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エス ES

es.jpg

Das Experiment

2002年
ドイツ

オリヴァー・ヒルシュビーゲル監督

モーリッツ・ブライブトロイ 、、、囚人番号77/タレク
クリスチャン・ベルケル  、、、囚人番号38/シュタインホフ
オリヴァー・ストコウスキ 、、、囚人番号82/シュッテ
ヴォータン・ヴィルケ・メーリング 、、、囚人番号69/ジョー
ユストゥス・フォン・ドナーニー 、、、看守/ベルス
ティモ・ディールケス 、、、看守/エッカート
ニッキ・フォン・テンペルホフ 、、、看守/カンプス
アントニオ・モノー・Jr 、、、看守/ボッシュ
エトガー・ゼルゲ 、、、教授
アンドレア・サヴァツキー 、、、助手
マレン・エッゲルト 、、、ドラ


エス(es)=イド(id)であり、無意識的な欲望。それに対する超自我(super ego)。両者を調整する自我(ego)と大雑把にいえるか。
邦題の示すところは分かる。原題よりもこの映画の内容をキャッチーに示唆していると言える。
この映画、もはや自我の統制が効かなくなり、大脳の旧皮質が爆走している様相だ。
人は役割を得ると、そのペルソナにいとも容易く同化し、滑稽なほどエスカレートして役に深入りしてしまう。
同監督の前回に見た作品もまさにその例であるが、誰もが何らかのアイデンティティにしがみついている事に変わりはない。
それがシンプルに固着した極限的ペルソナか、希薄で両義性のもとに揺れ動く表情があるものか、の度合いの差であろうか。
社会は様々な点で、大きな(透明な)監獄である。
(蛇足だが役割におけるシラケ具合が人間的な幅といえるかも知れない)。

原題が単に「実験」とあっさり。何の実験か観ればわかる、ということだろうか。
「実験」と単に突き放すことで、人権など無視するこの実験の非情さを浮かび上がらせる作用は感じる。
主題は今ひとつ掴み難い。


看守役と囚人役に分かれたロールプレイを高額な金額に連られてやって来た人間にやらせる心理実験ということ。
環境は極めて単純に強調された役に最適化されているものだ。(大学内模擬刑務所)
ただ2人ばかり、異なる目的で実験に紛れ込んだ男がいる。ひとりは記者。もうひとりは軍の要請で任務に当たる軍人。
記事を一般向けに面白く書くため、主人公である記者が思い切りゲームの場をかき混ぜ、煽る。
派手でセンセーショナルな現場に成れば、被験者として得られる報酬より高い収入が入り、記者としてのキャリアアップにも繋がる。
煽りの手段の一つで、彼は看守役のプライドの高い内向的なナルシストに向けて、相手の気にしている弱みを極めてえげつなく攻撃してしまう。
全員の前で、情け容赦なく。そこで受けた看守役の男の外傷経験は如何程のものか?
ここから、ナルシスト看守はヒトラー総督に変身してゆき、全ての歪みがグロテスクに加速してゆく。
ある意味記者の思惑通り事は進展し、彼もそれによって痛い目にあうが、自業自得である。
彼はあくまでもトリックスター(道化)ではない。実験自体を台無しにするデストロイヤーのようだ。
人間があれほど見境なく暴走しまくるとは、彼も想定していなかったわけだが、行き着くところまで行ってしまうことを恐れていたのは教授の助手くらいか。(彼女も唯一の拠り所となってしまった「秩序」を守るために捕らえられ囚人にされたが、これも自業自得だ)。

大変危うい実験をしっかり管理も予想もしない杜撰で無能な教授達が元凶であるが、この記者も自分の責任をどう捉えているのだろうか?
これが甚だ疑問である。報酬を当てに始めたゲームの場を、死者2人と重傷者を3人出す陰惨な地獄にまでにしたのは誰か?
最後にこの男が彼女と2人寄り添ってニンマリと遠くをうち眺めている姿が、救急車で運ばれる他の被験者たちとえらく鮮明なコントラストをもって描かれていた。逮捕者や裁判で追求される者も出しているのだ。
後半記者と協力して事態の収拾に活躍した軍のスパイは、この実験を極力客観的に捉えて、報告のため静かに役をこなす対称的な立場であった。彼や他の参加者にとっても実験の目的(最初から破綻はしていたが)から見ても、記者の魂胆と行動は完全に背任である。
この自己本位な記者と異常にプライドが高く傷つきやすい監視役の暴走で、貴重な人体実験から犠牲者を出しただけで、誰も得はせず、ほとんどまともなデータも得られたとは言えまい。
しかし、囚人側の後半における感情の喪失と無気力さ、精気の著しく減退する様は自然な説得力があった。
あの看守に棒で殴られ深手を負った男も、生きる力(リビドー)さえ残っていれば、死ぬ傷ではなかったはず。
この辺の推移と硬直した秩序への異常な依存性については、貴重なデータとなり得たか。
(同監督の映画で、形骸化したナチスの法にしがみつく人間達の姿が重なる)。


普通に異化する人間を地味に描くのは、厳しいかも知れない。
創作や演出はよりリアリティを表現するために不可欠となるが、これは必然性を超えており、ツッコミのやりすぎと管理する側のボケ過ぎで肝心のDas Experiment自体が内破している。(ブラックボックスの中にあった、ドライバーには笑えない)。
細部は兎も角、全体として尋常ではない鬼気迫る面白さが増し、エンターテイメントとして並みのホラーなど寄せ付けない力を生んでいるとは言えよう。
しかしインパクト、緊迫感や緊張感はかなりのものであったが、主題を踏み越えてしまっている感は拭えない。

いや、看守が「お前が始めたことだろう!」と殺意も顕に記者にナイフを突き立てて、ドキュメント的物語が覚めるように終息していったことからして、主題はそちらにあったと言える。秩序-法を至上のものとし、そのもとには何でも許される硬直した支配・被支配の構図を挑発的に強化し、それを極限にまで押し進めることに拍車をかけたのは誰か。ひとりの暴走が如何に激しい触媒効果を発揮するか、それこそが映画のテーマか。

いずれにせよこの被験者(被害者)たちは、重い後遺症に悩まされることは間違いない。
彼女とのこれからを夢見る、主人公の記者を除いて。

そして結局、あの謎めいた女性は一体何ものなのか。
彼女にとって記者は、敬愛する亡き父の代わりの運命的な存在なのであろうか?
エスには、攻撃衝動や支配欲が渦巻いているが、同時に愛や性に対する欲動にも満ちている。タナトス(死の衝動)も大きなものである。(車のクラッシュで出逢い、丁度父の葬儀の帰りというのも偶然を超えた何らかの符号を暗示させる)。
彼女は、愛を体現したエスの側面として、あのように主人公を救う役割で現れたのかも知れない。
(フロイドのいうリビドー=本能的に湧き上がる生きようとする力の象徴的存在)


邦題の「エス」というのは、謂えている。



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