LUCY ルーシー
ルーシーについて書いていないことに気づいた。

”Lucy”
2014年フランス映画。
リュック・ベッソン監督。
脳を100%自在にアクセス-活用できる=時間を任意に行き来できる=肉体-個から解かれる
ということを華麗な映像で示しているようだ。
時間的存在である人間-現存在。
もともと生きられる時間は今だけだが、リニアな時間軸から垂直面に広がれば、身体の枠にとどまれない。
ベルグソンの期間論から言えば、過去・未来の両円錐の頂点の接触点が今現在となるが、この点が無限の平面となるような事象となろう。
やはり受肉している時だけ、つまり物質的な身体を持つ間だけ、世界内存在としてわれわれは外界に物理的に関わることが出来る。
しかしそのあり方を決める根拠となる場所は、脳なのか?
そこらへんが分からない。
少なくとも、わたしという場所は脳にはない。
脳はひとつの機関であり、機能である。
また、人間という単位で考えず、DNA主体に考えれば、人間の肉体は文字通り乗り換えの為の船(器)に過ぎない。
生き延びるべくコントロールする真の主体は、われわれではない可能性もある。
(それこそ見かけ上脳細胞も10%以外の情報は眠っているようであるが)。
実際、脳の機能が大方の人間は10%くらいしか使われていないとして。
それが20%、30%とアクセスできる情報が広がってゆけばどういう変化が現れるか。
脳科学の権威(モーガン・フリーマン)の講演会での彼の仮説に伴ってルーシーの世界も変化してゆく演出である。
彼女にはまず、深い個人的な記憶が鮮明に蘇る。
そして自らの肉体を自由に操れるようになる。
電磁波・振動・磁気・大気・脈動・様々な言葉・人間そのものを具に感じる。
他人の肉体をコントロールできる。
更に物を操れる。
これらに同期して、痛みや恐怖などの感情が消え失せ、知識が爆発的に増大する。
特定の個性などは消え去ってゆく。
と物語は進む。
その間、カーアクション、銃撃戦、格闘シーンなどの、お約束は律儀に挿入している。
最後にルーシーは、完全にコンピュータと融合したソフトマシンとなったかと思うと、スッと消え去りUSBメモリ?状のストレージ一本、脳科学の博士に遺してゆく。
彼女が自分の死(解放)を悟ってから、非常に早いテンポで物語が展開し、あっという間に終わった感がする。
終わり方も、あっけないものであった。
如何にもリックベンソンという映画であった。
VFXを活かした、実験的な思い切った映像作りには好感がもてる。
彼にはこの姿勢で、攻めていって欲しいものだ。
「生命の本質それは、知識を伝えることのみ。」
これについては、その通りであろう。
モーガン・フリーマンが言うと何でも説得力を帯びる。
「その知識を伝えなさい。」
彼女はそれに同意する。
スカーレット・ヨハンソンは段階的に変わってゆく人格?を巧みに表現していた。
この女優は実験的な映画のヒロインを務めるのが好きなようだ。
このままスカーレット・ヨハンソンは人間離れしてゆくのか。
アンダー・ザ・スキンのエイリアンのような役柄がふえてゆくような、、、(あれは傑作であった)。
わたしの希望であるが、折角フェルメールの弟子を演じたのであるから、今度はヴィジェ・ルブランのような美しい画家を演じてみてはどうであろうか?かつてカミーユ・クローデルをイザベル・アジャーニが熱演しているが。

”Lucy”
2014年フランス映画。
リュック・ベッソン監督。
脳を100%自在にアクセス-活用できる=時間を任意に行き来できる=肉体-個から解かれる
ということを華麗な映像で示しているようだ。
時間的存在である人間-現存在。
もともと生きられる時間は今だけだが、リニアな時間軸から垂直面に広がれば、身体の枠にとどまれない。
ベルグソンの期間論から言えば、過去・未来の両円錐の頂点の接触点が今現在となるが、この点が無限の平面となるような事象となろう。
やはり受肉している時だけ、つまり物質的な身体を持つ間だけ、世界内存在としてわれわれは外界に物理的に関わることが出来る。
しかしそのあり方を決める根拠となる場所は、脳なのか?
そこらへんが分からない。
少なくとも、わたしという場所は脳にはない。
脳はひとつの機関であり、機能である。
また、人間という単位で考えず、DNA主体に考えれば、人間の肉体は文字通り乗り換えの為の船(器)に過ぎない。
生き延びるべくコントロールする真の主体は、われわれではない可能性もある。
(それこそ見かけ上脳細胞も10%以外の情報は眠っているようであるが)。
実際、脳の機能が大方の人間は10%くらいしか使われていないとして。
それが20%、30%とアクセスできる情報が広がってゆけばどういう変化が現れるか。
脳科学の権威(モーガン・フリーマン)の講演会での彼の仮説に伴ってルーシーの世界も変化してゆく演出である。
彼女にはまず、深い個人的な記憶が鮮明に蘇る。
そして自らの肉体を自由に操れるようになる。
電磁波・振動・磁気・大気・脈動・様々な言葉・人間そのものを具に感じる。
他人の肉体をコントロールできる。
更に物を操れる。
これらに同期して、痛みや恐怖などの感情が消え失せ、知識が爆発的に増大する。
特定の個性などは消え去ってゆく。
と物語は進む。
その間、カーアクション、銃撃戦、格闘シーンなどの、お約束は律儀に挿入している。
最後にルーシーは、完全にコンピュータと融合したソフトマシンとなったかと思うと、スッと消え去りUSBメモリ?状のストレージ一本、脳科学の博士に遺してゆく。
彼女が自分の死(解放)を悟ってから、非常に早いテンポで物語が展開し、あっという間に終わった感がする。
終わり方も、あっけないものであった。
如何にもリックベンソンという映画であった。
VFXを活かした、実験的な思い切った映像作りには好感がもてる。
彼にはこの姿勢で、攻めていって欲しいものだ。
「生命の本質それは、知識を伝えることのみ。」
これについては、その通りであろう。
モーガン・フリーマンが言うと何でも説得力を帯びる。
「その知識を伝えなさい。」
彼女はそれに同意する。
スカーレット・ヨハンソンは段階的に変わってゆく人格?を巧みに表現していた。
この女優は実験的な映画のヒロインを務めるのが好きなようだ。
このままスカーレット・ヨハンソンは人間離れしてゆくのか。
アンダー・ザ・スキンのエイリアンのような役柄がふえてゆくような、、、(あれは傑作であった)。
わたしの希望であるが、折角フェルメールの弟子を演じたのであるから、今度はヴィジェ・ルブランのような美しい画家を演じてみてはどうであろうか?かつてカミーユ・クローデルをイザベル・アジャーニが熱演しているが。
ドラッグに惹かれてゆく人たちは、その「覚醒」効果に魅せられ依存してゆくのか?
ルーシーがチャイナマフィア?に体内に仕込まれた、CPH4という妊娠6ヶ月目に微量生成されるという物質が、通常の覚せい剤を遥かに上回る覚醒及び依存効果がある、という説得力のあるドラッグによりルーシーが超人化を果たすが、誰もが少なからず超脱への欲望・憧れをもっていることは確かだ。
カルロス・カスタネダの例のように、その使い方次第では、副作用のない優れた効果が引き出されるのであろうか?
この辺の研究は、今どうなっているのだろうか?
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