イグジステンズ

eXistenZ
Existence、、、の変容?
1999年度作品。
カナダ・イギリス
デヴィット・クローネンバーグ監督・脚本・製作
ハワード・ショア音楽
ジェニファー・ジェイソン・リー 、、、アレグラ・ゲラー/バーブ・ブレッケン(天才ゲームデザイナー)
ジュード・ロウ 、、、テッド・パイクル/ラリー・アーシェン(警備員)
イアン・ホルム 、、、キリ・ビヌカー
ウィレム・デフォー 、、、ガス
クリストファー・エクルストン 、、、ウィトルド・レヴィ
サラ・ポーリー 、、、メルル
ドン・マッケラー 、、、イェフゲニー・ノリッシュ
カラム・キース・レニー 、、、ヒューゴ・カーロー
誰もが脊椎にバイオ・ポートの穴を開け、神経に直接ゲームポッドを繋いで仮想現実のゲームを楽しむ世界。
この後のSF映画・アニメへの影響がいかに大きいか。
究極のヴァーチャル・リアリティとは何か。
フリップ・K・ディック的な雰囲気のする作品である。
現実とシームレスに繋がる体感ゲーム。
というか、現実とゲーム空間の区別が分からなくなるそんな事態に引き込まれる。
ゲーム空間では、しかし配役IDに対し超越的な自己が残っていることが、その場をゲーム空間だと認識させる。
しかし、死ぬか生きるかのパニックシーンになると、本当はどうだか分からなくなる。
これは、ある意味、危険だ。
ニジマスの養殖場を利用したゲームポッド工場。
そこでは突然変異の両生類の有精卵からポッドを生産していた。
ポッドの有事的なぷよぷよ感。同じく有機体で作られたアンビコード。
ちなみにポッドはコードを介してヒトの代謝エネルギーを動力にして作動する。
両生類の軟骨から組み立てられるグリッスル・ガン。何と弾はヒトの歯である。
であるから金属探知機には反応しない。
変異した両生類をたまたま食べたらイケたのでそれを料理に出す中華料理店。
それをむしゃむしゃ食べる主人公(ジュード・ロウ)。
銃撃もたっぷり、血もほとばしる。
ゲームであるから、簡単に銃殺する。
クローネンバーグの真骨頂である、ぐちゃぐちゃねちょねちょの有機的で内臓的な世界がたっぷり味わえる。
紛れもない彼の発想と体質である。
ゲームの筋書きも凝ったもので、ゲーム会社間のスパイ抗争と現実主義者との思想的なゲリラ戦が盛り込まれ、誰が敵なのかさっぱり掴めない不気味な陰謀に満ちた、スピーディーでスリルに富む展開である。
何とか危機を脱しゲームから帰還したと思ったら、そこもまたゲーム空間である。
そんな入れ子状の仮想空間構造がよく練られている。
しかし実際、このような時空間に浸っていると、身体現実の変容(神経系統へのダメージ)は、無視できないものだろう。
最後のあのふたりのシーンは、現実であってもおかしくはない。
現実を歪めるというより、存在そのものがあやふやになってしまう。
エンターテイメント性はビデオドロームより高く洗練されていた。
とても見易い映画であった。