故そんなことをしたのか、考えるほど判らなくなって、混乱を極めてゆくのではないか。
または、評論家の先生がそういうのだからそうしておこうと、丸投げしてさっさと降りてしまうかも知れない。
その方が無難で、周囲からも同意を得られるだろうし。
しかし、本気で考え出したら、答えなど決まるはずがない。
考える過程で、まず「自分」が解体する。
何において考えれば良いか、収拾がつかなくなるはず。
この世界は、様々なsigne(シーニュ)に満ち溢れているだけだ。
ただし、当たり前だが社会人としての側面から責任は問われる。
一義的な答えの用意は要請されるものだ。
誰にも納得しやすい分かりやすい物語へと折り合いをつけ、罰せられることになろう。
何であれ、法を犯せば罰せられなければならない。
ここでは、鳥だ。
ヒトも堂々と襲って殺している。
生徒たちを身を呈して守った女性教諭も殺された。
とんでもない連中だ。ヒトであれば容赦されまい。
やはり見ている側では自然に、何で鳥がこんなことするのかな、という疑問は湧起こる。
そして最後にはその理由が明かされるのか、、、
と、知らず期待しながら観ていたりするものだ。
劇中では、一度だけ被害に遭い避難している婦人が、ヒロインに対しあなたがこの土地に来てからこういうことが起きたのよ、と彼女のせいに決めつけたかのような暴言を吐いている。(ヒロインに思い切りひっぱたかれるが、そうかも知れないと少し思ったりもする)。
よくある、この手のサスペンス映画では、最後どんでん返し的に、それかよ!というような原因・理由が用意される。
ヒッチコックのこれは、先にも述べた通り突き放したまま、何も変わらず解決もされず、何も判明しないのだ。
ただ、車に何とか皆で乗り込み、家をそっと出てゆくだけ、、、。(しかもヒロインからプレゼントされた「ラブバード」の番を娘が膝に大事に乗せて、、、この無意識、何故か意味深ではある)。
終始、人間ドラマに鳥が些かも交錯することはなかった。
ヒトはヒトで結束したり、疎遠となったり、鳥は鳥の固有時により仕事をする。
ヒトにとって自然はそんなに生易しい飼い慣らせるものではない。
「ラブ・バード」の存在が引っかかるように仕向けてきたが結局、何かの暗示-シーニュにもなっていない。
ヒッチコックめ!
素晴らしいエンディングだ!
わたしがこれまでに見た映画のなかでも、最も説得力のあるエンディングである。
最初に発表された「ブレードランナー」(ディレクターズカット以前のもの)のエンディングより千倍はよい。
(と言うより比較にならない)。
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