月光

また面白い夢を見た。
ひたすら彷徨い歩く。
夢はことごとく無意識の底を攫うような欲動で作動する。
恐らくわたし個人の力で動いているのではないため、いくら外面上大変そうでも、苦痛の内実はない。
ストーリーが劇じみていて、ユーモラスにも感じられる。
内面はなく表面だけの時間が流れているのだ。
何かを探してそこらじゅうを訪ね回るが、埓があかない。
しかし夢の特性か、疲れというものがない。
少なくともわたしの場合、夢で疲れたことはない。
とはいえ、心身ともに休まっているとは思えないところが微妙なのだ。
(眠りの効用はどこにある?休養などではなく、夢のための認識の場所なのだ)。
わたしは、イブ・タンギーの描く卑猥なほど顕な海岸沿いを、走るが何故か覚束無い。
気づくとわたしは、靴が脱げてしまっているではないか。
コーエン兄弟の「バートンフィンク」のエンディングの海辺の白々しい光景にも似ていた。
あれは、額縁に飾られた「絵」のめくるめく悪戯に他ならない。
ベルイマンの「野いちご」の冒頭の真っ白い夢にも重なってくる。
時計には針が無く、馬車が縁石に乗り上げると荷台から柩がずれ落ちた。
息を呑む自分の眠る柩。
そう、あれはキリコの街での出来事であったかも知れない。
夢の地層にあって重要なlandmark だ。
家に引き返すことを考えるが、靴もないのにどうして今更戻れるのか?
地が粉より爽やかな深い砂なのだ。
風も芳しく軽やかに、、、。
テアアンゲロプスの一面の砂浜から滑り落ちるチャンスなのに。
誰もいない部屋の暗がりになにをもって帰るというのか。
ひたすら彷徨い歩く。
するとたちまちカフカのKとなっている。
無意識は徹頭徹尾明晰で稠密な白色光に凝固していた。
影が無い事だけが、異様だった。
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