暗殺の森

”Il conformista”
同調者。体制順応主義者。
1970年。イタリア・フランス・西ドイツ合作。
ベルナルド・ベルトルッチ監督。脚本。
「暗殺の森」
衝撃的なシーンそのまんまで分かり易い。
ドミニク・サンダの妖艶で謎に満ちた印象が一際記憶に残る。
政治亡命しているクワドリ教授の妻である。
また、主人公のファシスト、マルチェロの妻ジュリア( ステファニア・サンドレッリ)も映画の絵作りにはアンナと共に際立った役目を果たしていた。
マルチェロは、少年期にリーノという青年に性的な虐待を受けたためにピストルで殺してしまったことが外傷経験として彼の人格を支配し、その苦しみから逃避するようにファシズム体制下に入り指示通りに動いていた。
彼は、反ファシスト派の支柱でもあるクワドリ教授の周辺調査を命令通り行っていたが、それが暗殺へと修正された。
教授に近づくと、彼の妻アンナの蠱惑的な魅力に惹かれてしまう。
官能的で怪しく、同性愛的な彩も添えた頽廃美の芸術作品とも呼べる映画。
ベルナルド・ベルトルッチの才能を遺憾無く発揮したものだと想われる。
音楽もその映像の流れに対し、裂け目がなかった。
ただ、陶酔してのめり込んでいればよい映画といえようか。
全体的に大きくゆっくりとした流れを感じるが、少しリズムの異なる3つのシーンはどうしても記憶に残る。
一つは、アンナ(ドミニク・サンダ)とジュリア( ステファニア・サンドレッリ)の女性同士で踊るシーンである。
華麗で清らかで、退廃的背徳性も香るインパクト充分な美しいダンスであった。
それから2つめは、アンナが幼い子供たちにバレエをレッスンしている場面である。
ドミニク・サンダの美しさから、マルチェロは、教授と引き離して守ろうと考えるようになる。
彼女はマルチェロがファシストで夫を狙っていることは承知であるが、マルチェロにも心を動かされて揺れ動いている状況だ。
教授が別荘に行く時、マルチェロは、彼女に我々とパリに残ろうと提案する。
自分の誘いに彼女が乗ったため、ひとまず安心したのであるが。
翌日森の中の真っ白な雪道を教授の運転する車をひたすら追いかけてゆく。
3つ目は、充分近づいたとき、助手席に何とアンナのいる事を知る。
道を塞ぐ車の運転手の様子を窺いに外に出たとたん、5人ほどの男が木陰より現れ、教授をメッタ刺しにして殺してしまう。
アンナは叫び声をあげながら、尾行してきた彼らに助けを求める。
いくら断末魔の叫びで窓を叩いても、マルチェロは微動だにしない。
車に匿ってもらえぬことを悟ると、彼女は全速で叫びながら雪の大木の間を縫うように逃げ惑う。
しかし男達に次々狙撃されて追い詰められる彼女。
ついに顔から真っ赤な血を流し絶命する。
このシーンが一番の衝撃であった。
その後、ムッソリーニは倒れ、反ファシズムが巷を席巻する。
そんな夜の街をファシスト時代の旧友と歩いていると、階段に座ってしゃべっている男に出会う。
マルチェロは、その男を見て、かのリーノであることに驚愕し「お前は死んでなかったんだな!」、自分の半生を決定づけた例の日付を叫び、「お前はその時誰に何をした!」と詰め寄った。リーノは逃げ去るが、マルチェロは彼を指差し、「あいつは政治亡命してきたフランスのクワドリ教授とその妻アンナを殺した男だ」「ファシストだ!」と周りにいる人々に叫ぶ。
また、自分をファシストの組織に引き入れた盲目のかつての友人にも「こいつはファシストだ!」と大声で叫び彼は決別してゆく。
しかし、自分のアイデンティティを失い、ファシストであったことであまりに大切なものも失い、家を出るとき奥さんから外に出たら大変な目に遭うわよ、と言われた通りの事態になってしまった。
もう彼が立ち直れる保証はない。
少年期に受けた外傷経験で一生を狂わされるケースはかなり見られる。
そこから逃れるために代替の何かに没頭したりするが、本質的な解消にはならないため、更に苦痛から逃れようと深みにはまってゆく悪循環となる。
希にその元凶の核の部分が突然消え去ったとき、アイデンティティの礎が粉みじんとなる。
人格崩壊が考えられる。
大変煌びやかで美しい廃墟映画であった。
美しい街並みの中で、ヒトはみな影法師のように霞んで消えた。