誕生日

誕生日を迎え、これまでで一番美味しいケーキを食べた。
次女が独りで、美味しいケーキ屋さんで買ってきてくれた。
実際、味も良いが、娘が初めての買い物で買ってきてくれたのだから、極めて貴重なケーキである。
しかも、その手のことは長女がやってくれることがほとんどで、次女はそんな時大概寝転びiPadで「グデタマ」を見ている。
(最近、グデタマはアメリカでも人気急上昇らしい)。
当日に脅かしてやろうと企んでいたようだが、何分初めての事ずくめで緊張したらしい。
少し驚いたのは、「パパお誕生日おめでとう」をちゃんとプレートに書いてもらう事が伝えられたことより、ロウソクの大小でしっかりわたしの年齢が揃えられていたことだ。
わたしの歳を知っているとは、思わなかったのだ(笑。
一度も彼女に聞かれたこともないし、、、調べたのだろう。
ケーキをなんとなく買ってくるだけでも、わたしにとっては快挙と思えるのだが、プレートにロウソクの大小の本数まできっちり仕込んであるとは、、、わたしの成り行きの加齢とは全く次元の異なる、寧ろ子供の成長を実感した。
当然、そちらの方が感慨深い。
こちらとしては、今更ひとつ歳が増えて、何が面白いというものではない。
悲しくもないし、特別な感情に浸りたいという姿勢自体無い。
娘の垂直上昇率に少しばかり目眩がした。
そろそろ、こちらはこちらで総決算を考え準備を始めるという方向性もあるかも知れない。
が、怠くてやる気がない。
そこらへんで、娘とは気が合う。
やはり「グデタマ」である。
そのへんからの共有するものは、増えてきた。
「霊」や「宇宙」や絵や音楽では、結構じっくりやり取りが楽しめる。
そろそろ一緒に作品作りも出来そうだ。
紙による立体作品(折り紙)などでは、すでに長女には到底かなわない。
今年は、何か共作をしてみたい。
最近3人の間で話題になったことに、インドで人類史上初めて隕石に当たって死んだ人が出たということがある。
こういう話題にはよく食いつく。
2013年にロシア・チェリャビンスク州に落ちた直径10数メートル級の隕石の件は、今も鮮明に記憶に残っている。
しかし、あの神秘的な出来事では1500人からの負傷者は出たが、死亡者は無かった。
今回は、3人の負傷者と歴史に残るひとりの死者である。
宝くじで何億円当てた等、問題外の大当たりもよいとこである。
(もしかしたら記録に残っていない直撃者がいたのかも知れないが)。
普通、奇跡と呼ばれるくらい難しい事であろう。
しかし、宝くじに当たる方がどちらかといえば、嬉しい。
(買ったことないので当たりようがないのだが)。
どれだけ貴重な死に方であっても、突然生を中断されるのは痛い。
誰であっても原理的に生は中絶されるしかないのだが、薄々それを感じてそれなりの覚悟ができているのといないのでは雲泥の差である。
何よりも引き継ぎ、という点においてである。
わたしが、もっとも肝心な問題として考えるのがその点である。
娘たちに少しでも多く引き継げるものを、それとわかる形で残しておきたい。
今日つくづく感じたことである。
明日からは、多少自覚的に生きたい。