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ザ・ミスト

mist.jpg

ゴシックロックの”Dead Can Dance”の音楽がこのフィルムの神学的重厚さを更に増していた。
一部の隙もない、完璧な作品である。

これほど身につまされる映画はない。

一人であれば、自分だけの責任において黙々と行動をとるだろう。
しかし、雑多な人間の集まりにあって、コンセンサスをとりつつ行動することは大変な困難に突き当たる。
まず、集団が一枚岩で行動を取るなどということは不可能である。
事態が深刻であればあるほど。

人間は何であれ意識-思考で判断し行動するしかない。
もっと言えば自分に深く染み込んでいる言葉(パラダイム)で考えるしか他にない。
それが限界である。
窮地に追いやられれば、まさにそれが顕在-発動する。
明確な経路がなければ迷いに迷い、何かを(誰かを)信じる方向に流れるだろう。
そこに自らを預けようとする。それしかなくなる。
もともと信仰はそういった場所に生じたはずだ。
その選択は究極であるが上に、極めて排他的だ。
その信仰(虚妄)の為には犠牲(殺害)も厭わない。

外敵に対する以前に、内部に外部ー他者を作り粛清する。
それによって狂信的なまとまりを保持しようともする。

その信じる対象が何であれ、聖書の物語、科学の法則、経験則、、、自分の信じるヒトであれ。
その言語体系に沿って、表象を感知し、事象を認識する。
策を企てる。
これは事後的な判断により正誤が評価される。


だれも先の事など解らない!


事態は、人知の及ぶところではなかった。
しかし、もともとそうであったのだ。
それが当たり前のことであった。
暫く人間は、そのことをすっかり忘れていたのだ。

自分の判断の及ばぬことが厳然と存在する。
そのことを、、、。

どこにあっても、霧に視界を奪われたら要注意である。
霧の中にそれを感じ取ったら、危機的状況である。
少なくとも、われわれの理性など何の役にも立たない。
いや、邪魔するだけである。
その迫り来る不安と恐怖に呑み込まれ。

不可知論の選択ではない。
ただ、本能の壊れた人間はあまりに脆弱であるということだ。
その前提の上で、身を守るしかない。
ギリギリのところまで、希望を捨てず。
如何なる短絡も、破滅しか呼ばない。


これは、永遠に残る映画の一つであることは間違いない。



「セラフィム(熾天使)の主」とは何か?
(天使の9段階の1位にあり、最も神に近い天使)。
そのホストとは、神か。


それは自然でもある。



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絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
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