300

紀元前480年の話。
ペルシャ大王クセルクセスに土地と水を差し出せ、と迫られスパルタが300人の精鋭で1000000人の兵を迎え撃つ、破天荒な戦いを描く。
国の自立と民衆の自由と矜持を守るために。
史実的には「テルモピュライの戦い」にあたる。
ペルシャ、、、東洋だからか「不死軍団」という部隊が、忍者のような装束であった。
スパルタの軍勢も甲冑は身につけず、ボディービルダースタイルである。
スパルタ王レオニダスは秘策があった。
海岸線の狭い山道にて迎え撃てば、相手が圧倒的に多勢であっても、攻撃を退けることが出来るというもの。
その策により、相手を次々に打ち倒してゆく。
世界各地から集めたモンスターや巨大怪物、火薬そして空を覆い隠すほどの矢を放つなど、続々と襲って来るが何が来ても勇猛果敢に撃退してゆく。
スパルタ精鋭軍は戦いのプロである。(職業が戦士である)。
肝も座っている。
最初から死を覚悟した上での戦闘であったが、もしかしたら打ち負かすことが可能ではないかという希望も芽生える。
しかし、参戦を拒まれた奇形の男がスパルタの陣の裏に回る道をペルシャ軍に教えてしまい、スパルタ軍は数だけでなく体勢上も不利を極める。しかもスパルタ評議会もペルシャから賄賂を受けた者が邪魔をし援軍を出せない。
包囲され絶体絶命の境地に立たされたスパルタ精鋭軍は孤軍奮闘するが、世界全土から集められたペルシャ軍の圧倒的数の前にもはや打つ手はなかった。
自ら神と名告るペルシャ王クセルクセス目掛け、あらん限りの力で槍を投げるレオニダスには思わず感情移入した。
不屈の精神で戦う彼らであったが、王を含め、全員討ち死である。
ある意味、アメリカ人の最も苦手な、しかし異常に拘る自己犠牲の精神を描いている。
まるで、日本の特攻隊である。
侍の美学とも言えようか。
(しかし、東洋に対する固定観念は感じられる)。
CGも効果的に使われているが、演出の道具であり、志のために命懸けで戦うヒトの姿が浮き彫りにされてゆく。
史実などより大切な精神のリアリティを狙った映画であることが分かるものであった。
「ラストサムライ」がそのような志をもったフィクションであったように。
戦いの迫力は、多勢に対し少数の精鋭ということから、終始痛々しさと無常さが強く感じられ、ワクワクするような類のものではなかった。
残酷な殺し合いがずっと続くが、即物的な刺激は何故か無く、選択の余地のない場所に立った者の強度-気高さに打たれるものだった。
わたしは、マッチョは大嫌いだが、この映画に不快感を覚えることはなかった。
寧ろ美しい映画であった。
確かに映像美が際立っていた。
様式美をも感じる。
モニュメンタルな雰囲気を醸すスローモーションや安定したカメラワークがドラマチックな歴史画的な趣を与えていた。
「グラディエーター」にも迫る内容であったと思う。
国王が、戻って国民に伝えよと、一人の負傷兵に託したことば。
「、、、忘れるな。」
これはとてつもなく重い。
やがて、レオニダス王の遺言を引き継いだ民衆が大きな軍勢となり、再びペルシャ軍に立ち向かうところで幕となる。
これは、プラタイアの戦いであろうか。
「レオニダスの仇を討て」という神託を得て、10000人の兵士を集め、ペルシャ全軍と対峙しこれを打ち破っている。
この戦いにより完全にギリシャ全土からペルシャの影を払いのけてしまった。
また、テルモピュライの戦いでレオニダスの軍が4日もペルシャ軍を足止めできたため、サラミスの海戦が万全の体制が組め、ペルシャ軍に大勝する事が出来たといわれる。

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