ブレイブ・ワン

”The Brave One”
「勇気あるもの」?そうなのか、、、
2007年。アメリカ、オーストラリア制作。
ジュディー・フォスター(エリカ)とテレンス・ハワード(ショーン刑事)の主演作品。
やはりジュディーは、「コンタクト」や「羊たちの沈黙」のような映画のほうが似合うが、ここでも迫真の演技を魅せている。
テレンスは「クラッシュ」などよりもこちらの役の方がずっといい。
ラジオ番組のパーソナリティを務めるエリカが、一線を越える話である。
一線を越えるという事は、もう元には戻れないことを、意味する。
人を殺すと、どうなるか?
こころに風穴が空く。
無かった事には、出来ない。
そして毒食らわば皿まで。
行くところまで行きましょう、、、。
ニューヨーク(合衆国そのものか?)は人種の坩堝というがこの映画、全ての人種を揃えたかの印象がある。
そこでは当然、成功を夢見て集まってくる種々雑多な人間の欲望と劣情の渦巻く闇も禍々しく生成されていよう。
エリカの婚約者はインド系であった。
彼がリードを放してしまった犬を捕まえ待ち構えていたのは、酒に酔ったヒスパニックたちだ。
有色系インテリ風貌の男が、美しい白人女性と犬連れで仲良く散歩している。
酒の入ったギャングが最も逆上する光景であっただろう。
彼を失い、自らも重傷を負い、彼女は日常と表裏一体となった闇の時空を思い知る事になる。
月にも裏側の相貌がある。これまでは想像もしなかった領域に彼女自身滑り込んだ。
護身用のピストルを東洋系の密売者から闇ルートで手に入れるとたちまち。
偶然居合わせたコンビニで店主が強盗に射殺された。
その男のピストルに怯え彼女はヒスパニックの男を撃ち殺す。
”The Brave One”に彼女は生まれ変わったというのか?
ただ、この時から彼女の中の何かがひとつ外れた。
地下鉄で2人組の黒人に絡まれナイフで脅されたとき、ピストルで威嚇するまもなく射殺。
この間、彼女は黒人のショーン刑事と運命的に出会う。
彼は、彼女が暴漢の犠牲者であることを知っており、彼女のラジオのファンでもある。
急速に2人はお互いに惹かれ接近する。
ショーン刑事は正義感が強く真面目であり、法の力を信じている。
エリカは深い心の痛みに耐えて気丈に生きている。
エリカは自ら恐れて過敏になっていた夜の世界をすすんで出歩くようになる。
車に拉致され衰弱したスパニッシュの薬漬け少女を見つけ、男から救い出すが車でひき殺そうとしたため、銃殺する。
娘は車にひかれたがエリカのお陰で命は助かる。
ショーン刑事がオフレコで話していた法の網をくぐり抜けて暗躍する男を、彼女はビルから突き落とす。
エリカはニューヨークでも話題の連続殺人犯となってゆく。
殺人犯にボーナスを出したいと言う警官もいる。市民からもいいことをやってくれたという声もあがる。
犯人探しに協力しショーン刑事と、彼女が助けたヒスパニックの少女の病室を訪れる。
彼は、少女に事件現場で誰を見た、と問いかけたが彼女はnobdyを見たと答える。誰も見てないと。
少女を助けたとき、エリカはわたしはnobdyよ、と伝えていた。
少女は決してエリカを警察に売る気はなかったに違いない。
その気があれば、指差してこの人がいたと言うだけの事である。
しかし、nobdyと名乗られたのも事実である。
少女としては、両者に義を立てたかたちであろう。
「外観は同じでも、中身は違うわたし」
もうかつてのエリカは存在しない。
諦観に満ちていて、映像の全編に虚しさと悲哀が漂う。
結局、彼女は自分の手で恋人を殺した犯人たちを始末する。
最後の一人に取り押さえられたが、機転を利かしてやって来たショーン刑事に救われる。
そして、彼は彼女に自分の銃を使わせる。
これは「合法的な銃」だ、と。
自分はわざと肩を撃たれて。
彼女は、闇の中に姿を消す。
決して救われたわけではない。
ジュディー・フォスターはこのような厳しい状況に耐えるストイックで凛とした演技が素晴らしい。
(ナタリー・ポートマンも頑張ってはいるが、そろそろ的を絞ったほうが良いと思う。)
テレンス・ハワードは知的だが葛藤に苦しむ繊細な演技を見事にこなしていた。
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