映画を見始めてすぐ止める
幾つか見ようとして見始めるのだが、そのまま見続けることが出来ない。
見ていられないのだ。
先が見えるからでも、つまらなさが分かるからでもない。
ただ、見ることに耐えられないのだ。
何故か?
いや、そうではなく、何故見る必要があるのか?
映画を。
ブログ記事を更新するため映画を観ることが本末転倒だ、などと言うつもりは端からない。
元々映画を見る習慣などわたしにはなく、映画を見た感想を書こうととでもしなければ、映画自体を見ることもないだろう。
最初からそのつもりであった。
結果的に、幾らか映画の鑑賞体験を積むことが出来た。
などという気持ちは微塵もない。
記事を書くために映画でも見てみようと始めたことなので、所謂、映画ファンが映画を見たくてたまらず、見るのとは違う。
淀川先生のように映画を愛している訳ではないのだ。
あのような生き方にはうっとりしてしまうものだが、、、。
とても無理だ。
まだ本を読みたい気持ちのほうが強い。
が、今の生活サイクルでは、とても集中して読めず、いつその感想が書けるかわからない。
とりあえず、2時間程度モニタを見ていれば、それなりに何かを感じる。
だが、それを記事に書いてしまうと、何かが残るとか、変わるとか、生活に役立った、などということは全くない。
書く事は、不思議な作用を齎す。
ほとんど、頭の中が空になってしまうのだ。
もしかしたら、それを望んでやっているのかも知れぬが、、、。
プラスではなくマイナスの効用である。
(それは良い読書をした経験に近いものがある)。
今改めて、何のために書いているのか?
ではなく、何のつもりでブログを更新しているのか。
そうである。
見始めてすぐに嫌になったのは、この映画で更新記事を書くのはキツイと思うからである。
勿論、こころを奪われるような映画に出くわせば、見る事を止められず、終いに何かを書いてはいよう。
しかし。批判するほどの意欲も生じない映画であると、もう気持ちは萎える。
(それでも無理やり書いてみたのもあるが)。
そして、今日はアップデート出来ないという状況になってくると、イライラしてくる。
何であれ、生活の組立として、何らかのルーチンをもちたいのだ。
一日に一本は映画を観て、感想の一つも備忘録のつもりでも、書き記しておく。
何かそこに、自分が踏みとどまっているという感覚がある。
さもなければ、もう全てがなし崩しとなってしまい、エントロピーの矢に吸い込まれて行ってしまうだけ、、、。
わたしにとって、映画を観て感想を書くという行為は、とりあえず何かにしがみついて、システムに流されることから身を守ろうということ以上でも以下でもない。
しかし、なんでまた映画に拘ってみたのだろうか?
恐らく、これまでやってこなかったことをやり、少しでも抵抗をもたせたかったのかも。
わたしにとって、映画を見ることは、結構無理のある意志の力を必要とするものである。
システムを破壊したいという、実は根深い強固な望みから出た仕草なのだ。
映画で記事を書いていないときは、ほとほと見るのに疲れた時である。
こんなふうに。
見ていられないのだ。
先が見えるからでも、つまらなさが分かるからでもない。
ただ、見ることに耐えられないのだ。
何故か?
いや、そうではなく、何故見る必要があるのか?
映画を。
ブログ記事を更新するため映画を観ることが本末転倒だ、などと言うつもりは端からない。
元々映画を見る習慣などわたしにはなく、映画を見た感想を書こうととでもしなければ、映画自体を見ることもないだろう。
最初からそのつもりであった。
結果的に、幾らか映画の鑑賞体験を積むことが出来た。
などという気持ちは微塵もない。
記事を書くために映画でも見てみようと始めたことなので、所謂、映画ファンが映画を見たくてたまらず、見るのとは違う。
淀川先生のように映画を愛している訳ではないのだ。
あのような生き方にはうっとりしてしまうものだが、、、。
とても無理だ。
まだ本を読みたい気持ちのほうが強い。
が、今の生活サイクルでは、とても集中して読めず、いつその感想が書けるかわからない。
とりあえず、2時間程度モニタを見ていれば、それなりに何かを感じる。
だが、それを記事に書いてしまうと、何かが残るとか、変わるとか、生活に役立った、などということは全くない。
書く事は、不思議な作用を齎す。
ほとんど、頭の中が空になってしまうのだ。
もしかしたら、それを望んでやっているのかも知れぬが、、、。
プラスではなくマイナスの効用である。
(それは良い読書をした経験に近いものがある)。
今改めて、何のために書いているのか?
ではなく、何のつもりでブログを更新しているのか。
そうである。
見始めてすぐに嫌になったのは、この映画で更新記事を書くのはキツイと思うからである。
勿論、こころを奪われるような映画に出くわせば、見る事を止められず、終いに何かを書いてはいよう。
しかし。批判するほどの意欲も生じない映画であると、もう気持ちは萎える。
(それでも無理やり書いてみたのもあるが)。
そして、今日はアップデート出来ないという状況になってくると、イライラしてくる。
何であれ、生活の組立として、何らかのルーチンをもちたいのだ。
一日に一本は映画を観て、感想の一つも備忘録のつもりでも、書き記しておく。
何かそこに、自分が踏みとどまっているという感覚がある。
さもなければ、もう全てがなし崩しとなってしまい、エントロピーの矢に吸い込まれて行ってしまうだけ、、、。
わたしにとって、映画を観て感想を書くという行為は、とりあえず何かにしがみついて、システムに流されることから身を守ろうということ以上でも以下でもない。
しかし、なんでまた映画に拘ってみたのだろうか?
恐らく、これまでやってこなかったことをやり、少しでも抵抗をもたせたかったのかも。
わたしにとって、映画を見ることは、結構無理のある意志の力を必要とするものである。
システムを破壊したいという、実は根深い強固な望みから出た仕草なのだ。
映画で記事を書いていないときは、ほとほと見るのに疲れた時である。
こんなふうに。
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