美女と野獣

La Belle et la Bête
フランス・ドイツ映画
クリストフ・ガンズ監督
久々のハリウッドでない作品を観た。
しかしそのスケールは、ハリウッド作品に等しい。
荘重さは、それを凌ぐものだ。
重厚でビビットな絵作りとも言えよう。
「美女と野獣」はジャンコクトーが実写化したもの(こと)が有名である。
わたしは、恐らく見ていないと思う。
何かの機会に見たとしても、あまりに昔のはず。
どっちみち、覚えていない。
美女ベルにレア・セドゥ
野獣 / 王子にヴァンサン・カッセル
一本のバラから話が本格的に動き出す。
「何よりも愛おしい。」という城の領内に入る呪文。
「命が薔薇の代償。」
精霊や泉、、、。
かなり自然界の神秘やアニミズムの要素が強い。
お伽噺は、それを空想して楽しむばかりでなく、自分をそこに投影する場所ともなる。
この映画は形式上、母親の子供を寝付かせる時の本の読み聴かせ、で進行する。
まさに物語を想い浮かべるように再現する、色鮮やかなファンタジー映画。
その話は、読み聴かせている母親自身の冒険譚?である。
きっと、今は出版社を営む兄たちが企画・出費して世に出した物のはず。
しかしこの見事な映像世界、絵そのものでしか伝達困難な部分は多く、読み聴かせで豊かに伝えられる内容だろうか。
この映像を観てしまっているから、殊更そう感じてしまうのか?
子供にイメージ出来る話か(その生活経験から類推可能か)どうか、と思ってしまう箇所も少なくない。
呪いに支配された森の異様な情景や囁く蛍(精霊)の光や荒ぶる魔物たち。
かつて別の女性が呪われた城で恋をして死んだことをベルが悟った場面とか、、、。
野獣の姿に身をやつした孤独な王の葛藤やベラのこころの揺れ動きなども。
泉の伏線などのディテールも、、、。
絵本は特に、途中で説明など入れてしまえば、物語が失速してしまい、イメージの破壊に繋がる。
何よりも鹿の緩やかに宙に一瞬止まるリズムで走る、あの一際美しい姿。
惚けて見とれてしまった。
ハイジのアニメでも鹿はあんなふうに走っていただろうか、、、?
そして逃げ惑う黄金色の牝鹿を王がついに弓矢で射殺してしまう。
その鹿こそ恋を知るために変身した王妃であった。
(この鹿の瞳と王妃の瞳の重なるカメラワークと演出は特に素晴らしい)。
彼女の父親である森の神の大いなる怒りに触れ、呪いをかけられた王は野獣にされてしまう、、、。
ここは、やはり手っ取り早く、この映像を観せてあげたくなる。
観なければ分かるまい。
往々にして、映像は想像力を限定してしまうものだが、この鹿の走る絵は特に、観て損はない。
現在と王の過去の映像の切り替えも見所であり、この演出は鮮やかである。
(これが話としてどのように語られてゆくのか?)
ただ、この王の裏話は、ベルの夢に反転して現れてゆく。
それと彼女の野獣-王に対する好意-恋慕の情が同期する。
とは言え、幼い娘と息子は一心に母の話に聴き入っている。
きっと、怖くても魅惑的な世界が瑞々しい感性を踊らせて、深く広く心に染み込んでゆくのだろう。
そうだ、経験があれば良いというもんじゃない。
感度の問題は大きい。
良い子たちだ。(誰かさんにもそうして欲しいのだが、、、本にはあまり乗り気でない。その前に、じっとしていない)。
美味しそうな食事や豪華なドレスは野獣が作っているのか、誰か作る魔物がいるのか、魔法によるのか?
多分魔法であろう。(ドレスは、単に保管されていたものを出しただけかも知れないが)。
そのへんが、妙に日本の昔話に見る、狸の話を思い浮かべてしまう。
間違ってもあの変身した犬たちではあるまい。
ベルの人形を見ても分かる。
話によると、監督は宮崎駿を意識して作ったとか。
確かに、そう言われれば狸のばかしより、少女の恐れに立ち向かう姿や意志の強さなどに、宮崎アニメのヒロインに重なる面を見ることが出来る。
アクティブな動きも目立ち、アニメならともかく実写ではかなりキツそうな部分も見られた。
果敢な少女であるが、最終的に愛-恋に目覚めることで、野獣は元の王に復活し、現在の夫である。
彼女こそ、いま子供たちに物語を読み聴かせている母親であった。
子供が興味をもって観られる映画である。
だが、全体像の把握は、難しいかも、、、。
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