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仮面 ペルソナ

Persona.png
1966年スウェーデン映画
イングマール・ベルイマン監督・脚本・製作
スヴェン・ニクヴィスト撮影
ラーシュ・ヨハン・ワーレ音楽

ビビ・アンデショーン 、、、アルマ(看護婦)
リヴ・ウルマン 、、、エリザベート(舞台女優)
グンナール・ビョルンストランド


2人の女。
ひとりではない。ふたりだ。
はなす相手―もうひとりの自分が必要。
他者がなければ、発狂しかない。

沈黙と、とりとめのないお喋り。
又は失語症とセラピー。

錯綜から同調。
ペルソナの解体と融合。
カメラ―自意識―コラージュ。


結局、自意識が過剰になったとき、ペルソナが問題化するのか。
「本当の自分」というものが意識に揺らぎ浮上してくる。
役を演じていてハタと思い当たったり、自分のことを喋っていたりする時に徐々に強まる違和感から。
いや、異物感。
「いま在る自分」という。
そしてたまたま目の前にいる他者との間で、自分をまさぐり始める。
奇妙な陶酔と疎外感がないまぜになる場所が生じてゆく。

自ずと「本来の自分という虚構」を探り始める修羅場へと進展する。
女同士だとなおさらそうか?

当然、相手への投影、共感、混迷、反感、問いかけ、攻撃、、、。
いろいろな運動(衝動・情動)が繰り広げられ。
新たなペルソナの採用。
となる。


要するに、われわれは居心地よいペルソナを求めている。
居心地が悪くなれば、それは「本来の自分」ではないと感じだす。
沈黙も饒舌も同様に、ペルソナファンデーションを洗い流す契機-身振りに他ならない。

そして新しくファンデーションを塗りなおす。

ただ、人間というもの、その所作をかなりドラマチックにやらないと気が済まない。
神や政治や倫理や哲学などなど、、、。
つまり、本質や原理を求める。
いや、そういう物語に染まっていると言えるか。


たかがペルソナに、、、。

アンドレ・ブルトンは、かつてそんなものはシャツを着替えるくらいのものだ、と言っていた。


勿論、ベルイマンもそう言っている、、、。








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絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
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