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風の谷のナウシカ

osen.jpg

放射能汚染後、この映画の世界にほぼ重なるわれわれの現実。
ただここでは、土壌汚染物質を植物が吸収して分解してしまう。
彼らは枯れて結晶化し砂になってゆく。
そういう自己犠牲的な循環が出来ている。
腐海が広がろうが、浄化は進んでいる。(自然の自浄作用として)。
腐海を焼き払おうとすれば(自然の営みを妨害しようとすれば)、蟲が黙ってはいない。

いま日本の現実は全く絶望的である。
進み広がる汚染の前に何の有効な手も打たれない。
何の展望もなく悪夢の中(デストピア)に住んでいる。
そこでわたしのようにステートレスな希望の映画を観ている。
宮崎映画はみなそうだ。いや押井守もそうだった。

まあ、無国籍はよい。馴染みやすい。
それにまさに、廃墟である。
わたしの住むところも、昔から近景は畑、その先は巨大なパラボラアンテナと浄水処理場、その背後には何処までも続く米軍基地に白樺の並木であった。更にその背後には大規模に掘り返されて剝き出しになった岩場が口を開けていた。
休日にはそこに5,6人くらいのお父さんが集まり、ラジコン飛行機のアクロバット飛行を延々と繰り返していた。
抽象的な舞台である。(今はその空地はきれいに整地され公園となっており、我が家の庭の機能を果たしている)。
希望はないが、ステートレスではある。最初から非現実で思い出に似た地である。

ナウシカはハリウッド映画のスーパーウーマンとは異なり、自分がその役を引き受けざる負えないために宿命的に身を投じていく。悪を倒して仕事を終え、またこれまでの日常に戻りゆったりしましょうなどという、ホームなど端からない。
自分の生が続く限りいるべきところにいるはずである。
裂け目が何処にもない。
求めるものは自然であり、世界が自然なのだ。
そして動物との感応能力は超自然的ですらある。

であるから、どれだけ突出した悪事を行おうと、ヒトもその一部であり、特別な感情を抱こうとしない。
その場で、敵対しようとも局面が変われば、その人間に対し救いの手を差し伸べる。
究極的に彼女にとっての関心事は、何故「腐海」が生まれたのか、「腐海」という謎である。
全てはそこにある。

ナウシカは「自然」の真只中、その本質に身を委ねる。
彼女の認識と洞察は常にそこから来る。
感情もそうだ。

自然の摂理を知ること、そして調和を図ることこそがナウシカの目的だ。
そのために、身の危険を顧みず争いや調停、探索何にでも先頭に立って突き進む。
そこから隔絶された戻る家ー身体などある訳はない。


われわれの世界はもしかしたら、一度壊滅してナウシカの世界に引き継がれるのか?
その段階としか思えなくなった。
今ナウシカだけがいないからだ。
これだけの生命に深刻な打撃を与える事故すら利権の対象でしかない世界である。
どうなるにしても、全的崩壊が前提なのかも知れない。







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GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
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