麦秋

1951年
小津安二郎監督
初夏である。
「紀子」第二弾にあたる。
笠智衆が何と、紀子のお兄さんやってるではないか!
やたら若いのだ(驚。
しかもである。東京物語で奥さんだった人が、おかあさんなのである。
それは、ちょっと、、、。
原節子はここでも「紀子」なのだ。
どうしても何らかの連続性をどこかに思い入れてしまうが、それでは奇妙な(気まずい)混乱を感じてしまう。
ちょっと、居心地悪い。
もうひとつ、お父さんが、やはり笠智衆でないのが、最後までしっくりこなかった。
次の「東京物語」を先に観てしまっているからなおさらだ。
笠智衆が原節子の義父で、あのお母さんが笠智衆の奥さんで、一緒に浜辺の桟橋を歩く姿がイデアとなってしまっている。もうどうにも修正は効かない。
「東京物語」の方がどうしたって「真の世界」なのだ。
彼女が紀子という名前でなければ、まださほど気にならなっかたはずだが、、、。
ただ紀子はここでも、「お嫁に行かないか?この男はなかなかいい奴なんだ。」
とか「~大学を出て、旧家の御子息なのよ。今は~会社の常務なの。」
などの話は、相変わらずもちかけられる。
取り敢えずこちらは、一段前の下界の姿として観よう、と思う。
ともかく、じいさんがいっぱい出てくる作品だ。
紀子は、にこにこしながらじいさんの横に座っている。
「とってもお金持ちで、一生遊んで暮らしていられるところ、ありません?」
とお見合いの話ばかりでうんざりな彼女がお茶目に聞く。
するとじいさんが応える。
「いやー。いい天気だーっ。」
「やまとは、ええ。」「まほろばじゃい。」
、、、、、静かな光景に染み入る、、、、。
このへんに来ると、もう境界を一歩跨いでいる。
あやうい。
このあやういじいさんたちの存在が、濃密な緊張感を維持してゆく。
例によって、境界界隈の光景が挿入され、、、。
大仏だ。
そして誰の隣にも、いつだって紀子が、菩薩となって慈悲の笑みを湛え座っている。
そうだ、彼女は救済に来たのだ。
56億7千万年待たずとも。
すでに、そこにいながらにして、まほろばであった。
じいさんは、耳が聴こえないのか、聴こえているのか定かではない。
しかし、余計なことなど聴こえすぎないほうが、肝心の声が聴こえるというもの。
、、、即身成仏。
しかしそれを身を持って体現している笠智衆が、今回やたらと若い。
何と、ひとを叱りつけたり、子供に怒ったりもする。
ドリフの加藤茶に芸風が一瞬ダブルところもあったりして(あの麩の執拗な開け閉め)、思わず頬が緩んでしまうがちょっと残念ではないか。そういうお茶目は期待してない。
しかし、すでに枯れているため、脂ぎった演技は無理である。
やはり、笠智衆は兄であっても、いつしか父親的な存在に落ち着いている。
であるため、父親役の役者が霞んでいた。
本来、笠智衆が語る語り口を踏襲しているが、板についていない。
特にその父親役が、あのお母さんと並んで座って話しているところなど、パロディを観る思いがした。
これは無理もないと言える。
こちらは、時間軸を逆に観てもいるし。
笠智衆の演技とも何とも言えぬ身体性に感化されてしまっては、、、、。
じいさんだけでなく、紀子女子会もかなり見られた。
「ねーっ」
が、頻繁に発せられた。
「ねーっ」は、なかなか普通聞けない。
特に原節子の「ねーっ」である。
ま、いいか。
パクパク食べる姿もかなり見られた。
原節子の人間的な普通の側面を見せようとしているフシがある。
しかし、原節子は原節子である。
Audrey Hepburnがそうであるように。
ピカソが如何に自分を破り捨てても、新たなピカソの絵は、ひと目で彼の作品と分かってしまう。
やはり存在そのもの、である。
それを観るだけである。
何をやるかではない。
どのようにあるかである。
紀子は一見物凄く突飛なタイミングで、まさかという人(幼馴染)と結婚を決めてしまい、家族全員が色めき立つ。
親兄弟は受け入れ難いが、紀子は良い縁談を蹴って、二つ返事でその申し込みを受け入れる。
彼は研究のため4年間遠方の土地に暮らす為に明日東京を発つのだ。
そんな時に持ちかけられたため承諾してしまったらしい。
人生で重要な節目と言われる行事なんてものは、往々にしてちょいとした拍子で決まってしまうものだ。
何らかの理由や好き好きや価値観を細かく付け合わせて、その分析結果で物事が決まるということはない。
どんな場面においても。
何処に行って誰に嫁ごうと紀子は紀子以外の誰でもない。
