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女子美退職者記念展  矢辺博子展を観る

Keith Haring
これはKeith Haringのもの。矢辺氏の作品は表示出来ないため。

公園が思いのほか寒かったので、女子美アートミュージアムに行ってみた。
(以前、娘がそこでキャーキャー走り回って、女子美のお姉さんに叱られたものだ)。
余談だが、いま長女は将来女子美を狙っているふしがある。
何故なら、公園が隣にあるからだ。
(公園で女子美のお姉さんが遊んでいるところなど、わたしは見たことはないのだが、、、)。


本来、シルクスクリーンやモノタイプ版画は、優れて平面的な表現手法である。
本作品群もシルクスクリーンの特性を表現手法として昇華させたものになっている。
構成要素は具象的でありイラスト調のものでもある。
それらの要素は、作品を跨り反復して再現したりもする。(カジキマグロなど)。
また、花瓶など殊更質感と立体性を際立たせた要素もある。
しかしそれは実物の質感と立体感ではなく理念上のものであり、更に抽象度は高まってくる。
要素はそれぞれ質感が異なるが、ディテールは追求されている。


作品群はあくまでも、平面上に各要素を配置して、擬空間を現出させるものである。
いや、擬空間の創造を目的に据えるというより、各要素間における関係性の創出が結果としての擬空間を生んでいると言えよう。
ただし、よくある装飾的に好きなものを見栄えよく並べてみました、といった作品とは異なる次元を空間化していることは、はっきり窺える。(ロートレアモンの言う意味での)。
いずれにせよ、空間という、そこに不可避的に入り込む狡猾な(線及び空気)遠近法制度を完全排除し、観念-イメージとしての絵を純粋に創造する「方法」が示されている作品群である。


絵を描くときに、無意識的に受動的に介入する、制度である「空間」を締め出すには、やはりこのように制作を平面性のうちに求めるしかない。
純粋に自由な創造空間を設える方法をまず前提として確保する必要がある。
ということを、スッキリ実感する展示会であった。


特に矢辺氏のインクの色合いがとても落ち着き、心地よく眺めていられる。
質感・テクスチャの対比感も粋である。
シルクスクリーンの版画はやはり気持ちが良い。
(Andy Warholやヒロ・ヤマガタはごめんだが)。
勿論、メッシュを使った孔版であればよいわけではない、ことは言うに及ばない。
大半は、何かの元絵をそのまま形式を移した類のものや、単に包装紙のような装飾的なものなどが目立つ。


一昨日行った展示会の素人作品展のつまらなさが、今一際実感される。
制度の自動的上なぞりの閉塞感が、その場を早く立ち去らせようとするのだ。
具体的・象徴的に、無自覚な空間描写にそれは如実に表れる。





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