タクシードライバー

ジュディー・フォスター(アイリス)が出ていて何故か新鮮だった。
ロバート・デ・ニーロのタクシードライバー(トラヴィス)が実に様になっていた。
夜景の中の黄色いタクシーが印象深い。
この映画、トラヴィスが銃撃戦を終えて、警官が部屋にやってきたところの俯瞰映像でジ・エンドであればよく出来た作品どまりな気がする。
超脱への抑圧。
いや、アイデンティティの渇望か。
どうにもならない現状から抜け出せない人間の悪あがきと破滅。
とても説得力ある流れである。
しかし最後にくっついた超越的な蛇足部分で映画史に残る金字塔となったのでは。
あの言いようのない、浮かばれない佛の見た白昼夢のような件。
非常に不気味な光景である。
アイリスの両親からご丁寧な礼状をもらい、しかもあの少女が学校に戻り勉強に精を出してると。
体は前と変わらぬ五体満足な姿で職場復帰している(ヒトを殺害したはずだが)。
さらに馬鹿にして自分を振ったご立派な彼女が、ヨリを戻そうとするかのようにタクシーに乗ってくる。
彼女は新聞で彼が売春婦となった少女を助けたことでヒーローとなっている記事を読んだと。
自分は料金を受け取らず、飄々とその場を立ち去る。
この白々しくも虚しいシーンはこの主人公と世界の救われなさを呆れるほどはっきり浮き立たせる。
この無意味な蛇足ほど虚脱感を与えるエンディングはない。
観た後、暫く寝込んでしまった。
ベトナム帰還兵なのだろうか、睡眠障害で一向に眠れない。
街の荒れ果てた環境にもストレスが溜まる。
そんな時、自分を変える転機になるかも知れぬ女性を見つける。
だが彼女とは文化的な面で彼との差がありすぎた。
別れることになるのは、当然であろう。
しかし彼はその現実を冷静に受け取れない。
自己対象化ができない。
矛盾を外に見出し、あのように外に向かう。
「ここから飛び出して何かをしたいんだ。」
銃を何丁も買って、ひたすらマッチョな訓練する。
大統領候補をあてつけに(別れた彼女が選挙の運動員であるため)射殺しようとしたが失敗する。
すると今度は、アイリス(幼い売春婦)にそんな仕事はやめろと独善的な説教をする。
何でも良い。自分が相手に対して頼られる(支配できる)存在となりたい。
前の彼女ではダメだった関係を取り結びたい。
出来れば善きものとして振舞ってみたい。
しかし彼女はその場を抜け出る意思などない。
主人公は、自殺的行為と言える売春宿の襲撃をし何人も射殺する。
アイリスの目の前で客を撃ち殺す。
自分も二発撃たれており、瀕死である。
自害しようとしたが弾が残っていなかった。
アイリスは恐怖で泣きじゃくっている。
何もかもが救われない。
これで何かが変わることなどあろうはずもない。
何であれ、ジュディー・フォスターが出ていることが救いに思えた。
しかし、若すぎる。(13歳だったという)。
早熟の天才だ。
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