整理する日
今日は一日中、整理に明け暮れた。
何も今時、モノの整理をするつもりは、なかった。
事のはじめは、次女に「怪談レストラン実写版」を観たいと言われそれがすぐに取り出せなかったのである。
あっちこっちの(各デッキとパソコン10台の側に、分配してDVDとブルーレイタイトルを置いている)ラックを見てまわるが、何処に置いたか見つからない。
整理が悪いせいであることは間違いないため、全部をほおり出して、ジャンル分けして置きなおすことにした。
それと同時に、気にかかっていた多肉の整理も始めてしまった。
幾つか、もうダメになってしまったものや、いらないタイトルも見つかり、廃棄処分も始まってしまう。
そうすると、パソコンのなかの、もういらないデータやユーティリティ、アプリケーションも気になり出す。
本も読んでいないものも含め何故か気になる。
それから、娘たちに以前から見せたいと思っていて、何処にしまったか分からぬ「絵」もついでに見つけたくなる。
そうなると、もう自閉的な持ち前の性向から、適当に済ませられなくなり、脳みそではある程度で切り上げて、映画でも見て記事書いて、子供を寝かしつけないと、とは考えるのだが、それより片付け整理リビドーの方がずっと強度を増してくる。
結局、冷静に見ればかなりの量がもう必要ではない、置きっぱなしとなるであろうものであることに気づく。
床にほっぽり出してみると、よくこれだけの量のモノが何処かに収まっていたものだと、途方にくれ真面に目眩に襲われる。
血圧にも悪い。
次女に見たいと言われ、6時間後に例のDVDが見つかる。
彼女らの就寝時間ギリギリに見終わる逆算であったため、すぐに見せることにはした。
その間に、残すものと捨てるものを見分ける作業に入る。
これは、狭い庭に散乱した「多肉」についてもである。
(この時点で、わたしの映画鑑賞は本日については、無くなる)。
ビデオテープものは、そこそこ整理ができたが、DVDタイトルはまださすがに、見直すかも知れないという気持ちには逆らえず、そのまま配置替えにとどまった。ブルーレイは勿論。
本も僅か数冊の廃棄で終わり、一番景気よく捨てられたのは、ケーブル関係であった。
懐かしいINTERFACEに暫し思いに耽る場面もあった。
ついでにプリンターもひとつ捨てた。
と同時にその分は注文した。複合機はそれ1台であったので。
E社のものはもう懲り懲りであったので今度はB社のモノにした。
B3ノビ対応複合機である。これがないと結構不便なのだ。カレンダー作りに。
web上で調べると、E社やC社、H社のモノに比べかなり評価が高かったため、わたしにとって初めてのメーカーであったがB社のものに決めた。
もう度重なるトラブルやランニングコストの悪さからいって、E社のものだけには手を出さないことにしていたが(肝心のプリントより、ノズルのチェックパタン印刷ばかり繰り返し行ってきた実績がある)、スレを見た範囲でB社のその製品には、ちょっと期待できそうな気になっている。
これは、整理というのか単なる更新・入れ替えに過ぎないのだろうが、仕方がない。
必要なものは、ないと困るのだ。
ちなみに、娘達がキッドピクスで描いた絵をプリントアウトに使っているC社のプリンターは、最初のクリーニングの挙動にはこちらの諦観を必要とするが、悟ればストレスは感じなくなるものである。
H社のランニングコストと普通紙印刷の綺麗さについては満足度は高いが、ドライバーやアップデート、ユーティリティには扱いにくさを感じる。
また、トラブル対処が為難い。
レーザー導入は、仕事で使う訳ではないので考えていない。
多肉については、もうお亡くなり寸前の鉢が残念ながら3つ見つかりそれは、空の鉢となってしまった(合掌。
小さい葉を他の鉢の隅っこに置いてみたが、厳しそうだ。
最近思うのは、寒さ対策だけでなく、冬でも水のコントロールが必要であることだ。
サボテンや冬眠する多肉は別だが、冬の乾燥期に適度な水分補給が実が結構大切だったりする。
土がカラカラに乾いてしまっているものには、水が欲しいかどうか聞いてみる必要があるようだ。
などということから、自分の性分の問題もあって、映画を見るどころの話ではなかった。
しかし、娘ふたりがかなり手を貸してくれたため(それは怪談ヴィデオを観たいからでもあるが)、親子交流がいつもと違う形で出来た。
かなり出来ることが増えている事に気づく良い機会でもあった。
また、頼まれてやることも嬉しいようで、やり終える度にドヤ顔をするのが面白かった。
確かに取り敢えずお買いものに行って何か買い与えて済ますことが少なくないことに、後ろめたさがあった。(教育上、あまり良いとは言えまい)。
これからは、なるべく彼女らの活動の場を多面的に作ることを特に心がけたい。
と、モノ整理を通して思った。
兎も角、息があがり切羽詰まったが、そこそこ楽しい一日であった。
終わりよければすべてよし、としたい。
何も今時、モノの整理をするつもりは、なかった。
事のはじめは、次女に「怪談レストラン実写版」を観たいと言われそれがすぐに取り出せなかったのである。
あっちこっちの(各デッキとパソコン10台の側に、分配してDVDとブルーレイタイトルを置いている)ラックを見てまわるが、何処に置いたか見つからない。
整理が悪いせいであることは間違いないため、全部をほおり出して、ジャンル分けして置きなおすことにした。
それと同時に、気にかかっていた多肉の整理も始めてしまった。
幾つか、もうダメになってしまったものや、いらないタイトルも見つかり、廃棄処分も始まってしまう。
そうすると、パソコンのなかの、もういらないデータやユーティリティ、アプリケーションも気になり出す。
本も読んでいないものも含め何故か気になる。
それから、娘たちに以前から見せたいと思っていて、何処にしまったか分からぬ「絵」もついでに見つけたくなる。
そうなると、もう自閉的な持ち前の性向から、適当に済ませられなくなり、脳みそではある程度で切り上げて、映画でも見て記事書いて、子供を寝かしつけないと、とは考えるのだが、それより片付け整理リビドーの方がずっと強度を増してくる。
結局、冷静に見ればかなりの量がもう必要ではない、置きっぱなしとなるであろうものであることに気づく。
床にほっぽり出してみると、よくこれだけの量のモノが何処かに収まっていたものだと、途方にくれ真面に目眩に襲われる。
血圧にも悪い。
次女に見たいと言われ、6時間後に例のDVDが見つかる。
彼女らの就寝時間ギリギリに見終わる逆算であったため、すぐに見せることにはした。
その間に、残すものと捨てるものを見分ける作業に入る。
これは、狭い庭に散乱した「多肉」についてもである。
(この時点で、わたしの映画鑑賞は本日については、無くなる)。
ビデオテープものは、そこそこ整理ができたが、DVDタイトルはまださすがに、見直すかも知れないという気持ちには逆らえず、そのまま配置替えにとどまった。ブルーレイは勿論。
本も僅か数冊の廃棄で終わり、一番景気よく捨てられたのは、ケーブル関係であった。
懐かしいINTERFACEに暫し思いに耽る場面もあった。
ついでにプリンターもひとつ捨てた。
と同時にその分は注文した。複合機はそれ1台であったので。
E社のものはもう懲り懲りであったので今度はB社のモノにした。
B3ノビ対応複合機である。これがないと結構不便なのだ。カレンダー作りに。
web上で調べると、E社やC社、H社のモノに比べかなり評価が高かったため、わたしにとって初めてのメーカーであったがB社のものに決めた。
もう度重なるトラブルやランニングコストの悪さからいって、E社のものだけには手を出さないことにしていたが(肝心のプリントより、ノズルのチェックパタン印刷ばかり繰り返し行ってきた実績がある)、スレを見た範囲でB社のその製品には、ちょっと期待できそうな気になっている。
これは、整理というのか単なる更新・入れ替えに過ぎないのだろうが、仕方がない。
必要なものは、ないと困るのだ。
ちなみに、娘達がキッドピクスで描いた絵をプリントアウトに使っているC社のプリンターは、最初のクリーニングの挙動にはこちらの諦観を必要とするが、悟ればストレスは感じなくなるものである。
H社のランニングコストと普通紙印刷の綺麗さについては満足度は高いが、ドライバーやアップデート、ユーティリティには扱いにくさを感じる。
また、トラブル対処が為難い。
レーザー導入は、仕事で使う訳ではないので考えていない。
多肉については、もうお亡くなり寸前の鉢が残念ながら3つ見つかりそれは、空の鉢となってしまった(合掌。
小さい葉を他の鉢の隅っこに置いてみたが、厳しそうだ。
最近思うのは、寒さ対策だけでなく、冬でも水のコントロールが必要であることだ。
サボテンや冬眠する多肉は別だが、冬の乾燥期に適度な水分補給が実が結構大切だったりする。
土がカラカラに乾いてしまっているものには、水が欲しいかどうか聞いてみる必要があるようだ。
などということから、自分の性分の問題もあって、映画を見るどころの話ではなかった。
しかし、娘ふたりがかなり手を貸してくれたため(それは怪談ヴィデオを観たいからでもあるが)、親子交流がいつもと違う形で出来た。
かなり出来ることが増えている事に気づく良い機会でもあった。
また、頼まれてやることも嬉しいようで、やり終える度にドヤ顔をするのが面白かった。
確かに取り敢えずお買いものに行って何か買い与えて済ますことが少なくないことに、後ろめたさがあった。(教育上、あまり良いとは言えまい)。
これからは、なるべく彼女らの活動の場を多面的に作ることを特に心がけたい。
と、モノ整理を通して思った。
兎も角、息があがり切羽詰まったが、そこそこ楽しい一日であった。
終わりよければすべてよし、としたい。