スイート プール サイド

相手に対し剃刀を肌に当てる行為は、極めてドラキュア的な接触-交わりに近い。
鋭利な刃を肌の上で滑らせるのだ。
これは、考えてみれば、かなり際どい究極的な所作でもある。
それなりの手指の巧緻性や修練もないと危なっかしい。
素肌を傷つけ血を見てしまう恐れもある(笑。
髭剃りやムダ毛処理は、床屋や美容室のサービスでならともかく、通常は自分でする。
年頃の男子が可愛らしい女子のムダ毛を剃るという設定は荒唐無稽に過ぎる。
しかし面白い発想だ。毛深い女子と無毛の男子。
これ自体は有りうることだ。
男子が何かの理由で女子のムダ毛を剃らざる負えなくなったというのは、意表を突いたアイデアなのだが、やはりここでの動機、理由付けに無理がある。
どう見ても賢そうで、手先も器用に見える女子が、剃刀が使えないというのは、引っかかる。
更に自分で剃れないからといって同学年の男子に頼むか?(女子も難しいものだが)。
性に目覚めた思春期真っ只中の男女である。
しかも家で剃刀を使わず、鋏で剃ろうとしていた。実際にそうして何と自殺未遂と間違えられる?!
結局思春期のひとつの象徴的なムダ毛の悩み(秘密)の共有から、ムダ毛を週一で剃ってあげる儀式的な関係が二人の間にできてしまう。
漫画が原作であるようだが、こちらの方はもう少し自然な流れで描かれているのだろうか?
確かにアニメチックなタッチを感じる。
言葉から起こされた映像というより、絵や吹き出しから構成されたような趣である。
さて剃ることになった後からの、その場のやりとりを観ていると、如何にも思春期の男女の有り様である。
恐らくこの映画は、どんなに荒唐無稽な設定であろうが、力技でこの場面のデリケートな流れを見せてしまいたいのだ。
こんなシーンは、まずあり得ない。
非日常的で何より微妙で繊細なシチュエーションだ。
こんな状況に生まれる会話や仕草は、フランケンシュタインと少女のやり取りに近い危うさと初々しさがある。
少年のその時の誤魔化しに取ってつけたような妄想は不自然だ。
あの滑稽な映像は無い方が美しい。
コミカルさであれば、もう充分コミカルである。
男子はこの行為のうちに恋心が生じ、女子は他に好きな人がいて、後ろめたさを感じ出す。
週一の儀式もどうやら覚束なくなる。
おまけにその男子を好きな女子が儀式を妨害し始めたのだ。
男子の素朴な思い込みのパワーに、女子(この女優特有)の凜としたアンニュイさ加減がとても心地良い。
言葉のやり取りもそうだが、話し方、間や声量、声質までもが絶妙である。
男子の自転車の後ろに乗って、イズミヤの歌を唱うところが特にこの女優の資質が窺える気がした。
この両者(特に女優)のもつ才能には、貴重なものを感じる。
終盤、狼男のように猪突猛進して女子に迫ったのに、肝心なところで理性的に抑制を効かせてしまった男子。
最後に、「剃り方教えてあげるよ。」「うん。」と女子。
そういう終わり方なのか?
何というか、、、。
呆気ない。
この刈谷 友衣子という女優、違う映画に出たらまた素晴らしいセンスを見せてくれるのでは、と期待してしまったのだが、何と2014年に引退してしまったそうである。
わたしは、少女期のジェニー・アガター より彼女のほうが、才能は上だと思う。
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