Desert Music 砂と反復

”The Desert Music”
Steve Reich
"Different Trains"が、クロノス・クァルテットの演奏で、ホロコーストの経緯もあり部分的に耳には入っていたのだが、、、
「スティーブ・ライヒ」を意識的に聴いたのは、この”Desert Music”が最初と言える。
大変鮮明で煌びやかな衝撃を受けた。
曲構成が印象的で、ヘンリー・カウなど結構影響を受けていることが分かる。
大学時代に親しい友達から薦められて聴いたものだ。
彼女はピアノ科であったが、第二楽器がマリンバだった。
その関係もあろうか、ここでもマリンバがかなり聴ける。
この音世界には、たちまち引き込まれた。
わたしがフルートを少しばかり吹いているということで薦められた無調音楽には、正直辟易したのだが。
(フルートは入らないが、モートン・フェルドマンだけは、自分でもCDを買って聴き入った)。
砂漠というより、砂というものの本質に触れた気がした。
それは、海岸の砂でも砂漠の砂でもなく、わたしたちのその頃の先生でもあった國領經郎の砂丘でもない。
(埴谷雄高が彼を高く評価していたのは、物凄く意外であった。どこをどう気に入ったのか今もわからない。モチーフの砂関係でか?油絵なのに日本画的テクスチュアによる空間性においてか?しかし何故、砂だけでなく若い男女などを描き込むのか?)
The Desert Music
実際の「砂」であるが、まだ知らない「現実の砂」である。
砂は、わたしにとってぼやけた観念に留まっている。
他の多くのモノと同等に。
例えそれを名指しても、それがあるのだかないのだか覚束無い、そんな世界に大方暮らしている。
やはり、音楽を聴くと、その真実味がよく染み渡ってくるものだ。
抽象の方が、現実的であることが分かる。
BBCシンガーズは、ロック界における最高傑作と言えるプロコルハルムの”グランドホテル”ですでに聴いてはいたが、ミニマルミュージックの代表格の作曲家の曲で聴くと、また違う。
エモーショナルな感覚は微塵もなく、物質的で無機的な響きが幾度でも回帰してくる。
それもひと粒ひと粒の砂の運動として。
彼らには、反復が馴染む。
砂というものは、反復の象徴である。
いや、反復そのものか。
そして砂漠とは何か?
それこそ無限反復の厚みそのものであろう。
この全体の響きと声-コーラス?は、大変原初的であると同時に、終わりの光景だ。
ヒトは影すらない。
しかも象を結ばない。結ばせない光景であり続ける。
そんな強度をもっている。
宗教を超えたオラトリオを感じる。
マリンバ、弦、(金)管楽器、BBCのボーカりぜーションによる大きなアンサンブルである。
ライヒにはこういう構成が多い。
聴いてるうちに、珍しくうたた寝をしてしまった。
夢の不安と安らぎの両者が抽象の砂風となって立ち現れ、吹き付けては去ってゆく。
これが何千回と繰り返された気がする。
遥か遠方の何処かの地球の光景が思い浮かびそうになるが、その前に眠ってしまう。
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