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GOMA28

Author:GOMA28
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リピーテッド

BEFORE I GO TO SLEEP

BEFORE I GO TO SLEEP
2014年アメリカ映画
ローワン・ジョフィ監督
「ラスト・ターゲット」は、タイトで渋い名作だった
リドリー・スコット制作総指揮
フリードリッヒ光線は浸透していた

これも、原作となる小説をもつ。

ニコール・キッドマン 、、、クリスティーン
コリン・ファース 、、、ベン
マーク・ストロング 、、、医師ナッシュ
アンヌ=マリー・ダフ 、、、クレア
ディーン=チャールズ・チャップマン 、、、アダム


ニコール・キッドマンが暴行を受けた後遺症による障害から、一日で記憶がリセットされてしまうヒロインを生々しく演じる。
眠るまでに自分の状況を巡る真相を突き詰めたい。それが上手く運ばなければまた最初からやり直しの繰り返しとなる過酷な日々に押し潰されそうになる。
ビデオ日記を使ったりの記憶の連続性と同一性維持へのもどかしい試みと挫折。
他者に操作され支配される不安と怒りから自分を救いだす戦いに消耗する。
他人事とも言えない。

コリン・ファースが夫になりすましてヒロインを自分のモノにしようとする障害犯その人。
この人自身が障害を抱えているとしか思えない、病的な役を怖いほど生々しく演じていた。

更に、微妙に絡む怪しい精神科医役のマーク・ストロングは、最後まで怪しく生々しい体温を保ち続ける。
出てくる人がみな、不可解さと疑惑に満ち、矛盾を抱えているところが、リアルだ。
顔や瞳のアップが多いカメラワーク・演出、混沌とした重苦しい葛藤を執拗に演じ重ねるニコールの演技が更に強く印象付ける。
終始心理・生理的微細な感情をさらいつつ、自分が生んだ子供にまつわる真相とその身体性の残り火を時間の奥底に探り続ける彼女。

このひと晩眠れば、前日までのことを忘れ、新たに自分と全ての関係を学習し直さなければならないという設定。
新垣結衣主演のコミカル TVドラマでもやっていたような。何度か部分的に見たが、相手役が岡田くんだったはず。
こちらは、記憶が無くなる事に、何の悩みもなく、お気楽御気楽に日々あけらかんと過ごしているらしかった。
その状態を個性と捉え、積極的に活かすというのもイカスとは思う。

ニコール版では、身悶えしながら記憶障害を克服・回復と同時に、事件の真実を暴こうとしてゆこうというもの。
特に子供に拘る母性が前向きな力を衰えさせず、更新してゆく。
やはり、子供を授かることの意味は深い。(「寄生獣」でもまさにそうであった)。
ドメスティックなところも、生々しさを際立てていた。
生々しさが、「ラスト・ターゲット」に加えられた感の映画と言えるか。


そして、やはり記憶、である。時間である。
これをまとまった形で書く準備など、全くない。
取り敢えず後でまとめるかも知れないための、備忘録的な箇条書きで、今回は済ます。

われわれは生体として記憶を拠り所にして生きている。
そして、自意識・アイデンティティを保つため、昨日の自分と今日の自分は連続線上にあるものと信じている。
(ただの線というより、やはりベルグソンの今を頂点とした円錐の対称形という形をとるか)。
自動的に。
物語は生成される。

われわれにとって、全ての空間は同時に存在する。
時間においては、今という瞬間しか体験できない。

これが、何を意味するのか?
時間が文明を維持するための規制として、つまり一度に全ての事が起っていることから人類(この世のヒト)を守る基本的なシステムとして導入(創出)されたものなのか。
次元の一つとして存在するものなのか。
何からも影響を受けない不変・絶対的なものであることは、すでに否定されているが、まだ本質は解明されたとは言えない。
時間も次元の一つに過ぎないという、今の物理学の基準に則せば、時空-場所という捉えとなり、重力は時空の歪みから生じることになる。
次元についても、70年代以降は11次元で宇宙が構成されているというのが定説のようだ。
それはさておき、、、

知覚生理現象に立ち戻ると、ほんの僅かでも視覚、聴覚の統合編集にタイミングのズレが起きれば、われわれの日常生活に支障をきたすほどに、時間(とりもなおさず記憶)は重要なファクターであることが判っている。
知覚刺激の統合処理を脳によって行うことは不可避的に、エントロピーの自然な流れからの遅延-存在化が起きる。
生体反応から意識的な触りにかけて更なる遅延が発生し、ついで認識的に、存在学的に、遅延が重奏し重層する。
この遅延の重層態を取り敢えず、「身体」と呼びたい。
これまで、ここで記事に「身体」と記してきたことは、すべてこれを意味する。
Seinでもよいが。

時間認識は個人の内にも、その身体状況により、容易に伸び縮みなどはしている。
一般に加齢により時間の進み方は生理的に速くなる。
重力から少しでも解かれることで、時間の進みは緩やかになる。
そう、「エイリアン 2」のリプリーのような目にも実際にあうようだ。

しかし、この自動調整機構に何かの拍子でズレが生じると、自然界からの遅延タイミングの調整がつかなくなることで、統合失調症に陥る。
これも事実だ。

かつてパルメニデスは時間などない。(運動の無限の細分化から考えるに)。
と、堂々と説いていたが、相対性理論と量子力学の統合を巡っての様々な試みを科学雑誌などで見ていると、物理学者のなかにも、時間は存在しない、という説(理論モデル)を披露しているヒトは多い。
”t”はすでに数式の内に存在しないではないかと。
SF作家のバラードも60年代からそれらの時間を真っ向から俎に載せている。
(面白い事、この上ないが)。

心理的におさえても、、、。
時間-記憶は、変化を元に推測される。
物事との相対的関係から実感される。
事象の起こる順番がやはり決定的な根拠となろう。
ミンコフスキーもそう言っていた。
が、それがもっとも根深いわれわれ人類の思い込みのひとつとも言えるのかも知れない。
そうであれば、もう何が本質で何が幻想も、意味ないのであるが。

時間が本質的には幻想であると物理的に説明されたところで、生活の現場は微塵も揺るがないだろう。
パラダイムがそれでひっくり返るとは想えない。
それの正体が例え何であれ、その幻想はわたしというものと同義に世界構造を成立せしめる強固な何かだ。
それだけは、間違いない。
吉本隆明がかつて述べていたように、人間は観念の動物である。
幻想共同体のなかで生きてきた。
順応しようが反発しようが、同一基盤上の幻想構造にあって。

時間感覚の乱れや記憶の障害が起きれば、それは間違いなく、ヒトとして生きることが困難となることだけは確かだ。
この作品では、病をもとにプロットされてはいるが、時間-記憶の問題はいずれにせよわれわれの本質を支えている。
それは、別にニコール・キッドマンの名演から悟る事でもないが、考えさせられる契機には充分なるかと、思われる。


体調から言って、これについて語ることは、もうしんどい。
明日は楽な映画にする(爆、、、。





「安城家の舞踏会」をそろそろ観る予定。
吉村公三郎 監督。原節子主演である。
友人から教えてもらった映画である。
体調の良い時に観てみたい。

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