思い出のマーニー

やはり、記憶は物(場)に宿る。
場所=重力=記憶
アンナにマーニーを出現させたのは、あの洋館である。
無意識下に封じ込めていた記憶が、屋敷を見たときに蘇ったのだ。
祖母の想いがあの場所ーアンナの心の底から突き上げてきた。
沼地にあり、そこを訪れる為には水位の変化を待つというところも、身体的な現象に重なる。(月の影響も)。
あの廃炉も屋敷も薄暗く、水に取り囲まれている、時間の厚く畳みこまれた廃墟だ。
コミュニケーションの不全は、他者のみならず自らの身体に対しても、同様に起き得る。
病、ここでは喘息、は安らかに生きようとする欲動が身体を通し意識に、何らかの齟齬を告げ知らせるものだ。
大切なサインまたはメッセージとして。
その時、感覚を研ぎ澄まして、自分の内奥の声に従うこと。
自分でも訳が分からなくても、それを信じること。
杏奈も無条件でマーニーを愛した。
「あなたが何であっても。」
これは、一見現実逃避に受けとられがちなことだが、何も非現実なことではない。
より明晰で深い現実の中にいるのだから。
そう誰もが見る、夢の中でのように。
夢(想)の中で癒される。
そんな経験はないか?
イマジネーションこそ地球に残された最高の財産である。(JGバラード)
それは最も身体に良い薬でもあるはず。
祖母の思念にタイミングよく(機を得て)繋がる事が出来て良かった。
自分の基調ー性格にとことん嫌気がさしたとき、鍵穴に鍵がピタリとハマるように。
自分を苦しめる辛い記憶を、愛で満ち溢れた想いに変える事は、ひとり(意識)だけでは出来ない。
異なるパラダイムを得ることによって、事象の意味が変わるように。
自分にとって最も大切な他者。
他の視座を呼び込むことにより、記憶を書き換えるのではなく、記憶の意味ー価値を変質させたのだ。
これをもって、「生きる力」というのであろう。
こんなシチュエーションが大事なのだ。
昨日観た映画が、予兆に気を付けろ、であったがやはり気配に敏感でいることは、重要であるに違いない。
これまでのジブリ映画にはない物語であった。
ジブリ作品のなかで、1番良かった。
米林宏昌 監督
2014年作品
最近、つくづく思うことだが、日本はアニメーション映画は優れた傑作がたくさんあるが、実写映画はどうもピンと来ないものが多い。まだ、わたしが観ていないだけのことかも知れないが。
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