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昨日は娘の誕生日だった

Papyrus.jpg

一緒には祝えなかった。
何か自分が宇宙船で他の銀河探索の任務に就いているようで。
そこからお祝いをモニターを通して伝えている感じがした。
どちらかといえば、わたしがもう疲弊した地球に残っている方か?

実際、フェイスタイムでやり取りしている。
何故か、少し会っていないうちに、次女が大人っぽくなった気がした。
長女は生え変わった前歯がしっかり大きくなっていた。
2人の朝顔の咲き具合も画像で送っている。
日記があるからだ。


7歳とは何であろうか?

ケーキはうちで食べるのより豪華なものだった。
かなり奮発したみたいだった。

蝋燭の焔がいともあっけなく掻き消えた。
歌を大声で歌っていた。
やはりほとんど変わっていない。

暫く次女がモニタを独占して、最後に長女がちょこっと顔を出して「またね」となった。
ピアノをずっと弾いていない。
帰ってからが大変だ。


わたしは、8歳の時自ら今の自分の基調を作った記憶がある。
それ以前の記憶はない。
勿論、生まれる前、胎内にいた時からの無意識の記憶が連綿と続いてきていることは確かであろう。
しかし、わたしの意識としては、8歳のときの記憶が大きい。
この時に意識したのは、「ことば」だった。
ことばを意識した時が、こころを意識するこころが生まれた時だった気がする。
この時以降の記憶は切れ切れにある。

彼女らは、ことばは使っているが、ことばを意識しているようには見えない。
まだ、内面ははっきり成立していないであろうし、この先に記憶として蘇る画像があるかどうか。
この「わたし」は、まだ心象に刻まれてないように思う。

今も何らかの体温として彼女らに纏わりついているのかもしれないが。
もう少し元気でいなければ、恐らく父親像は残らないだろう。


7歳とは。
自分にとっても仄暗い闇の向うだ。


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COMMENT

混沌と分節化のはざま

お嬢さんたち、7歳になられたのですね。
遅れましたが、お誕生日おめでとうございます(≧▽≦)

ご家族とはフェイスタイムでのやり取りなのですね。
「何か自分が宇宙船で他の銀河探索の任務に就いているようで。そこからお祝いをモニターを通して伝えている感じがした。」
ワタクシ、遅ればせながら先日ツイッターを始めてみたのですが、ISSのScott kelly氏をフォローしておりまして、彼の発信する宇宙からの映像が、GOMA様の文章からふと思い浮かんでまいりました。

「わたしは、8歳の時自ら今の自分の基調を作った記憶がある。
それ以前の記憶はない。
勿論、生まれる前、胎内にいた時からの無意識の記憶が連綿と続いてきていることは確かであろう。
しかし、わたしの意識としては、8歳のときの記憶が大きい。
この時に意識したのは、「ことば」だった。
ことばを意識した時が、こころを意識するこころが生まれた時だった気がする。
この時以降の記憶は切れ切れにある。」
偶然ですが昨日、言葉に関するDVDを観まして、まさにこんなことが語られておりました。
言葉を意識する以前の記憶は確かに自分の中に蓄積されているが、その段階では言葉にはならない。ということは記憶として口に出てくることもない。しかし言葉を自在に操れるようになった時、その過去の(乳幼児だった頃の)記憶が、言葉としてよみがえり口を突いて出て来ることがある。
というような例も挙げられておりました。
”ことばを意識した時がこころを意識するこころが生まれた時”
生まれた瞬間の未分化の世界は、言葉によって徐々に分節化され複雑化する。しかし分節化されたことで、逆に指の間をすり抜けるように取りこぼされた何かが、常に心のどこかに引っ掛かりを作り、人間はその掴み損ねた「何か」を捕えようと、必死にもがいている――そんなことをいつも感じています。
芸術はそうした「取りこぼされた何か」を捕えようとする人間の営みの最たるものだと思うのですが、「ことばとこころ」の問題、もう少し深く考えてみたくなりました。


ありがとうございます。

> 遅れましたが、お誕生日おめでとうございます(≧▽≦)

ご丁寧に、どうもありがとうございます。

> ISSのScott kelly氏をフォローしておりまして、彼の発信する宇宙からの映像が、GOMA様の文章からふと思い浮かんでまいりました。

国際宇宙ステーションに滞在していると、存在に対する感覚も変わってくるでしょうね。
重力がかなり大きなファクターのように思います。


> 生まれた瞬間の未分化の世界は、言葉によって徐々に分節化され複雑化する。しかし分節化されたことで、逆に指の間をすり抜けるように取りこぼされた何かが、常に心のどこかに引っ掛かりを作り、人間はその掴み損ねた「何か」を捕えようと、必死にもがいている――そんなことをいつも感じています。
> 芸術はそうした「取りこぼされた何か」を捕えようとする人間の営みの最たるものだと思うのですが

基本同感です。
わたしは、ことばによる、こころの生成プロセスについて思っています。
恐らく、ことばを喋っている段階では、まだ内面は成立しておらず、ことばそのものを意識したとき、つまりことばについてのことばが生じたときに、こころについてのこころが生まれ内面化の度合いが高まってゆくのかと思っています。そこに、「何か」という混沌が意識される場が生じ、その分節のために、またことばが発明されるのだと。ことばの物質性が殊更意識されるとき、でもあるかと思います。それがそのまま、詩であり絵画であり音楽であり、、、。
ことばの強度に関わるとき、そのことばの外縁が疼きだすように思っています。
科学においては、宇宙空間の物質の極まりに対しダークマターが滲み出る-意識化されるように。
そんな風に考えています。

また、よろしくお願いします。

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プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
基本的に、日々思うことを綴ってゆきます。悪しからず。
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