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プリディスティネーション

Predestination.jpg

Predestination
オーストラリア2015年製作
マイケル&ピーター・スピエリッグ兄弟監督・脚本
ロバート・A・ハイライン原作

イーサン・ホーク 、、、バーテンダー
セーラ・スヌーク 、、、ジョン/ジェーン
ノア・テイラー 、、、ロバートソン
クリストファー・カービイ  、、、マイルズ
クリス・ソマーズ 、、、ミラー

最近の映画の傾向として思えることだが、とても感性的にささくれ立っているものが多い。
神経にヒリヒリ触る。
何にしても、刺激が過剰なのだ。
過剰な刺激を求め続ける人々への相当な供給に過ぎないものか。
映画というものの進化と捉えるべきことか。


ときどき空気が痛く感じることがある。
太陽があまりに眩しすぎることがある。
木々の敵意を覚えることがある。
風が妙によそよそしく思えることがある。

世界と折り合いのつかない自分にふと気づく。
少年時代に定期的に落ち込んだ虚空にいることに気づく。
ずっと自分の背骨が身体とヒリツキあっていたことに改めて気づく。



俯瞰(超越的視座)がなくとも、感じるこの閉塞感では言い表せない時間ー運命への呪縛。
この映画、妙に主人公と感覚的に重なってくるものがある。

精神的に重いのではないが、生理的に痛い。
純粋に思考実験としての、タイムパラドクスとしてみても。
自分だけで閉じた円環時間系が、何周目かに恐らくそれが始点部分で途切れ、曲線へとトポロジックに変換された。
その過程がこの映画で描かれているようだ。

ここに登場する主要な人物はみな時間に閉じ込められた独りの分身であるに過ぎないという究極の事態にあり続ける。
この時間系にいる条件は、過去・未来において誰とも関わりを持たぬ者であり、時空警察官として課せられた任務である後継者の選定と、最終目的はこの時間系の円環運動を止めることである。
時空警察官(タイムジャンプして大事件を未然に防ぐことを目的とする)と両性具有であった青年(時間警察官の後継者)とその以前の姿である女性。
女性であったころの恋人である男(彼女を残し突然消え去る)、この彼との間に産れた娘(誘拐されたうえに孤児となる)。
更に巷でフィズル・ボマーと恐れられている爆破テロ犯。
この全てが時間移動のカラクリのなか、どれも姿を変えただけの独りの同一人物ということである。
なお、時空警察官はその後継者となった青年が、フィズル・ボマーを追い詰めた時に、全身火傷を負い手術を受けて人相の変わった姿である。
もうひとつ彼女は帝王切開で出産した際、大出血により女性器を切除せざる負えなかったのだが、その時両性具有の特異体質であった事が判明し、男性の特性を強化する手術を受け、完全な男性化を果たす。更にその娘を連れ去ったのも、別(警官)の自分である。その娘は孤児院に捨てられ、長じて男に変身する当の彼女である。彼女と恋仲になるのは男となった未来の彼女自身である、、、。

最後には、意を決した時空警察官が、度重なるタイムジャンプにより正気を失ったとされる未来の自分(フィズル・ボマー)であり、かつての青年であり、彼女であり、彼女を捨てた男でもあった(自分)に出逢う。
彼が都市の歴史的な大爆破を行う1日前である。
恐らく、これはこの円環時間系における初の出来事であろう。
この未来の全ての自分のなれの果ては、突然やってきた若い自分に逢って驚く。(基本的に同じ姿の自分には逢わない)。
また、彼の組織の上司は、翌日起こる大惨事によって、組織の強化が図られたと語っていたことからも、これが阻止されるのは、初めてであると受け取ることができる。
彼はなれの果ての自分を銃殺し、時間の呪縛から解かれたはず、、、。
自殺であろうが、もはや、自殺か他殺かも判然としない。
そもそも自分とは、他者とは、何か?


生理的に受け容れ難い作品であったが、異様な生々しさを覚えた。
自分(男)と自分(女)が出逢い愛し合い、子供ができるというのは、近親相姦と同等の気色悪さがある。
しかもその子供が自分ときている。
これほど究極の世界があるだろうか。
他者がいない世界はどうにも想像できない。
だが、誰しも他者が何であるかは知らない。
自意識しかない。全て~についてのわたしの思い-考えを越えるものではない。
とはいえ、自分を一番理解できるのは、果たして自分か?
それも認め難い。
物語では、相次ぐタイムジャンプにより精神を病む危険性が高い、と言っているが、それよりもこの自分しかいない時間系を永遠にめぐり続けることによる発狂が必然であろう。
そして、彼が都市を破壊するに至るのを回避するために、その当事者となる自分が乗り込んでゆくという矛盾。
そもそも最初からいなければよかったではないか。

果たして、彼女は自分同士の結合から特異体質の両性具有になったのか?
それが自己完結する時間系を作るに最適な条件であったにせよ、どこから「それ」は生じてきたのか?
家のハイラインの本を調べてみたが原作は見つからなかった。
暇があったら取り寄せて読んでみたい。

バイオリンケースで時空を移動というのも、何とも言えない。
面白いアイデアではあろう。
その時間に突如現れ着地する姿が、妙にリアリティがあった。


イーサン・ホークは複数であり独りでもある男の表情をうまく微妙に演じ分けていた。
サラ・スヌークは、青年と若い女性を演じ分ける大変な熱演であるが、男装の醸す雰囲気は、この映画の質感を象徴していた。


また観たいとは、思わないが問題作ではある。
これについて書くこと自体、生理的にしんどい。


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GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
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