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ラストエンペラー

last.jpg
”The Last Emperor”
1987年イタリア、イギリス、中華人民共和国制作。
ベルナルド・ベルトルッチ監督。
坂本龍一、デイヴィッド・バーン音楽。
VHSで以前観たが、DVDで観直した。


運命に翻弄される人間の孤独と空虚を描いた壮絶な作品。
ラストシーンが何とも鮮烈であった。
これほどドラマティックな人生は希なものかもしれないが、少なからず誰もが運命に翻弄される存在である。
全く白紙状態(タブララサ)から自由自在な人生を歩んでいるヒトはいまい。
誰でも前提がある。
それは、親が決まっている(遺伝と環境)ということと同義とも言えるか。
誰もが与えられた(投げ出された)場所から生き始める以外にない。
自明なことだが、改めてその孤独に慄然とする。

清朝最期の皇帝。満州国皇帝。(どちらも傀儡)。
自分とは隔絶した世界の話かといえば、、、。
愛新覚羅溥儀が亡くなったのが1967年なのだ。
キング・クリムゾンが「クリムゾンキングの宮殿」を発表する僅か2年前である。
ムーディー・ブルースの”On the Threshold of a Dream”が西洋音楽で文化大革命のさなか中国に100年ぶりに流されるのが同じ頃であったか。

ならば、わたしがコウロギを貰っていてもよかった。
あの時のジョン・ローン(溥儀)の全てが吹っ切れた晴れやかな笑顔が目に焼きついて離れない。
次の瞬間、少年の目線に戻ると彼は最初からいなかったかの如く、消えていた。
これほど鮮やかな演出を観た事がない。
この映画、演出に驚くところが多々あった。

絢爛豪華で退廃的、末期的で腐臭に満ちた宮廷がレンブラントの絵のように浮かび上がってゆく。
カメラワークがこの巨大な廃墟を絶望的に虚しく抉る。
どこをとっても荒涼とした終末の美しさと腐臭が漂う。
紫禁城を一歩も出ることのできない溥儀の孤独と焦燥の色調の中。
皇帝の色である黄色が鮮やかで虚しくもあった。

溥儀に西洋の教養を身につけさせるために、スッコトランド出身のレジナルド・ジョンストンが家庭教師に呼ばれる。
我らがピーター・オトゥールである。
その後2人は生涯にわたり親交を保つことになるが、最初の出逢いが特に意義深い。
「紳士たるもの、言葉でしっかり意志を伝えなければなりません。」
「では、わたしは紳士ではない。自分の意志ではなく全て指示されて生きている。」
「それは、あなたがまだお若いからです。」
壁一面を飾る書に目を奪われているレジナルド先生に応えて。
「お互い問わず語りに相手の心が分かる。孔子と荘子の会話だ。」
「尊敬に関するお話ですね。」

余白や文脈から意味を汲み取る文化と、言葉ー意味そのもので主張してゆく西洋文化との対比も鮮やかに浮かび上がる。
2人の間がどう変質し縮まったのかを察することは難しいが、お互いに敬愛の念を深めた事は確かだろう。

坂本龍一は「戦場のメリークリスマス」でも似たような軍人を演じていたと思うのだが、このような格好と芸風がよく似合う人だ。
音楽はまさにこの重厚で物悲しい映画音楽であった。
デイヴィッド・バーンのタイトル曲も如何にも彼ならやりそうな音であり、ニンマリである。
音は妙な中国音楽のようなものが入らず、とても良いセンスで構成されていた。


それにしても、自分がかつて住んでいたところに、チケットを買って入る気持ちとはどんなものであろう?
エンディングでこれほどハッとさせられた映画は、やはりいまのところ、ない。




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